ムリで当然、いいだろう
光の花の採取、1つ目の方法。
根を土ごと掘り起こして、すぐに植え替えをするつもりだったが、いきなり計算が狂ってしまった。
この長芋モドキ、種芋のように植えればいいのだろうか。
うーん、わからん。
後回しにしよう。
たいして考える事もなく、1つ目の続きの作業はひとまず終了とした。
ハンティングナイフを手に、気を取り直して次の作業にとりかかる。
2つ目は簡単、切り花での採取。
ハンティングナイフで赤い光の花の茎の下の方に、恐る恐る刃を入れる。
茎を切った瞬間に枯れてしまうんじゃないかと少し心配だった。
それぐらい儚い。
息をつめてしばらく見守る。
「大丈夫か・・・・・?」
大丈夫だった。
茎を切り落としても光の花は変わらずに、やさしい朱色よりの赤い光を発している。
第一関門は突破したようだ。
花瓶替わりのペットボトルにさしてみるが、1メートル近くある茎が長すぎてバランスが悪い。
欲張ってしまったか。
ペットボトルが倒れてしまいそうだ。
いやいや、大は小を兼ねるはず。
短くしたくはなかったので、スポーツバッグを支えにして倒れないように整えた。
その他の4色も、続けて切り取っていく。
全てペットボトルにさしおえた。
生け花のセンスが全く感じられない、無骨に生けられた5色の光の花。
あとはこの切り花がどれだけ日持ちするかの勝負だ。
「長生きしてくれよ・・・・・」
つぶやきつつ、次に備えてビールの空き缶に水を用意した。
さて、3つ目の作業は挿し木。
つまり、新芽や脇芽など勢いのある葉がついた茎を切り落として、植え替える方法。
男が一番ムリだと思う方法だった。
そもそも光の花には、葉っぱすら一枚もない。
深緑色の茎が真っ直ぐ伸びた先に、一輪の花が咲く特徴がある。
逆に言えばそれだけしかない。
一夜にして育って咲いて散って枯れる花なので、成長も光合成も必要ないのだろう。
だから新芽や脇芽、葉もないのは理解できるのだが。
茎が1本しかなく、挿し木にできるような枝分かれした茎が一切ない。
どこをどうやって切ればいいのか。
まあ。
たぶん、挿し木には向いていない。
無理くり出した第3の方法、実行する段になって改めて現実に向き合い、苦笑した。
繊維を押し潰さないよう鋭利な刃物で斜めに切る必要があるが、ここには自信がある。
ちゃんと手入れしているナイフは切れ味最高だ。
ナイフは完璧。
やり方も知っている。
経験がある。
だからやる。
ムリで当然、いいだろう。
山奥のリゾートバイトでは、民宿の婆さんがいつも挿し木でハーブを増やしていた事を思い出す。
小さな鉢をいくつも作り、お土産として並べていると結構よく売れていた。
ローズマリー、バジル、セージ、オレガノ・・・・・。
初めて婆さんを手伝ったときは、こんな方法でちゃんとできるのか疑問だった。
プランターを毎日飽きずに観察したものだ。
勝手に増えるミントや株分けで増やしたレモングラスも含め、売るほどの数を用意するのは大変な手間だった。
5個10個と、プランターから鉢に植え替える作業は地味にしんどい。
それでも、厨房の主である婆さんとの話は尽きる事がなく、楽しい時間だった。
そしてこのハーブのおかげで、民宿では意外にも洋風メニューが充実している。
ジビエ肉の香草焼きは定番メニュー。
肉がたくさんとれた時は、セージを使って自家製のソーセージ。
1泊で2食しか出せないのは、つくづく少ないと思う。
毎食ごちそうだったバイトの立場から、食べてもらいたいおススメがあり過ぎた。
さらには高校生当時、男の家でもその恩恵にあずかっていた。
バイト最終日には車で迎えに来てくれる父親や妹と、ハーブの鉢や野菜のお土産を手分けしてたくさん積み込んだものだ。
実家の近隣スーパーでハーブを買うと、食費が跳ね上がってしまう。
ハーブやスパイスは高いのだ。
それがもらった鉢なら、バジルやローズマリー、ミントは自宅ベランダで摘み放題。
和製ハーブ、大葉だってどんとこい。
食費を気にする高校生が、独学で思う存分イタリアンの腕を磨けたのはよかったと思う。
和食料理人を志していた高校生が、イタリアンに興味を持つきっかけとなった。
やはり幻想的な大草原は郷愁を誘う。
次々と湧き出てくる懐かしい思い出にひたりつつ、男は作業を続けた。