今日はランラン、るんランるん
既に見慣れた森の大木、信号木。
ご近所さん。
走る男にみるみる近づいてくる。
不思議な大木が自らの意志を持ったのか。
そうして男に近づいて来たかと錯覚するほど、遠くに見えた姿との距離が一気に詰まった。
「着いたっ」
大木を右手でタッチ。
急ブレーキだ。
だがスピードに乗った勢いを殺せず、ちょっと行き過ぎてしまった。
全速力で走ったが、息は全く乱れていない。
ウサギに追いかけられ、ゼイゼイ喘いだ数日前が嘘のようだ。
生まれ変わった別人か。
鏡を見たい。
本当に俺は俺なのか。
不思議な高揚感を感じつつ、すぐに時計をチェックする。
スタートは17時は33分。
果たして。
「・・・・・41分。やっぱりまだ17時台・・・」
やっぱり8分。
森から信号木まで8分で走破できている。
すげえなオレ。
やべーぞオレ。
自分で自分を大絶賛。
もちろん男はナルシストではない。
ナル様なら、少なくとも鏡の一つは持っているはずだ。
だからこれは普通の反応。
誰がどう見たってすごい身体能力。
これだけの記録、客観的にみても絶賛できるだろう。
誰も褒めてくれないけど。
「今ならウサギに遇っても振り切れるな・・・・・」
男は信号木を見上げた。
軽くジャンプし、そこそこ高い所にある枝にぶら下がる。
昨日までの男ならまず届かなかった高さ。
腕の力で、難なくその枝の上に体を持ち上げる。
そのままひょいひょいと大木をのぼっていく。
信号木の住民達、リスもどきと触れ合え、果実にも手が届く高さで登るのをやめ、体を大木に落ち着けた。
太い幹を背もたれに腰を据える。
「さっき登った時はめっちゃ時間かかったのにな・・・・・」
何が違うんだろう。
少し前の出来事を思い出す。
苦労して命まで賭けて、大木のてっぺんまで登って。
でも何にもたいしたものは見えなくて。
おもしろくなった。
笑った。
それが流れ。
ここまでは普通のカラダだった。
「そっから妙な気分になったんだよな・・・・・」
そうだ。
気が大きくなって、何でもできる気がした。
そして。
「へんしーんって・・・・」
誰かに聞かれたら恥ずかしい言葉を戯れに口にしたのだ。
なんとなく自分にふさわしい言葉だという気がしたから。
さすがにテレビスターのようなモーションはしなかったが。
「・・・・・・そうか」
一つ納得し、男は木を降りた。
途中、まだかなりの高さがあるのに地面に向かって飛び降りる。
普通の状態なら大怪我間違いなしの高さ。
「とうっ・・・・・」
ちょっと言ってみたかっただけ。
いいじゃないか。
口にしてから恥ずかしくなり自分に言い訳。
一生に一度も言わないはずのこの言葉。
ヒーローがとんでもない高さから飛び降りたり、とんでもない高さに飛び上がる必須ワード。
調子にのって言ってしまうと、反動でだいぶ冷静になれたようだ。
男の出した結論。
とんでもない身体能力開花のきっかけ。
「変身」。
これだよコレ。
この言葉じゃないか。
水を出す時は具体的に想像して、エアーな動作。
火をつける時は具体的に想像して、エアーな動作。
このツヨイ体は具体的に想像して、エアーな動作はなくとも。
ヒーローしか使わないだろう言葉を口にするという、これだって一応は動作と呼んでいいだろう。
正解かどうか、確認する術はない。
だがおそらく正しい。
男はそうアタリをつけた。
1時間近くかかる所を8分で走れる。
ざっくり計算で6分の1。
この体は移動時間を6分の1に短縮できる。
ならば。
「行けるところまで走ってみるか?」
24時間歩き続ける距離だって6分の1なら、4時間で済む。
まだ18時にもなっていない。
20時半以降の日没には3時間近くある。
陽が落ちても22時半まではまあまあ明るさが残る。
辺りが見渡せる。
気になっていた事を片付けるチャンスだと思った。
せっかく森に入ったのに、まだ水場も見つかっていない。
そのうち山を登りたいのに、この森の坂道、山に至る勾配を経験していない。
この際、走って方をつけよう。
じっとしていられない。
もったいない。
時間は有限、有効に。
大草原に来たばかりで、不安になるほど自由な時間を持て余した日々は昔。
三十路の憧れ、衰え知らずの体を手に入れた男には、やりたい事がたくさんあった。
ランだラン。
RUN、ラン、RUN。
日本語読みで、るんランるん。
走るの原型、過去形、過去分詞。
英語の先生は良いヒトだった。
先生、元気か。
覚えたぞ。
今日はランラン、るんランるん。
ランしよう。
口にしないだけ分別はある。
心の中の独り言。
言葉のチョイスがおかしいのはいつもの事。
せっかく冷静になった男だが、興奮が戻ってきたようだ。
このみなぎる自信。
みなぎる力。
万能感。
楽しい。
嬉しい。
まあまあ良い成績を収めた英語を独り言で使うぐらいに調子にのっていた。
ご機嫌だ。
「よーい、ドンっ」
男はまたまた、走り出した。