あんたが大将
大木から足を滑らせ、枝を掴もうと奮闘空しく地面に落下する男。
地面までは約4~5メートル。
さすがに無傷じゃいられないだろう。
命だって危ないのは明らかだった。
両足では落下の勢いを殺す事ができず、着地と共に仰向けに体を地面に打ち付けてしまう。
若かりし頃、体育の授業で一応は身につけた受け身を取る余裕もなかった。
襲い来るだろう痛みに、ぎゅっと目を閉じる。
緊迫の一瞬。
「っ・・・・・・?」
痛くない。
おかしい。
固く閉じた目を開き、落ちたばかりの大木を見上げた。
寝ころんだまま、器用に首を傾げる。
したたかに打ち付けたはずの後頭部、何の痛みも感じなかった。
「・・・・今オレ、あそこから落ちたんだよな?」
自らに言い聞かせるようにつぶやく。
信じられなかった。
試しに腕を動かしてみる。
うん、痛くない。
腕は問題なく動くようだ。
足も動かしてみる。
うん、足も痛くない。
「・・・・・・?」
そろそろと体を起こし、その場に胡坐をかいた。
しかし落ち着かず、すぐに立ち上がる。
「・・・・・普通に立てるな。」
おかしい。
自分は5メートルはあろうかという高さから落ちたんじゃないのか。
立ったまま大木を見上げる。
5メートルというのはかなりな高さなはず。
ぶんぶんと腕を振り回し、ぴょんぴょんと飛び跳ねてみた。
ぐるぐると首を回す。
思いつく限り、体を動かしてみた。
「痛くない・・・・・・無傷だな。」
有難い。
どうやら奇人変人びっくり人間がここでも作用したようだ。
意味はわからないが、助かったことにとりあえず感謝する。
そして喉元過ぎてあっさりと熱さを忘れた。
深く考えることはない。
いやいや、下手したら死んでたよ?
命の危機をそんなあっさり忘れるなんて。
そんな言葉が男に届くはずもない。
注意する者が誰もいない森の中、男の心は自由だった。
身が縮む恐怖から一転、ワクワクしている。
奇人変人びっくり人間万歳。
今度は何ができるようになったんだろうか。
信号木を登る時に、ベルトをひっかけた枝の下まで歩いた。
見上げると、ジャンプしたところでやはりちょっと手が届かない高さだと感じる。
腕を振り、勢いをつけて思いっきり跳んだ。
「・・・・うぉっ。」
危ない。
頭が枝に勢いよくぶつかるところだった。
なんとか両手で枝に触れて激突をかわし、着地する。
「・・・・・。」
頭上に何もないところに少し移動し、安全を確認、また思いっきり跳んでみた。
「・・・・・っ、すげぇっ。」
何メートル跳んだのだろうか。
トランポリン競技で跳ねているかのようだった。
有り得ない高さまで跳びあがり、急に高くなった目線に驚く。
垂直高跳び、絶対すごいナントカ記録を更新しているだろう。
地球にいればの話だが。
いかなスポーツ選手でも、あの高さまでは跳べないだろう。
一等賞。
つまりは優勝。
あんたが大将。
地球にいればの話だが。
歴史に残る男になれたのだ。
ワンダフル。
ビューティフル。
ファンタスティック。
しつこく繰り返そう。
地球にいればの話だが。
現実は実に残念だった。
期待をはるかに上回る体の動きに興奮が止まらない。
日本では体の衰えを感じるばかりの毎日が当たり前。
それが三十路というものだ。
しかし今はどうだ。
衰えどころか、新記録。
なぜか感じる万能感。
いつもの友達、仲良く付き合う筋肉痛すら感じない。
ムズムズしてきた。
自分を試したい。
どこまでできるのだろうか。
男は急いで置いていたスポーツバッグを身につけた。
時計をチェックする。
午後は17時23分。
もう信号木には興味がない。
それよりも、何よりも。
今は走りたかった。
筋肉痛とはおさらばしているのだ。
「よーい、ドンっ。」
自分に掛け声。
物干し場もつくったマイホーム、大草原に向けて勢いよく走り出した。