わんぱく三十路
どしゃ降りの雨がやんだ森の中は、空気がしっとりしていた。
これぞマイナスイオンと言わんばかりだ。
雨に洗われた葉やコケの緑色も鮮やかで美しい。
白っぽい半透明の木洩れ日が、先々に誘う光のカーテンのようだった。
のんびり歩くつもりでも、あのカーテンの下、また向こうに行ってみたいと足取りが自然と早くなってしまう。
水はけがよいのか、あまり水たまりが気にならず歩きやすかった。
踏みしめる地面の感触、これもまた面白い。
特にコケが気持ちいい。
たっぷりと水を含んだコケの絨毯に足が沈みこんでいく。
しかしながら、靴に水が入る前にちゃんと止まる。
荷物はある程度、置いていくことにした。
洗濯物も干しっぱなしだし。
キャンプファイアー用の火災対策、苦労して掘った穴だってまた使いたい。
忘れちゃいけない。
今日は記念日、肉曜日。
帰ってきたら肉肉パーティ。
忠犬二クラブはいなくとも、ボッチでパーティーしたっていいじゃない。
もう一度このホームへ戻ってくるつもりだった。
ナイフだけ持って身軽に行きたい所だが、ウサギが2匹で来られるとやっかいだ。
スポーツバッグも立派な武器。
中身を軽くしたバッグを斜め掛けにしていた。
ただし今日はこれ以上、肉を増やすつもりはない。
食べきれない。
食わぬもの、捕るべからず。
奴にあったら逃げるつもりだった。
男は森林浴を楽しみながら、早足で歩いていた。
とりあえず向かっているのは、唯一無二の特徴を持つ大木だ。
この土地ならではの、見たこともない、日本ではありえない実をつけている。
林檎のような桃のような大きさ。
赤、青、黄色。
信号機と同じように3色の果実がなる木。
勝手に名付けて信号木。
もう一度、じっくり見てみたかった。
道しるべの蝶々結び、木のつるをたどっていけば早かった。
まだ16時過ぎだ。
信号木を見上げると、リスだろうと思われる獣が旨そうに果実を齧っている。
青い実も普通に齧っているが、熟していないんじゃないのか?
はるかに高い所になる木には手が届かない。
「木登りするなんて、何十年ぶりだろう。」
木登り得意のわんぱく坊やだったのはずいぶん昔。
あんまり自信はなかった。
なんたって今や三十路のおっさんなのだ。
怪我しないように頑張ろう。
幸い、果実は高い所にしかなくとも、枝はかなり下のほうでもたくさん生えていた。
足掛かりにして登るには十分だろう。
ただし、樹齢が想像できないほどの大木。
両手で抱きついたって、一周することができない。
気をつけて登らねば。
荷物を下ろし風呂敷を取り出した。
お風呂セットを包んでいた風呂敷だが、スポーツタオルを除いた中身は草原に置いてきている。
タオルは頭に巻いた。
緑のいわゆる泥棒柄の風呂敷とナイフをポケットにしまい、革の手袋をはめた。
準備完了。
「よし行くか。」
一番低い所にある枝に向かって、ジャンプした。
「しんどっ。」
何回かトライするも、かすりもしなかった。
あとちょっとな気がするが全く届かない。
助走をつけて跳んでみても同じ。
悔しい。
息が上がってきた。
時間も経っているので吐くほどではないが、腹だってまだまだいっぱいだ。
思いの外キツイ。
「ちょ、休憩。」
木の根元に座り込んで息を整える。
ちょっと考えて、カーゴパンツを支える革の腰ベルトを取った。
ロープもないし、木のつるで代用するには心許なかった。
これだけ腹いっぱいなら、カーゴパンツのボタンが飛びそうにパンパンだ。
男の腰にベルトはいらない。
ベルトを使おう。
ただ、木の幹にロープを回して登るプロな登り方には使えない。
木の幹が太すぎるのだ。
ベルトの長さが全く足らない。
枝にひっかける作戦で行こう。
ベルトを持って、ジャンプし一番低い所にある枝にひっかけた。
上手くベルトの真ん中に枝が来るよう、何度かジャンプしてベルトを突っつき、位置を調整する。
「よし、いいぞ。」
いつもお世話になっている茶色い瓶のスポーツドリンクのCMみたいになってきた。
比べると顔面偏差値が低いのはご愛敬、見逃してほしい。
気合を入れてジャンプする。
両手で枝にかかっているベルトの両端をそれぞれつかむ。
ここからが勝負。
頑張れ上腕二頭筋。
懸垂の容量で、ぐぃっと体を枝に近づけた。
なんとか2本のベルトを1つにまとめて左手で持った瞬間、右肘を枝の上から絡ませる。
「ふんっ。」
鼻息も荒くなりつつ、右腕全体で枝をホールド、ベルトを持ったまま左肘も枝に絡ませた。
両腕で枝を抱え込んだら、事はスムーズに進む。
昔取った杵柄だ。
さほど苦労せず、枝に腰掛けることができた。
ベルトを元通り腰に回収し、一息ついた。
見上げても果実はまだまだ手が届かない。
「じゃあ行くか。」
休憩十分、男は枝の上で立ち上がり、次の枝に手をかけた。