旨かったのか
地平線に姿を現した赤い太陽が、その存在感を辺りに溶け込ませた頃。
燃え踊る炎の前で、男はでかい肉をたった独りで食らい尽くそうとしていた。
無言で咀嚼を続けている。
ウサギのツノに絡まるお肉もあと少し。
一かけらも土に落とす事なく、男の腹におさまっていく。
特に早食いという事はないが、ちゃんと味わっているのだろうか。
咀嚼回数は多いようだが、食べ終わるのも早かった。
「・・・・・・旨かった。」
肉がついていないウサギのツノを手に、呆然と呟く。
目の焦点が目の前の炎にはあっていなかった。
危ない。
悪いモノでも食ったのか。
炎の前で熱々の肉を食べ、男の体も熱を帯びていた。
腹の熱が全身に回るかのようだ。
しばしその熱に身をゆだねる。
余韻にひたった。
やがて熱が冷めてくると、男も自分を取り戻し始めた。
「旨かった・・・・・、いや、
・・・・・旨かったか?」
確認するように繰り返した独り言。
ひっかかりを覚え、もう一度繰り返そうとするも疑問形になってしまう。
味をつけていない肉は少し甘かった。
苦みもあった。
血の味をそう感じたのかもしれない。
血抜きをしたにも関わらず、鉄分たっぷりの味が口の中を駆け回っていた。
強烈なクセのある味。
獣臭いなんてものじゃない。
そんなささやかには表現できない。
獣そのもの。
野趣あふれすぎるにもほどがある、と声高に主張したくなる味。
肉が消えても口内に残る強烈な存在感。
そして噛み応えもありすぎた。
噛んでも噛んでも、口の中の肉が一向になくならない。
顎を痛める硬さ。
喉の筋肉だって厳しい。
料理人の意地にかけて、あれほど小細工をしたのに、あの硬さ。
硬直した肉を甘く見てはいけない。
改めて身が引き締まる思いだった。
完敗だ。
断言しよう。
あの肉は。
あの味は。
「不味いな。」
悔しい。
あの肉は旨くない。
不味いんだ。
それが正解。
旨いと感じた自分に言いたい。
空腹なんかに負けるんじゃない。
料理人は味にうるさくあるべきだ。
料理人のプライドにかけて。
あんな肉を旨いと言っちゃあいけないだろう。
男はまだたくさん肉の入ったビニール袋を見た。
頭ではウサギ肉を不味いと思う。
ただし人間、体は正直。
お代わりが欲しい。
もっと食いたい。
本能が訴えかけていた。
もっともっと肉を焼け。
だって旨かったんだから。
食え食え。
腹いっぱい食え。
脳内の別人格でも生まれていそうな勢いだった。
やめられない、とまらない。
男の手がフラフラとビニール袋の肉に伸びる。
そうだ、次はウサギのもも肉。
骨付き肉にむしゃぶりつこう。
この誘惑には抗えなかった。
不味いとわかっているのに、旨そうな肉にしか見えない。
もも肉の骨に沿うような形で、ウサギのツノを刺した。
持って食べるにはいい骨だが、持って焼くには短く火傷してしまう。
肉を持って、しっかりとツノを深く入れていく。
この肉はヤバい。
料理人の舌を破壊する。
複雑だった。
料理人やめますか、それとも肉を食べますか。
そう問われているようだ。
肉を食べるのはいい。
頂いた命、捨てるのは論外だ。
ただ食べ方ってのがあるだろう。
料理人なんだ。
ちゃんと味を分析して、どう調理するのか考えながら食べる。
「味見」というのはそういうものだ。
口には出さず、男は自分に言い聞かせた。
何食べても美味いというようなバカ舌にはなるな。
今度はちゃんと味わって食べる。
「よし焼くぞ。」
どうして普通に食えないの。
素直に食ったらいいのに。
大袈裟な。
そうツッコむ者はどこにもいない。
だいたい料理人なんて、ヒトがいない世界でなれやしない。
料理人になりたいなら、さっさと食って、食べてくれる人を探しに行けよ。
そんな指摘をしてくれる者もどこにもいない。
大雑把で気のいい男も、こと料理となると非常にめんどくさい男だった。
明らかに何かを拗らせている。
自らの評価を気にしない男は、料理人としての矜持を胸に次の肉を焼き始めた。