腹は空っぽ、胸はいっぱい
光の花が咲き始めた。
やわらかな色とりどりの灯りに照らされて、暗闇がパッと明るくなる。
大草原のイルミネーションがはじまった。
男は立ち上がり、荷物をもって木に吊ったウサギ肉の下へ向かう。
休憩は終わりだ。
十分とはいいがたいが、手元はなんとか明るさを保っていた。
これなら作業できそうだ。
まずは準備。
ラップもなく、まな板もない。
文明がないから何事にも準備、準備だ。
捌いた後の肉を入れるビニール袋を用意する。
パンの塊が入っていたしっかりした大きいビニール袋、全部で6枚。
大きなウサギではあるものの、可食部分だけなら3枚あれば足りるだろう。
残念ながら、骨は諦めざるを得なかった。
いい出汁がとれるのにもったいない。
「鍋がないし」
日本では出回る数が少ないウサギ肉は高級品扱い。
まあ料理店では仕入れた所で、なかなか売れないという事情もある。
フランス料理店では出していると聞くが、男は山奥の民宿以外で扱ったことがない。
臓物を捨てる事にも抵抗があったが、骨まで捨てるなんて。
高級肉、もったいなさすぎる。
せめて、もも肉は骨付きの塊にしよう。
「でかい肉にするしかないもんな」
フライパンもない。
バーベキューにする金串だって焼き網だってない。
できるだけ大きな塊にしたまま木の枝に刺して焼くしかないと決めていた。
「木がちゃんと刺さるかな・・・・・」
触ってみると、3匹分のウサギ肉は全て硬直中。
カチンコチンとは言わないまでも、木の枝が硬さに負けてしまいそうだ。
「とりあえず捌くか」
硬直中なので扱いやすく、脂も少ない。
皮を剥ぐのは簡単だった。
ウサギ肉は後ろ足に木のつるを括り付け、逆さに吊っている。
その後ろ足周りの皮をハンティングナイフを使い、丁寧にはがしていく。
ここは大事、破れないように。
尻のあたりまで剥がれたところでスピードアップ。
皮と肉の境目に指をいれ、時々ナイフを入れながら上から下にひっぱり一気に剥いでいく。
作業自体はスムーズに進むが、自分の指の爪が伸びているのが気になった。
普段、深爪すぎるほどに切っているため、まだ手のひらから裏側の爪がみえるほどではない。
OKとする料理人だっている長さ。
それでも気になった。
爪切らないと。
爪切り1つでも立派な文明。
昔の人はどうやっていたんだろう。
どうしても伸びてきたら、ナイフを使うしかないのだろうか。
3匹分の皮を剥ぎ終わるのにそれほど時間はかからなかった。
次に首の後ろから尻まで、背骨に沿ってまっすぐ深く刃を入れる。
まな板があれば、背肉をとり、もも肉を切り分けてと、部分別に捌いていくとすぐ終わるのだが仕方ない。
背骨と肉の間に親指を入れ、背肉をつかんでひっぱりながらあばら骨にそってナイフを入れていく。
そうして少しずづ、肉とあばら骨、背骨、骨盤を切り離していく。
腹側までぐるっとナイフを回して、肉から骨を切り離して完了。
残る骨は足の骨のみ。
ここからは早かった。
やわらかさを確保するため、筋繊維と垂直に細かく刃を入れたいが、そんなに小さく切り刻めない。
焼くときに困る。
吊ったまま切り分けずに、肉を平べったく拡げるように筋繊維を断ち切っていく。
そして同じく、塊を保ったまま、グサグサと穴をあけるかのように筋繊維に刃先を入れる。
染み込ませる下味などないが、少しでも肉が柔らかくなればいい。
せめてもの抵抗、小細工をした後、かなり大きめにきり分けた。
胸肉の塊が2つ、腹肉の塊が4つ、背肉が4つ、骨付きもも肉が4つ。
それぞれ切り分ける度にきれいに洗って、ビニール袋に入れていく。
結局大きなビニール袋が4枚、いっぱいになった。
このウサギはかなり大きく、胴体だけで60~70センチはある。
少なくとも、「かわいい」と言って、子供が抱きかかえられるような大きさではなかった。
持って帰るのは非常に重かったが、そのかいはある。
食いごたえがありそうで何よりだ。
ナイフを使って肉を切り分けるのは楽しかった。
しばらくぶりに料理できたという実感がある。
ようやく捌き終わった。
ここまで長かった。
空腹な男は、充実感、達成感でまず胸を満たした。