まな板は偉大だ
結局、19時半前には大草原に帰り着いた。
予定より随分早い。
日没にはまだ1時間もあった。
色々と納得はいかないが、早く帰れたので良しとする。
時間がないのだ。
辺りが暗くなる22時半頃までに、やらなければならない事が多かった。
これからの作業としては、ウサギを捌いて焼く。
単にこれだけ。
日本ならばそうたいした時間はかからない。
ウサギ肉は既に最低限の処理は終わっているのだ。
脂の少ない肉だから、専用ナイフでなくとも皮を剥ぐのは簡単。
あとは切り分けるだけ。
そしてフライパンで焼けばいい。
おしまい。
慣れた作業だ。
臭みとりをするわけでもなく、味をつけるわけでもない。
ソースもつくらない。
3匹まとめて1時間ほどあれば十分だ。
ただしこれはあくまで日本の話。
現在のお住まい、大草原では事情が違う。
文明のなさを人力でカバーするには、途方もない労力が必要だった。
明るいうちにと、まずは何度も森と草原を往復して枯れ木や葉っぱを確保した。
帰宅最中、拾ってきたものだけでは全く足りない。
まだまだ欲しかった。
この後、火をおこす事を考えるとうんざりしてしまう。
焚きつけに使えるスモークツリーのようなフサフサ植物も見つからなかった。
苦労しそうだ。
十分に集まった所で、次はカマドの準備。
残念ながら周りを固められるような大きな石がなかった。
帰宅最中にも探していたが、森には石そのものがあまりなかった。
石でカマドもつくれず、当然ながら焚き火台もBBQグリルもコンロもない。
地面の上で直接焚き火をするしかない。
日本のキャンプ場では禁止されている事が多い、直火というこの方法。
これがまた手間がかかるのだ。
男は草の生え方がおとなしい、草原と森の境界線近くの土を掘りはじめた。
しばらくして太陽が沈み始める。
手を止めて、日没を見ながら腰を伸ばした。
穴を掘る作業は腰にくる。
危ない危ない。
ぎっくり腰は勘弁。
念入りに腰回りの筋肉を伸ばしておく。
日没後作業を再開、穴は直径2メートルほどの円状、深さは30~40センチほどにした。
拾ってきた枯れ木や葉っぱの一部を穴の中に入れる。
周り1メートルほどに生えている草は全部抜いた。
石で囲めない分、万が一がないよう延焼対策だ。
ウサギのツノは穴掘り専用の道具になった。
無かったらと思うとぞっとする。
今や、無くてはならない頼れる道具だ。
ようやく火をつける準備が終わった所で時計を確認した。
午後の21時57分。
腰が痛い。
しかしまだまだ作業の終わりは見えなかった。
今日は徹夜じゃなかろうか。
次だ、次。
頑張ろう。
男は次の準備に取りかかった。
次はウサギを捌く為の準備だ。
ウサギを捌いて焼くだけなのに。
まだまだ準備は続いていた。
まな板は偉大だ。
木のつるを高い木の枝にセットしつつ、しみじみ思う。
まな板代わりとなるような石も見つからなかった。
重くとも確保しようと、丸一日探していたが残念だ。
ちょっと平べったいのが1つあれば、まな板にもフライパンにもなるのに。
あの森にはまともな石はないのだろうか。
だからといって地面に転がして皮を剥ぐのも切り分けるのも、衛生的に気が進まない。
またもや木のつるを使って、アンコウのように吊るし切りをすることに決めていた。
3匹それぞれの為の3本。
木のつるが足りないかと心配したが、なんとかセット完了。
ウサギの後ろ足を括り付け、ようやく捌けるところまできた。
ようやくだ。
だがここでタイムオーバー。
時間が来たようだった。
辺りはすっかり暗くなり、手元の確認がおぼつかなくなっている。
時計を見た。
午後22時37分。
この暗い状態でウサギを捌くのは難しいだろう。
どんな作業も難しい。
光の花が咲いて明るくなるまで、作業はお預けだった。
ちょうどいい。
休憩しよう。
腰も痛いし。
光の花が咲くまでは1時間半ほどある。
今日もよく頑張った。
自分で自分をねぎらう。
ゆっくりお月見でもしようと、男はスポーツバッグを枕に寝ころび、3つの三日月を眺めた。