美味しく食う義務
ウサギを追う祭り。
略してウサ追い祭りはまだ終わらない。
いやおっさん、逃げてるだけじゃねーか。
確かにウサギを追ってはなくて、逃げただけだが言ってはいけない。
祭りの名前が変わってしまう。
ゴロが悪い。
ウサギから逃げる祭り、略してウサ逃げ祭り。
カッコも悪い。
独りでいたって見栄を張りたい三十路の男。
意地も張りたい。
やさしく見守ってあげるとしよう。
祭りの名前に疑問は残るが、勝算通りの動きでまず1匹を仕留めた男。
腰を下ろして休憩を取っていた。
ウサギの血抜きが完了するのを待ちつつ、油断なく辺りを伺う。
他の獣がいないとは限らないのだ。
マイホームではない森の中、気は抜けなかった。
早く草原に帰りたいものだ。
時間を見る。
午前11時23分。
ひとまずの血抜きが終わったようだ。
「さてやるかな」
ハンティングナイフを手に立ち上がった。
木のつるで逆さに吊られているウサギに近寄る。
ここでは最低限の処理だけ行うことにした。
明日食べる分を入れて、あと2匹は欲しい。
時間がなかった。
今日食べる肉は硬いだろう。
熟成を待てない腹具合が、本日中の実食を強いてくる。
不本意ながら、空腹は最高の調味料という言葉を信じるしかない。
塩もない。
素材の味を知る勉強と思うことにしよう。
今日はダメでも明日こそは旨い肉。
ちゃんと美味しい肉を食いたいのだ。
硬直が解ける翌日以降に食うのが、一番のタイミング。
本当は翌日でも早すぎる。
しかし冷蔵庫もないこの場所で、2日も3日も寝かせるのは危険だった。
妥協して明日。
旨い肉になっている事を期待しよう。
ウサギに近づいた男はすぐそばで水を出した。
慣れたものだ。
奇人変人びっくり人間は森でも健在だった。
ナイフの刃を濡らし、まずは肉に臭みをつけてしまう腺を取り除いていく。
ウサギは彼だったようで、男性の象徴も早々に切り落とした。
これも肉の品質を守るため。
美味しく食うので許してください。
心の中で言い訳しつつ、手際よく作業を終える。
次に腹から喉下までナイフを入れた。
内蔵を取りにかかる。
肝臓、腎臓など、美味しく食べられる部分も今回は潔く諦めた。
もったいない。
だが命には代えられない。
ツノが生えていようとウサギはウサギ。
大雑把に決めつけた男でも、一応の警戒心は持っている。
衛生環境が良いとは言えないこの土地で、見知らぬ獣の臓物を食べるのは危険。
それぐらいの分別は持っていた。
素手で捌くのもどうかと思っているのだ。
ビニール手袋がないから仕方ないが、後で手はしっかり洗おうと思う。
全て取り終わると、水の出す位置を変えた。
腹の中に直接水が流れていくように調整する。
超能力だか魔法だか知らないが、便利なものだ。
「奇人変人びっくり人間サマサマだな」
内蔵を取り去った腹の中をきれいに洗っていく。
自由自在な空中蛇口はかなり役に立った。
さすがは水の支配者と言うべきか。
最後にウサギの頭を落とす。
皮を剥ぐのはマイホームに戻ってからの後回し。
頭を落とすのも後回しでもいいのだが、今やっておきたかった。
これから木のつるでスポーツバッグのベルトにウサギを吊り下げて移動する。
走りもするだろう。
ウサギの頭を無下に振り回したくはなかった。
頭はこの地に埋葬してあげたい。
つまらない自己満足だとわかっていた。
スーパーに並んだ肉は平気でも、皮を剥ぎ内蔵を取っただけの肉は見るのも苦手という人もいる。
男はどちらも平気だ。
しかしちょっと違うが、男も頭がついた獣はまだ死体と思えるのだ。
尊厳を持って扱うべき生き物の躯。
そして頭を落として初めて、肉としてみれる。
食える肉か、食えない肉か。
旨い肉か、不味い肉か。
料理人としての視点で味を考えることができる。
尊厳を持って扱うべき、尊い食肉。
任せろ。
美味く料理するから。
頭を落とせば、より強くそう思える。
命を美味しく頂く義務をちゃんと受け止めたい。
落としたウサギの頭に生えたツノを改めて観察した。
硬い。
動物の骨よりはるかに硬かった。
なるほど木に深く刺さるわけだ。
長さは30センチほど、白くまっすぐな円柱の形。
「使えそうだな」
ツノを切り取り、くっついた皮をはがし水で洗った。
早速使おう。
ツノを使い、土を掘って穴をつくり、ウサギの頭と内蔵を埋めた。
線香の1本、日本酒の一杯でも供えたいものだが、ないものは仕方ない。
せめてもと、手をあわせて祈った。
血が流れた後を水できれいに洗い流す。
次は血抜きをする前に穴を掘っておこうと思う。
白くて硬いツノは、今後も穴掘りに活躍してくれそうだ。
スポーツバッグの外ポケットに差し込んだ。
石鹸を使って肘までしっかり手を洗い、ナイフも洗う。
二匹目を追うべく、片付けを急いだ。