黄金の右手
朝からずっと流れ続けていた水がとまった。
昨晩の状況を再現しようとして草原に寝そべっていた男は、思わず半身を起こした。
何もない空中を凝視する。
そう。
何もない。
水がない。
空中から手品のようにあふれ出ていた水の流れは、もうどこにも見当たらなかった。
男の右手の動きにあわせたかのように、ピタリと水はその姿を消したのだ。
水音も聞こえない。
おそらく昨晩から流れ続けていたはずの水。
これほどあっさり見えなくなると、現実の事だったのかと疑問さえ出てきてしまう。
腹いっぱい飲んだあの水は幻だったのか?
不安が沸き起こる。
しかし、水の流れが落ちていたであろう地面は水たまりになるほど濡れていた。
よかった。
幻じゃなかった。
確かに水が流れていたという証拠がここにちゃんとある。
少し安心した。
昨日の晩は店の厨房にいるつもりになってた・・・・・。
浄水器のレバーが見えた気になって・・・・・。
レバーを押したつもりで右手を動かしたよな・・・・・。
半身を起こしたまま空中をみつめ、昨晩の出来事を反芻する。
あわせて右手を動かしたのは無意識だった。
店の浄水器のレバーがそこにあるのなら、水が流れるはずの動作。
「はぁっ・・・・・?」
水がその姿をあらわした。
何もない空中からあふれ、地面に流れ落ちている。
少し前に時間が戻ったようだ。
ちゃんと水音も聞こえる。
自分の目が信じられない。
流れ落ちる水を凝視し、しばらくして自分の右手に目線をうつした。
それからもう一度、空中の水を見る。
「・・・・・・」
今度は意図的に右手を動かした。
そこに浄水器のレバーがあると思って。
エアーで。
レバーを上げる。
店の浄水器のレバーがそこにあるのなら、水が止まるはずの動作。
果たして。
「止まった・・・・・・」
まさかの超能力か?
俺、目覚めたのか?
ホントに大草原の七不思議か?
連続して右手を動かしてみる。
見えたつもりの浄水器のレバーをエアーで押して、上げて、押して、上げて・・・・・。
何度も何度も繰り返す。
果たして空中の水は。
流れて、止まって、流れて、止まって・・・・・・。
何度も何度も男の右手についてきた。
水の流れを右手が支配している。
信じられない。
自由自在だ。
「黄金の右手かよ・・・・・」
そうしている内に、水の流れる場所や高さが朝とは違っていたことに気付く。
場所がずれている。さっきより近くなった。
高さもずれている。さっきより高くなった。
「・・・・・・・」
少し考えた男は、水を止め、座ったままくるりと180度向きを変えた。
先ほどとは違う方向を向いて、同じ動作を繰り返す。
見えたつもりの浄水器のレバーをエアーで押して、上げて、押して、上げて。
同じように右手を動かしてみた。
「・・・・・すげぇな、オレ」
空中の水は、流れて、止まって、流れて、止まって。
またしても右手の動きに水がついてきた。
空中で水が流れ始める場所や高さは、どうやら「レバーがある」と思い浮かべた所に影響されるようだ。
「レバーがある」とした所が、水の流れ始める起点となっているらしい。
「なるほど」
少し冷静になってきた。
奴との再戦は後回しだ。
ウサギ肉より目の前の水。
黄金の右手。
実験だ実験。
今日は実験するぞ。
実験分野が理科か、科学か、化学か。
そもそもナントカ分野と呼べるのかもわからない。
なんとも不思議な大草原だった。
今や立派な男のマイホーム。
ココで一句。
詠んでみたい。
「マイホームでの青空教室。本日開講。乞うご期待。」
残念。
一句・・・と思ったが、そもそも「一句」のルールがわからなかった。
たぶんこれは、ちゃんとした一句となってないのだろう。
それでもなんとなくゴロ良くまとまった事で良しとしよう。
男は冷静だったが、詠めもしない句を詠もうとする程度には調子に乗っていた。
おっさんだってワクワクする時もある。
せっかく急いで森に着いたのだが、大草原は男をはなしてくれないようだった。
さぁやるぞ。
楽しい実験を始めよう。
今日は長い一日になりそうだった。