大草原の七不思議
大草原6日目のお昼過ぎ。
たっぷりと水を飲みつつ、固いパンを食べ終えた男は荷物をまとめた。
そろそろ動こうと思う。
動くとなれば、まずアレだ。
奴との再戦。
今度は焼いて食うからな。
勝算はあった。
もちろんウサギ肉の品質を落とさない方法だ。
本音を言えば、体力的にはまだ遠慮したい。
だが食料事情を考えると、そうも言ってられない。
今日中にぜひともお遇いしたいものだ。
久々のタンパク質、たれはなくとも。
塩はなくとも。
「うまいぞ、きっと」
食う気満々。
あんな奴など怖くはない。
三十路の男が怖れるのは1つだけ。
いや2つ。
筋肉痛と肉離れ。
冗談ではない。
真面目なお話だ。
森でウサギに遭遇することを考えると、入念な準備が必要だろう。
男は信じていた。
筋肉は裏切らない。
三十路であっても。
へなちょこ筋であっても。
努力と工夫は報われる。
早速靴を脱ぎ、入念なストレッチを始めることにした。
ウォーミングアップのお時間だ。
だが気合を入れて始めてみたものの、なかなか集中できなかった。
流れ続ける水音が原因だ。
食事や水浴びなど、水が入用な時には当然の如く聞いていた音なのに。
水を全く必要としなくなった途端、気になって仕方がない。
地球に非ざる大草原の七不思議。
いつか7つを超えるんじゃないかと思う。
まだ7つも見つけてないのだが。
大自然の奇跡発見。
空中から流れ落ちる水。
ストレッチしながらも、気になって気になって仕方がなかった。
もったいない。
貧乏性か職業柄か。
使いもしない水が流れ続ける事に、妙に反応してしまう。
どうも落ち着かない。
気になる。
ストップ、水の無駄遣い。
そんな標語をどこかで見たような気がする。
「・・・・・・・」
いつしかストレッチをやめて、流れる水をまじまじと見ていた事に気付く。
この際だ。
じっくり考えよう。
こんな気持ちで前には進めない。
深く物事を考える事のない男が、珍しく目の前の不思議に向き合っていた。
今さらではあるのだが、本人は真剣だ。
流れる水を見ながら呟く。
「昨日の夕方はなかったよな・・・・・・」
かすかな記憶をもとに、昨晩のことを整理した。
異変が起きたのは暗くなってからだ。
水音に初めて気付いた時には、何も見えなかった。
大草原で前が全く見えなくなるのは、午後の22時半以降。
経験則だ。
光の花もまだ咲いていなかったから、真夜中にもなっていなかったはずだ。
ということは、22時半から真夜中の間に事件が起こっている。
となると・・・・・。
「・・・・ダメだ、なにもわからん」
男に探偵の才能はないらしい。
時間を絞り込んだところで、何のヒントにもつながらない。
見方を変えてみる事にした。
水音が聞こえた瞬間、その直前の記憶を辿る。
昨晩と同じように草原に寝そべった。
あの時、喉が渇いてどうしようもなく苦しかった。
水のことばかり考えていた。
店の水が飲みたくて・・・・・。
あの浄水器から流れる水が飲みたくて・・・・・・。
喉から手が出るほど飲みたくて・・・・・。
「・・・・・確か」
男の右手が動く。
青空の下、空に伸ばした。
そうだ、あの時。
勤める店にいる気分になっていて。
浄水器のレバーを押したのだ。
エアギターならぬ、エア・・・何と言えばいいだろうか。
蛇口をひねるのではなくて、店でやるようにレバーを押したのだ.
店の浄水器のレバーがそこにあるのなら、水が出るはずの動作。
見えないレバーを。
押したつもり。
エアーで。
そうしたら水音が聞こえた。
「・・・・・待てよ?」
どういうことだ?
改めて流れ落ちる水を見る。
次に青空に伸ばされた右手を見た。
まぶしい。
もう一度水を見た。
もう一度右手。
そのまま動きが止まる。
フリーズ。
1秒、2秒、3秒・・・・・・。
流れる水音が草原に響いている。
「・・・・・・」
右手でレバーを上げた。
エアーで。
見えないレバーを。
上げてみた。
店の浄水器のレバーがそこにあるのなら、水が止まるはずの動作。
ゆっくりと、でもしっかりと。
エアーな動作をやってみた。
「っマジかよ・・・・・」
水音が。
ピタリと止まった。
草原には、風が草を揺らす音だけが残されていた。