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異世界流浪の料理人  作者: 開けドア
森でお勉強編
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塩味のパンの思い出


「ふー、さっぱりした」



日本を思い出しちょっぴり切ない気分になりつつも、気を取り直して洗濯を終えた。

全身も洗い流し、気分も晴れ晴れ。

とは行かないものの、体を清めると気分もちゃんと上がってくれる。

妙なテンションの高さは既になくなっていた。



「さって、服着るか」



仕方ない。

生粋の裸族になるには覚悟が足らない。


まだ濡れた髪をタオルでガシガシと拭きつつ、文明人に戻ろうと思う程度には冷静になっていた。

服を着て、靴も履く。

タオルも洗い、洗濯物は固く絞って使用済み厨房着の入っていたビニール袋にまとめて入れた。

森で木のつるを手に入れ、早々に干すつもりだ。

荷物をまとめ、時間を確認する。



午前11時57分。



あと3分で正午だ。

起きたのが8時30頃だったから、3時間以上経っている計算になる。

思いの外、ゆっくりとしたシャワータイムだったらしい。

洗濯に時間がかかったのだろうか。



「飯にするか」



昨日夕方、森に入る前に食べたのが最後の食事。

不思議な水を飲んでも腹を壊すこともなく、それなりに腹が減っていた。

丈夫な胃腸に感謝だ。


大きな塊の半分だけとなったパンを取り出した。

これで最後と思うと感慨深い。

固いソレにかぶりついた。

有難く味わって食べよう。

不味くてもちゃんと感じる塩味に、店のオーナーの言葉を思い出す。

変わった人だった。




「イタリアのパンは売れないのよ!!」



いや、何言ってんだ、このねーさん。



初対面となる面接で、店の方針を力説する派手な女にドン引きした。

曰く、イタリアのパンは塩味がなさすぎる。

曰く、料理の添え物として店で出すぐらいしかできない。



いやだから、常識だろ?

イタリアのパンだから塩少ないんだし、店で出せればいいじゃねーか。



正直な感想は、面接という場で言うのは憚られた。

世の中いろんな人がいる。

とりあえず、はぁとうなずいてみせた。

ちなみに、イタリアのパンは総じて塩味が薄いと言っていい。

塩が手に入らなかった歴史的背景や、料理に合わせて塩味をおさえてきたという説があるらしい。

日本のコメと同じ立場と考えると、語るには時間が足りない物語があるのだろう。

塩が入っていないパンすらあるのだ。

実習で作ったが、ありゃマズかった。


オーナーは、流行りの言葉で美魔女と言うそうだ。

採用後、先輩に「いや、あの人ねーさんって呼べるトシじゃねーって」と聞いた。

認めよう、オレの目は節穴だ。

ただしねーさんと呼ぶのが、大事なルール。

職場の平和を守るルールには皆が大人しく従っていたものだ。


さて、世界で活躍する実業家が遅くに娶った美人嫁は、単なるトロフィーワイフにおさまらなかった。

自らも事業を展開し、やり手のキャリアウーマン。

その女性が夢だった土地に店を持つのは、かなりの苦労があったのは想像に難くない。


ヨソ者に厳しく、プライドの高い特殊な土地柄。

5代続こうが、10代続こうが、そんな歴史の「浅い」店は新参者扱いだ。

日本一の大都市で何店舗展開しようと、「ヨソさんとは違いますので」で終わってしまう。

表向きは親切で友好的に見えるだけ、懐に入り込むのは至難の業。

厄介な土地柄、日本一と言ってもいいかもしれない。

そんな所に「女性」が新店舗を開こうとするのだ。

男女平等のはずでも、残念ながら差別や偏見があったことは想像に難くない。

リーマンショック直後で、何年も根回ししていた契約があっさり進んだというのは皮肉な話だと思う。


しかし見た目の割には酸いも甘いも知り尽くしたオーナー、料理は素人でも経営はプロだった。

ウェイティングバーやワインセラーを備えた広いスペースに、絞った席数、2人以上のソムリエ、高給取りの料理人やサービスマン。

妥協なき食材。

それらをすべて賄う数字計算、経営計画。

理想を追う料理人にはどうしても甘くなる所だろう。

机上の数字を実現すべく、オーナーが現場に落とし込んだ方法の一つ。

それが「塩味を利かせたパン」だった。


手の込んだ料理とセットでしか食べれないパンでは、持ち帰り需要を満たせない。

生ハムや季節の瓶詰とセットにして箱詰めし、高級店のお土産として売り出すには、それだけでもちゃんと味のするパンが必要。

イタリアの味にこだわりすぎて、売り上げを落とすなら日本でやる必要はない。

本場の味で(オレらの)メシは食えない。

オーナーの方針で、店は本格的イタリアンを謳いつつも、全て日本の味覚にあわされていた。

カルボナーラだって、ちゃんと「日本のカルボナーラ」だ。


だから今食べているこのパンは、塩味が効いている。

料理がなくとも、パンだけ食べてもちゃんと旨い。

・・・・・・まあ今は日が経ちすぎて不味いけれども。



「ねーさんに感謝だな」



オーナーのおかげで生き延びている。

この数日、足りないながらも水は確保できた。

だが大草原で塩を確保するのは、なにがどうしたって無理な話。

炎天下でなくとも、塩が足りなきゃ命に係わる。

このパンがイタリア本場の味ならば、とっくに体を壊しているだろう。


この先一生会えなくとも、縁が切れるわけじゃない。

どんなに遠く離れていても。

つながっている。

そう思いたい。


ねーさんの決めた味は体の中に。

ねーさんのすごい教えは心の中に。


頼れる姿を懐かしく思い出しつつ、男は最後のパンを食べ終えた。


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