誇りを持て
空に浮かぶのは月が4つ。
満天の星と月たちに見守られながら、男は懸命にストレッチに励んでいた。
何もせずとも体が痛いのだ。
ストレッチなんてさらに痛い。
イタ持ち良いなんて、誰が言った。
普通にイタイ。
ホントに辛い。
無理して筋肉や筋を伸ばすのは厳禁とわかっていた。
だからもちろん無理した伸ばし方はしていない。
ごくごく普通のストレッチ。
なのに辛い。
普通にキツイ。
だがこれも明日の為。
明日も普通に歩くため。
できる範囲で筋肉痛をどうにかしようと足掻いていた。
しかしどうにもできない深刻な問題がある。
「ウサギマラソン」にトドメを刺された。
水がないのだ。
喉が痛い。
この痛みはどうにもならない。
水なんて何時間も前に飲みきっていた。
一滴もない。
なのに水を求めて森に入り、ウサギに全力疾走させられる始末。
渇いた体から汗としてさらに水分を絞りとられていた。
もうこの痛み、どうしようもない。
辛い。
喉の痛みを我慢しつつ、小一時間ほどかけてストレッチを終わらせた。
次は着替えるとしよう。
大草原に来てから靴下だけは一度替えたが、ちゃんと着替えるのは初めてだ。
どうせ着替えた所ですぐに汚れてしまう。
大地が寝床の毎日だ。
もったいなかった。
洗濯もできないし。
わざわざ着替えるのも面倒だった。
しかし今や、乾いてきたとはいえ全身が汗でびっしょり。
この喉の痛みを抱えたまま体を冷やすと風邪を引いてしまう。
風邪は万病のもと。
広大な大地がホームな生活では、風邪は命に関わる。
過ごしやすい気候とは言え、朝露が出来るほどの気温変動があるのだ。
非常に危ない。
スポーツバッグの中から着替え一式を取り出した。
全て、今着ているものと同じ種類だ。
黒い長袖Tシャツにカーゴパンツ、トランクスに靴下。
洒落っ気などみじんもないが、清潔であればそれでいい。
唯一、カーゴパンツだけはこだわりのお品だった。
もちろんオシャレなどは関係ない。
ポケットがたくさんあり、便利なのだ。
しかし厨房靴もそうだったが、「お泊りセット」が入っていて本当に良かったと思う。
汗を拭くタオルがないのが辛いのだが、2本しかないタオルは汚せなかった。
飲み水を得る貴重な道具だ。
仕方なく、脱いだばかりの少し乾いたシャツで汗をぬぐうことにした。
ストレッチする前に靴は脱いでいたが、そのまま立ち上がる。
大草原で躊躇なく真っ裸になった。
この解放感。
「うぉーっ・・・・・」
・・・・変態とは言ってくれるな。
誰も見てないからセーフだろセーフ。
自分で自分に言い訳しつつ、裸族の解放感を満喫する。
服を着るのが面倒になってきた。
少し考える。
いやいや、俺は文明人。
大草原に文明はなくとも、誇りを持てだろ。
「・・・・・・・・・・」
仕方ない。
服を着よう。
ヒトとして大事な何かを守るため、渋々服を着る事にした。
のろのろと着替える。
少しつめたい肌触りが心地よかった。
トランクス、長袖Tシャツ、カーゴパンツの順番に着替える。
靴下を履くために座り込んだ。
「・・・・・・」
見ると、足裏は腫れてマメがつぶれ、ヤバい事になっている。
包帯ならともかく、靴下でおさえつけるのは如何なものか。
靴下は明日履くことにした。
今日はもう立ち歩かないことにしよう。
それにしても洗濯ができるのはいつになるだろうか。
汚れもの一式は、せめて汗を乾かそうと草の上に広げる。
そんなに強くない風だから、飛んでいくことはないだろう。
着替え終わると、少し気分も良くなった。
しかし喉の痛みはひどくなるばかり。
裸族の解放感から声を出したことさえ後悔してしまう。
痛い。
辛い。
寝転がりつつ、時計を見た。
午後は23時34分。
水が手に入るのは明日の朝。
まだ何時間もある。
それまで持つだろうか。
男は狂おしいほどに水を求め、思い描いた。