よし、決めた
革手袋をはめた手で触れた、名も知れない木の幹。
ごつごつしている・・・・ように思う。
バイクの冬用完全防備な手袋とは違い、男が使っているのは薄い革手袋。
その薄い革が1枚はさまれただけの感触だったが、物足りなかった。
もっと触れてみたい。
残念ながら色気のない欲望だ。
素手でもかぶれることはないだろう。
手袋をとり、両手でそぉっとさわってみる。
「はぁー・・・・・」
癒される。
体の疲れを木が吸い取ってくれるような気がした。
風呂にでも入ったような気分に近いかもしれない。
目を閉じて、心地よさに身をゆだねた。
十分に満足した男は、手をはなし、木を背もたれにして座り込んだ。
靴を脱ぎ、斜め掛けしていたスポーツバックのベルトを外す。
この解放感。
本日初めてとなる、腰を据えた休憩だ。
下ろしたスポーツバックの中から、最後のパンが1つだけ入った紙袋を取り出した。
本日、2食目。
相変わらず固い。
時間をかけて半分をちぎり取った。
これでいよいよパンの残りは塊の半分だけとなった。
ちなみに水はない。
今日もとっくに飲みきっていた。
パンをかじりつつ、これからどうするか考える。
このまま森に入るか否か。
安全を考えるなら、今日は山に入るべきではない。
日暮れに向かうからだ。
日本よりはるかに日照時間が長いとしても、暗くなるまで残された時間は少ない。
時計を見た。
午後17時24分。
でも水は飲みたい。
体の渇きは限界を超えていた。
さてどうするか。
経験上わかってきた草原の明るさパターンを整理する。
日没は20時半前後。
その後、薄暗くとも、前がしっかり見える時間が続く。
22時半頃、辺りを見るのが難しくなるほど暗くなってくる。
星明り、月明りだけの時間を経て、真夜中を過ぎるとイルミネーションが始まる。
だいたいこんな所だろう。
「よし、決めた」
森に入ろう。
すぐに大草原に出てこれるような森の浅い所を探検しよう。
コンパスもない中、遭難は避けたかった。
かと言って、帰れる所もない今、既に遭難している最中だとは気づいていない。
男の中では、大草原がホームになっていた。
なんたって大地が寝床、文字通りホームグラウンド。
安心安全のお住まいはなくとも、良く寝れる。
今のところ、森はアウェイだ。
「ちょとだけよ・・・・・ってか」
古い。
今どき、このギャグをわかる人は少ないだろう。
しかしそうと決まれば善は急げだ。
ちょうどパンも食べ終わった。
パンが入ったビニール袋を、しわくちゃの紙袋に入れてスポーツバックにしまう。
かわりに底板替わりにもなっているアタッシュケースを取り出した。
男のお仕事セットの主役、特注の包丁ケースだ。
この銀色を見るのも久しぶりだった。
懐かしい気分すらしてくる。
もちろん、危ないことをするつもりはない。
しかし森に入るのだ。
どんな動物がいるかもわからない。
身を守るナイフぐらいは持っておくべきだろう。
ナイフ一本でどれだけ危ない動物から身が守れるかはわからない。
だが準備だけはしっかりと。
いよいよサバイバルらしくなってきた。
プロとの料理人として、和も洋も扱う男の包丁ケースには、多彩なアレコレがおさめられている。
だからこその特注だ。
高かった。
そのかいあって、和にも洋にも属さない特別な1本も入っていた。
アタッシュケースのロックを解除し、カパッと開ける。
ずらりと並ぶ中から1本を選んで取り出した。
「頼むぜ、相棒」