パンの誓い
大草原4日目、太陽が地平線に沈もうとしていた。
ただいまは午後、20時37分。
相変わらず日没時間はおかしい。
男は座り込んで太陽を眺めた。
座ると立てなくなる気がして、立ったまま数分の休憩をはさみつつ歩き続けたのだが、ギブアップだ。
もう足だけではなく、全身が痛い。
今日は距離を稼ぎたかった。
それでも、これ以上は歩けない。
辛い。
疲労困憊だった。
しかし頑張ったおかげで、山脈はかなりはっきり見えてきた。
東西、横一面に広がっているのがはっきりわかる。
男の行く手を阻むかのようだった。
一言でいうと壁だ。
当初から目指していた一番高い山は、近づくにつれて迫力を増している。
そびえ立つという言葉がよくお似合いだ。
下手したら富士山よりも高いかもしれない。
ただし、高い山はそれ1つだけ。
横に連なる山々は、せいぜいがその半分ぐらいだった。
低いから、遠目では見えなかったということか。
ここも丸い惑星なのだろう。
「地球は丸かった」を実感するとは皮肉なものだ。
丸いから低い山々が地平線の向こうに隠れてしまっていた。
そういうことだ。
「・・・・・・でもここは地球じゃねーし」
太陽を見送りつつ、独りごちた。
そのまま寝る体制に入る。
真夜中のイルミネーションは見逃せないが、それまで仮眠を取るつもりだった。
念のため、23時半に腕時計のアラームをセットする。
3時間近くあるから、だいぶ回復できるだろう。
「ピピ、ピピ、ピピ、ピー」
満天の星と月たちが見守る静かな大草原に無粋なアラーム音が鳴り響く。
4日目、夜の23時半を伝える音だ。
男は目を開き、腕時計のアラームをオフにする。
どちらかと言えばアラームが鳴る前に目覚める性質だが、全く気付かなかった。
安心安全のお住まいじゃなくとも、普通によく眠れる。
「・・・・俺って図太いのかもな」
ぼんやりと夜空を眺めつつ苦笑してしまう。
月が4つ浮かんでいるのが見えた。
残念ながら痛みがあちこちに残っているが、体は軽くなったような気がする。
よしよし、狙い通り。
固まった体をストレッチで伸ばし、体を起こす。
続けて靴を履いて立ち上がり、さらにストレッチを入念に行った。
徐々に体が温まってくる。
「寝て正解だったな」
万全とは言えなくとも、まあまあ合格だろう。
「よし、じゃあ飯にするか」
水が欲しい所だが、何時間も前に一滴残らず飲み干しており、我慢するしかなかった。
仕方ない。
今日は疲れすぎていて、朝寝後と昼寝後の2回しか食べていない。
日付が変わる前に3食目を食べ始める事にした。
パンはまだ塊が2個、手つかずで残っている。
だがそろそろ顎が疲れる固さになってきた。
日本だったらこんなもの、絶対食べたくない
というより、食べない。
「カビてないだけマシか」
いつもより多めの、塊の半分を食べることにした。
固いパンは何回も咀嚼が必要になり、唾液で渇きが少し緩和するような気がする。
ちょっとした発見だ。
それでも飲み込んだ後に、渇きはひどくなる。
嫌な堂々巡りだった。
残りは1個と半分。
明日には全部食べてしまうつもりだった。
いつか、また焼きたてのパンを食べよう。
絶対に。
いつか。
また。
食べてやる。
固いパンをかみしめながら、心に誓う。
ちなみに「どこで」「誰がつくった」焼きたてのパンを食べるかはあまり考えていない。
日本だろうが、どこだろうが関係なかった。
パンがまずい。
旨いパンが食べたい。
それだけ。
もっと他に誓うことがあるんじゃないかというところだ。
例えば日本に帰るとか。
料理人のプライドにかけてー・・・・・とか。
何か他にないのか。
異世界の大草原で、生きるか死ぬかの脱出劇を演じている三十路の男。
その男がたてた、記念すべき初めての誓い。
何とも気の抜けたものだった。
いいのか、それで。
しかし男は大真面目に誓っている。
どこか呑気な男だった。
固いパンを食べ終わる前に、本日も真夜中のイルミネーションが始まった。