靴って大事
明日、明後日には山に入れるのではないだろうか。
3日目の晩を迎え、期待通り5つの月の昇る所をしっかりと眺めた。
当然徹夜だ。
真夜中のイルミネーション、続くフィナーレの花火も存分に堪能した。
そして迎える大草原4日目の夜明け前。
男の1日は、この日も水の確保から始まった。
大切な作業だ。
この2時間弱の作業が男の命を繋ぐ。
それにしても喉が渇きすぎて、痛みすら感じる。
辛い。
早く水を集めないと干からびてしまう。
ご来光を悠長に眺める余裕などなかった。
一滴でも多くの水滴を集めなければならないのだ。
両足2本に巻いたスポーツタオルを搾り取った1回目、水はペットボトル半分にも満たなかった。
全部飲んでしまったが、まだまだ足りない。
その後も懸命に水滴を探して歩き、2回ずつ搾り取る。
慣れたものだ。
しかし今日は調子が出ない。
結局、500㏄のペットボトルを満たすことが出来なかった。
瓶の出番もなく、作業が終わった途端どっと疲れを感じてしまう。
ようやく朝寝の時間だ。
昨晩から立ちっぱなしの体を草原に横たえると、全身の痛みに気付く。
何をどうしたって、痛い。
確かに毎日数十キロを歩き、寝るのは地面。
頑丈な体もさすがに悲鳴を上げていた。
決して三十路だからではない。
断じておっさんだからではない。
無理をしているから体がアチコチ痛いのだ。
「寝たら少しはマシになるか・・・・?」
のろのろと厨房靴を脱ぎ、午前10時に腕時計のアラームをセットする。
そのまま、気絶するように眠った。
数時間後、アラームが鳴り響く中で男は目覚めた。
早く起きて歩かなければ。
体を起こそうとするが、力が入らない。
地面が凹んでるんじゃないかと思うほど、体が重かった。
仰向けのまま、だるい腕をあげて時計を見る。
午前10時17分。
10時から数分置きに鳴るよう、スヌーズ機能をONにしていたのだが、既に何回も鳴っていたようだ。
全く覚えがない。
時間がざっくりと切り取られたような感があった。
動かないものは仕方ない。
寝ころんだまま、ストレッチを試みる。
たいしたもので、数十分も続けていると固まった体もゆっくりほぐれていくようだった。
「よいしょっと」
やっと起き上がれるまでに復活できた。
体を起こして胡坐をかき、靴下を脱ぐ。
足裏を見ると、マメは潰れ、全体的に腫れていた。
痛いはずだ。
たった3日、歩いただけなのに。
腫れてしまっているので、足裏をマッサージするのは憚られた。
とりあえずふくらはぎを揉んでみる。
固い。
あまり効果がわからなかったので、5分も経たずにやめてしまった。
歩くには使わないはずの腕だって、何故かひどくだるい。
満身創痍とはこういう事をいうのだろうか。
それにしても、靴がなかったらと思うとゾッとする。
突発的な出張に備えて、靴と包丁ケース、厨房着などのお仕事セットはいつもスポーツバッグに入っていた。
単にいちいち出し入れするのが面倒だったということもある。
だが今回、本当に助かった。
今のところ包丁の出番はないが、山では必需品のはず。
活躍してくれるだろう。
ちなみに厨房靴はかなり値の張るものの、同僚の間でも人気の品だった。
料理人の痒い所に手が届いた仕様だ。
滑らないよう、裏にはしっかりとしたゴム。
長時間の立ち作業に耐えられるようクッション性も抜群。
厨房掃除で勢いよく床に水を流しても、靴の中には水が入らないように設計されている。
これすごく大事。
バスケットシューズでいうなら、ハイカットタイプデザイン。
ブーツのように少しカサが高く、足首周りを覆ってくれる。
履くのに少し手間がいるのだが仕方ないだろう。
当然ながら防水仕様だ。
激務を支える靴は1年ほどでダメになるが、男は毎年同じものを購入していた。
この靴は忙しくなる秋を前に新調したばかり。
ちょっと汚れてしまっているが、まだまだ元気そうで安心する。
この先も長く、頼りになりそうだった。
落ち着いてきた所で、本日の1食目を取り出した。
パンは随分固くなってしまっている。
カチカチに近い。
大きな塊の3分の1だけ、苦労してちぎり取った。
寝ると体は楽になるが、喉の渇きがひどくなるような気がする。
水は2口だけに留めた。
余計に水が欲しくなるのが辛かったが、ぐっと我慢して咀嚼する。
パンは固いがまだ旨いと感じた。
これでパンの残りは、塊が2個と、3分の1。
急がねば飢えがくる。
「今日は距離を稼ぐぞ」
洗い替えの靴下に履き替え、痛みをこらえて靴を履いた。
荷物をまとめて立ち上がる。
男は仕事に使う道具には躊躇なくカネをかける主義だった。
独立した大工である父親の影響である。
金銭が何の意味も持たない大草原では、出来の良い厨房靴は何にも勝る財産だった。
良い靴は良い場所に連れて行ってくれる。
大草原4日目。
今日もまた、男は山に向かって歩き始めた。