玖
高校に入学して初めての夏休みに入ったみやびの日課は屋上の神社の掃除から始まる。朝早起きをして狛彦と狛丸に手伝ってもらいながら、神社の掃除をするのだ。
いつもは掃除が終わったら、散歩がてら土地神の務めとして自分の担当区域を見回りにいくのだが、今日は留学しているかなでが帰ってくる日だ。夕方到着するので、空港まで父と迎えに行く予定になっている。
いつもどおり神社の掃除をしていると、鳥居の一つから神気を感じる。訝し気に鳥居を見るとぬっと男性が出てきた。着物を着ているのだが、髪型が派手で何やらチャラい。男性はみやびに気が付くと駆け寄ってくる。
そして――
「スセリ! 会いたかった!」といきなり抱き着いてこようとしている。生まれてこの方父以外の男性に抱き着かれたことがないみやびは、反射的に持っていたほうきで男性の頭を殴った。
「で、殴ったら気絶したのか?」
男性を殴った後、家に父を呼びに行った。不審者にいきなり抱き着かれそうになったと……。
「だってびっくりしたから。生きてるよね?」
気絶した男性をほうきの柄でつんつんと突く。突かれたところがぴくっと動いたので、生きているようだ。父は冷めた視線で男性を見下ろしている。
「こいつは……オオクニヌシじゃねえか。大方かなでと間違えてお前に抱き着こうとしたんだな。不埒なやつだ」
そう吐き捨てるようにいうと男性を蹴り飛ばした。
「今、オオクニヌシって言った? 出雲大社に祀らているあのオオクニヌシノミコト?」
「そうだ」
気絶している男性はオオクニヌシノミコトだ。みやびの顔が青くなる。
「どうしよう!? 神様を殴っちゃった!」
「気にするな」
屋上に放置しておくにもいかないので、オオクニヌシを父に頼んで家に運んでもらった。
「こんな奴は放っておけばいい」
「そんなわけにもいかないでしょう? この人神様なんだよね」
濡らしたタオルをオオクニヌシの額にあてる。しばらくすると、むうと唸り目を覚ました。
「あの……大丈夫ですか?」
がばっと起きるとオオクニヌシは再びみやびに抱き着こうとする。
「スセリ! ひどいではないか! 夫をいきなり殴るなんて!」
抱き着かれる寸前、父がオオクニヌシの襟首を掴み止めてくれる。
「スセリじゃねえよ。よく見ろ。この馬鹿たれ」
「え?」とオオクニヌシは懐から眼鏡を取り出すとみやびをじっと見る。
――瓶底眼鏡だ。今時珍しい。神様でも視力が落ちるのかな?
「瞳の色が違う。お前は誰だ?」
「俺の可愛い娘をお前呼ばわりするな。阿呆」
父はハエたたきでオオクニヌシの頭を叩く。神様に対してひどい扱いだ。父も神様ではあるが。
「スサノオ様の娘? スセリにそっくりだな。双子なのか?」
「そうです。一応この辺りの土地神をやっています」
瓶底眼鏡をかけたオオクニヌシはじろじろと無遠慮にみやびを眺め回す。
「変わった神気だ。スサノオ様にこのような娘がいたのですか?」
「お前は知らないだろうな。黄泉比良坂を守っていた闘神でハシハナヒメだ」
眉根を寄せるとオオクニヌシはわっと床に伏せて泣き出す。
「私としたことが穢れた黄泉神と愛しい妻を間違えてしまった!」
「おい! 娘を侮辱するな!」
再び父はハエたたきでオオクニヌシの頭をバシバシ叩く。
「黄泉の神は穢れているのですか?」
「こんな奴の言ったことは気にするな」
オオクニヌシは額に載っていたタオルで涙を拭うとじろっとみやびを睨む。
「地上の神は黄泉の神を嫌っている。黄泉は死者の国だからだ」
「なるほど」
日本神話を思い出す。オオクニヌシノミコトは根の国に来た時にスセリヒメと恋に落ち結婚した。娘をとられて悔しい父の妨害にもめげず。
そもそも黄泉の国と地上は岩で閉ざされている。生者と死者は相容れぬ存在だ。それは嫌われるだろうと妙に納得した。みやびは十六歳の少女だが達観しているところがある。その点では時々大人気ない父より大人かもしれない。
「お前はもっと怒っていいぞ。みやび」
「でも、オオクニヌシ様の言うことにも一理あるし」
ほおとオオクニヌシが感心した声を出す。
「お前は黄泉神にしては見どころがある。さすがはスセリと双子なだけはある」
「偉そうに言うな! ところでお前は何をしに来たんだ?」
思い出したというようにオオクニヌシはぽんと手を叩く。
「神在月の招待状を渡しに来たのだ。私自らスセリだけに」
「かなでは夕方に帰ってきます。もうすぐ空港まで迎えに行きます」
オオクニヌシの顔がぱあと輝く。余計なことを言うなと父に睨まれる。
「スセリが帰ってくるのか? 私も空港まで迎えに行くぞ! 構わないな」
「「えっ?」」
スサノオとみやびの声が重なる。
何やら大物の神様が出てきました。父も大物か。
ここまでお読みいただきありがとうございました(*^▽^*)