紫女と赤男 その5
「なぁ…!?」
ここまでの経緯を聞いたアルフォードが思わずそこで話しを遮ってしまう声を発した。
「ごめんごめん。 本当にその時は助けてくれた相手に向かって吐瀉物を吐きかけてしまったなんて、何してんだって逆ギレされても仕方ないことをしでかしたと思ったよ」
「思ったで済んだら、俺のこの驚きをどうすればいんだよ……」
「でもでも、済んだことだし。 それに汚した服と鎧はちゃんと綺麗にしておいたから」
「……まあ、良いとして、それから吐瀉物塗れの俺はどうしたんだ。 一向にその時の事が思い出せないから続きを聞くが」
「ああ、そうだったね。 それで続きを話すけど…」
エウェラから吐瀉物をかけられたアルフォードはその場に硬直し、状況を把握して謝罪の言葉を言いつつどうしたらいいか、考えていたエウェラは…
「えっと、まずもう一度謝罪させていただきます。 本当にすいません!」
「………」
「それで、この近くに私が滞在している宿屋がありますから…」
「わかった」
エウェラが何か続けて話そうとしたが聞く前にアルフォードが言葉を遮った。そして、
「今はとっととこの汚れを落としたいし、このままじゃ、店に飲みにも行けないから、サクッと案内してくれる」
「はい、喜んで!」
そしてエウェラが先導しつつ、なるべく人通りの少ない道を進んでエウェラと連れが滞在していると言う宿屋にたどり着いた。
彼女達の部屋は1階の端の方にあり、部屋に浴室が備えてあるタイプの宿屋であったため他の客に気にすることなく汚れを落とすことができた。
吐瀉物をかけられたと言っても、殆どが上半身の部分だけにかかっていたため、ズボンや靴は汚れずに済んだ。
部屋に入るなりざっと中を見回したアルフォードが
「他に誰か居るのか?」
と呟く。
「ええ、もう1人居ますよ」
「2人… なるほど、仲間と一緒に泊まっているって訳か」
「そうそう、今は町に出払ってるみたいだけど。 そんなに遅くまで出歩くタイプじゃないから、そろそろ戻ってくるとは思うんだけどね」
「なら、さっくと汚れを落とさせてもらうぞ」
「どうぞどうぞ」
エウェラは浴室の方を指差し、アルフォードはそのまま浴室に向かう。それから15分も経たないうちにアルフォードが浴室からひょっこりと出てきた。
「なー、汚れた服の代わりのなんか上に着るものか羽織る物ないか? 湯冷めして身体が冷えちまう」
「えっ、なに?」
「ん?」
返答の声に違和感を感じたアルフォードは椅子に座っているエウェラへと近づき違和感の正体を知った。
「なぁ!」
最初見たときはエウェラの身体で隠れていて見えなかったが近づいてみると机の上に酒の空瓶が3本も置いてあった。
それを見てから再びエウェラの方に視線を向けると、彼女は緩んだ目と口をしており、その緩んだ口元からは飲んだ酒なのか涎なのかわからないものが滴っていた。
「おいおい、ついさっき飲み過ぎて俺に吐いたやつが、なにまた飲み始めてんだよ…」
呆れ顔のアルフォードは右手で頭を抱えながら項垂れた。そんなアルフォードを見てエウェラは
「どうしたぁ、元気ないならあんたも飲みなよ!」
呑気な声でアルフォードを励ましながら片手で新しい酒瓶の栓を開けたエウェラはその酒をアルフォードの方へと差し出した。
「って、お前なに進めて…」
「ほらほら、ぐびっと! ぐびっと、一発!」
ぐいぐいと酒瓶を押しつけてくるエウェラに負けてアルフォードは酒瓶を受け取った。
「わかった、でもちょっとだけだぞ」
そう言ってアルフォードは受け取った酒瓶に口をつけ、中身の酒を喉へと流し込んだ。
「んぉ!?」
瞬間、アルフォードの表情が一変した。
「うんめぇーー! なんだこの酒!!」
「へへん、良い酒でしょ。 この町からもう少し北に行ったところにある、『ポクラ』って村で作ってる酒で酒付きの者達の中では有名な酒よ」
「へー! そいつは良いこと聞いた」
「ほらほら、立ってないで腰かけながら飲みなさいよ。 良い肴もあるから食べなぁ」
「なら、ちょっとだけ」
そして酒の量は増え、ちょっとだけを通り越して飲みに飲んで今の状況に至たっていた。
「なるほど…… あー、あれだな、あの酒うまかったなぁ…」
「まだ、あるけど飲む?」
「いや! 止めとく」
さすがにこれ以上飲んでいられないし…… ん?そう言えば、今何時だ? 朝なのは間違いないが、早く宿に戻らないとリュオンのやつになんて言われるかわかったもんじゃないな。
「なー、今何時だ?」
エウェラに訪ねると彼女は立ち上がり、椅子にかけていた上着のポケットに手を入れるとポケットの内から自分の手の平サイズの懐中時計を取り出して時間を確認してくれた。
「えーっと、今は10時を回ったところ」
「10時! 昼前の!」
時間を聞いて驚くアルフォード。
「えっそうだけど…」
「まずいな、さすがにこれ以上はリュオンに怒められる。 俺の上着と鎧は洗い終わってるか」
「洗面台の脇に置いてあるよ」
エウェラに言われベッドから起き上がると浴室の方へと向かうアルフォード。洗面台の脇には綺麗に畳まれている上着と外していた装備品が置かれていた。アルフォードは手早くいつもの格好へと整え、また部屋の方と戻る。
「連れがいたの?」
「ああ、本当は日を跨ぐ前には宿に戻るつもりだったけど、予想外な展開になって連絡も何もせずにいたから。 早く戻らんとさすがにマズイ状況になりそうな予感がする」
「その口ぶりからすると前にも似た様な事した感じでしょ」
「えっ? あー、前にもいろいろとあってこんな風に連絡せずに何食わぬ顔で戻ったら…… いや、思い出したくない…」
口をつぐんだアルフォードは忘れ物がないか部屋内をぐるっと見渡すとエウェラに
「じゃあ、また縁があったら酒でも飲もうぜ。 後、1人でいる時は飲み過ぎるなよ」
と言い残して部屋から出ていった。
部屋に残ったエウェラは空いた酒瓶を片付けながら、
「良いやつだったなぁ」
独り言を呟いていた。
アルフォードは宿屋の出入り口から正面の道に出ると人通りの多い方へと進んだ。この町に滞在して3日目、少しは町の道を覚えていたアルフォードは記憶を頼りに道を進み自分達の宿屋へと向かっていた。
だが曲がり角で…
「おっと!」
「おっとと!」
道先から歩いていた人とぶつかりかけたアルフォードは一旦後に下がる。
「悪いな、急いでたもんで」
軽く相手側に謝る。するとぶつかりかけた相手側の男が
「チッ! 気をつけろって…お前は!」
「えっ?」
「やっと見つけたぞ!! この野郎!」
そうアルフォードに対して怒り剥き出しで話している男は昨日アルフォードがエウェラを助けた際に倒した男達のリーダー格の男であった。
「えっ、誰?」
ちなみにエウェラとの話しの通りアルフォードはエウェラを助けた間の記憶が抜けている為、相手の男が何故自分を見て怒っているのかはすぐにはわからなかった。
しかし、今までの経験上でこういった状況によくなるアルフォードは相手の身なりや顔の特徴などの部分から、相手の性格などを判断して相手と自分との関わりなどをその場で判断する事は得意としていた。
服は綺麗ではなく靴も汚れが目立ち、剥き出しにしている歯は黄ばみが目立つ。 その上でさっきの言葉使いからして俺と友好的な関係では無さそうであり、昨日の夜の間に俺と何かしら合った可能性が高い。
そうなるとおそらくはエウェラを襲った連中の1人て可能性が高い。
「てことは……」
アルフォードは嫌な予感を感じその場から離れようとしたがそれに気づいた男が怒鳴り声を上げながらアルフォードの左腕を掴もうとした。
「待ちやがれ!」
「おっと!」
危うく捕まれそうになった腕を引っ込めてそのまま勢いをつけて身体を反転させて走り出すアルフォード。
男の方は掴もうとして出した手が空振りに終わり前方へと態勢を崩したが直ぐにアルフォードを追いかけて走り出していた。男は走りながら大声で近くに居るであろう仲間達を呼んだ。
「おーい! やつが居たぞ、俺の声がする方に集まれ!!」
男が発した声を聞き近くに居た仲間の男達が次々と男と合流しする。
アルフォードはそれを目の端で確認しながら大通りを避けて狭い路地へと進む。そして一旦男達との距離ができ視界から外れたところで身体強化魔法を施し、勢いをつけてから壁を足場に一気に上へと駆け上がっていき建物の屋根へと到達すると直ぐさま身を潜める。
そして何も知らない男達はアルフォードが頭上に居ることに気づかないまま路地の先へと走っていった。それをこっそりと確認したアルフォードは暫し屋根の上に留まり走って乱れた呼吸を整えながら今の状況整理をする。
今のところ俺を追ってきてるやつら数は4、5人ってとこだが、あれだけでかい声を出してたってことはもう少し人数がいるかもしれない。
それに宿屋とは反対方向に逃げちまったせいで、随分と遠くなっちまった。 今ごろリュオンのやつ怒ってるかもなー、いや1人で依頼でも探しに組合に……
………組合、そうか、そうだよなぁ! 可能性が無いわけでないんだから、何も宿屋に向かわなくても組合の建物に迎えば…… いや、でも……
でも、さっきのやつらも冒険者なら、組合の建物やその周辺で網を張ってるかも知れない、時間をくわれるのは嫌だな。
アルフォードは頭を出し過ぎないように注意を払いながら下の路地を見下ろしてから広い通りに面した方へと移動する。
「よっこらせ」
下を行き来してる人に気付かれないように下を見下ろし、追ってきた連中又はその仲間ぽそうな者が居ないか確認してから。冒険者組合の建物の方へ屋根伝いに移動する。
なるべく早く組合に到着したいアルフォードであったが、人目につかないように移動しているので少々遠回りをしていたが無事に組合前までに到着した。
到着するなり近くの路地へと降りたアルフォードは周りを確認してから組合の建物へと向かった。
エウェラから聞いた話しではその場に居たのは4人だけだったとの話しであった。
その為、いくら他の仲間を集めたところでアルフォードの顔を知ってる者がいなければ何も隠れることもない上に外見の特徴などを教えられていてもそれが本当に本人かどうかを判別する術も無いことといくら頭の悪いやつでも組合の建物内で騒ぎを起こすようなことはしないだろうと判断したのであった。
その為顔も隠さずに普通に歩いているアルフォードは視線に気づかれないように周囲への注意を払っていた。そして建物のドアに手をかけようとした瞬間にドアが開くのを察して一旦伸ばした腕を引っ込めると道を通りやすいようにと後ろに身を少し引いた。
とここでドアを開けた人物と目があったかと思うと互いに
「あっ!」
と思わず出した声が一致し、その途端にアルフォードは身体を反転さ一目散に走り出していた。そしてその後をドアを開けた男、いや男達が追ってきた。
運が悪いことに組合の前でさっきの男達と出会してしまったアルフォードは考えるよりも先に身体が動いていた。
「運わぁる!」
「待ちやがれ!!」
「待てって言われて『はい待ちます』なんて言うやつがどこに居るんだよ!」
「男なら逃げずに戦え!」
「嫌なこった!」
狭い路地を駆け抜け人通りの多い道へと出ると人混みに紛れて男達を巻うする。
「おっとごめんね」
人混みの中を急足で進むアルフォードは何回か人とぶつかりその度に軽く謝っていく。その後を男達は人混みを気にせずにどんどんと進んでくる。その際にぶつかった人達と口論になっていたが気にせずにアルフォードの後を追ってくる。
他人のことはお構いなしかよ。
アルフォードは左側にあった路地へと駆け込み、進んだ先の丁字路を右へと進み、入り組んだ路地を進んでいたが最後に曲がった先の道が行き止まりになっていた。
「チッ! 行き止まりかぁ!」
周囲を見渡すもさっきの場所とは違い壁はツルツルしている上に屋根までの距離が高く、壁を蹴って登るのは無理そうだと判断し、ならば身を潜められそうなところはと見渡すがそんな隙間も無かった。
後方からは足音と声が響いてきている。
「こうなれば仕方ない、気絶させる程度に倒して…」
アルフォードが呟きながら腰の剣に手をかけた途端…
「こっち」
小声で呼びかけてくる声が聞こえ、そちらに視線を向けるとそこには見覚えのある人物が居た。
「あっ、お前は…」
それから直ぐに息を切らした男達がアルフォードが辿り着いた行き止まりへと駆けつけた。だが、その場にはアルフォードの影も形も見当たらない。
「くそ! こっちに来たと思ったのに!」
「きっと何処かで反対方向に進んだんだよ」
「違いねぇ… はぁはぁ……」
そう言いつつも男達は行き止まりの周囲を交互に見渡してみたが何処にもアルフォードの姿は捉えられず、男達のリーダー格の男が無言のまま来た道を戻り出したのを見て残りの男達もそれに続いた。
しかし、男達はは気が付かなかったがその姿を密かに確認している者がその近くに居た。無論それはアルフォードであったがその場にはもう1人存在した。
「行ったみたいだな」
「ああ、そうみたいだ。 しかし、まさか君に助けられるとは思わなかった」
そう言いつつアルフォードは少し離れた位置に立つその人物に顔を向けた。そこに居た人物とは…