将武その5「今日の授業はブーメラン」
初めての将武の戦いから翌日。
葵 千代子と三河 忠勝。…そして、榊原 村正。
榊原は、『葵 千代子』の学生証を持って、千代子へ詰め寄っていた。
忠勝がいるのは、千代子が昨日の榊原との交戦と、
将武・徳川 家康の事を教える為に屋上へ向かうと、既に居たのだ。
「一体これはどういうことかしら。タケちゃん、いいえ千代子ちゃん…?」
「……」
千代子は顔を青ざめていた。
恐れていたことが、知られたくない男にバレてしまったのだ。だが、こうなってしまっては言うしかない。
「……私が、知りたいよ。家康さんを置いて、急にいなくなっちゃったんだもの。」
竹康の格好をしたまま、口にした言葉は弱々しかった。しかし……
「それでも、私はお兄ちゃんの事を知りたい。お兄ちゃんが何を守りたかったのか…それを知らないままなのは、いやだ!」
頑固にも、正体がバレた相手にそれでも向き直る千代子を畳み掛けるように、榊原は壁際に追い詰め、壁に手をついた。
「タケちゃんが事情もなく姿を消すなんてことないのはアタシも承知の上よ。けど、あんたを認めるって訳じゃあない。」
「榊原先輩…ならどうしたら認めてくれるんですか…!タケ……じゃなくて、チヨの強さはもう!」
静かに聞いていた忠勝が榊原に焦燥を込めた顔を向ける。そんな忠勝に、榊原はこう告げた。
「……織田が、もうじき帰ってくるわ。」
榊原の顔は、真剣そのものであった。その名を聞いて、忠勝も目を見開く。
織田 忠光――。
東乱楠高校の、元総番長。
「織田って…将武の暴走で火事を起こして、少年院に入れられてた、あの……!?」
忠勝は、織田の事件を知っているようだ。
過激かつ、東乱楠最強の男。
彼が……帰ってくる。
「織田とタイマンを張りなさい……そして勝ったら、あんたを認めてやるわ。」
織田 忠光との勝負に勝てば……。そうすれば、認める?そんなこと、出来るのか。
その言葉が胸につかえたまま、竹康としての1日を過ごした。
そして、その日の夜…千代子は悪夢を見た。
「タケの兄貴……」
「オレたち……兄貴になら、イイッす…!!」
白無垢と、ウエディングドレス姿で現れた宇佐見と、樺地。二人はその顔に白粉を塗りたくり、真っ赤な口紅を引いて、じりじりと迫り寄ってくる。
「お、落ち着け、やめろ…イイッてなにが…オレはよくない!!よくないから!!来るなぁ!!」
走っても走っても、追いかけてくる。
ドレスをたくし上げ器用にヒールでドコドコと樺地はブーケ片手に走り、宇佐見は地下足袋で両腕を大きく広げ、逞しいスネを惜しげも無く見せながら、竹康の姿をした千代子を追いかけ回す。
しまった、行き止まり!大きな壁に阻まれ、二人に追い詰められてしまう。
「なんでこんな…!!こうなったら家康さん…!!家康さんは…家康さんどこー!!!」
自分は穿いてない。ならどこだ、どこにいる?
家康さんは……!!
『千代子』
声のする方向へ振り向く千代子。しかしそこは壁。
「家康さ……」
振り向くことを、後悔する。巨大な、巨大な壁…否!!!超巨大な、将武・徳川 家康!!
そんな……このトランクスは…50メートルくらいあるぞ!!!
『ふははははははは…千ィ代子ォォォ……やっとォ、余を穿く気になったかァァァァァァ!!!』
ブワァァ……と覆い被さる超巨大パンツ…目の前が布で真っ暗になり、息苦しい。
……
……悪夢から目が覚めても息苦しい…!!目を開けると、千代子の顔に被さったトランクス。
「むが……っ!?い、家康さん!?穿いて欲しいからっていくらなんでも人の顔に…!!」
慌てて顔から取ると、犯人がわかった。
焼きたてのパン生地のようにふっかふかな毛並みの、真っ白な柴犬。
「って、コムギかぁ……もー、いたずらっこ。」
「わんっ!」
こちょこちょとペットのコムギをくすぐるように撫でると嬉しそうにしっぽを振って、元気よく鳴いた。
濃紺地に赤いリボン、そして同じ濃紺のプリーツスカートの裾にリボンとおなじ赤のラインがひかれた女子の制服に着替える。新調した鞄。今日は女子としての登校。
家康さんを置いたまま部屋を出ようとすると
やはり引きとめられた。
『千代子よ、なぜ余を穿いて出かけぬのだ!』
「家康さんはお留守番。」
『また将武使いに襲われてからでは遅いのだぞ!!危機管理のなっとらん娘め…!!』
だが、千代子は頑なに家康を拒む。
「ただでさえお兄ちゃんの二重生活も大変なのに…織田って危険な人まで帰ってくるなんて…それに!将武同士が引かれ合うなら家に置いておいた方がまだ安心じゃん!バラさんももう襲ってこないでしょ!」
そう言って千代子は背を向けドアへと手を伸ばす。ベッドにそのまま放置された家康は大袈裟にため息をついたようだった。パンツは呼吸なんてしないから、ハァーッと声が聞こえるだけ。
『まったく危機管理のなっとらん娘よ。お主の兄、竹康は余を快く穿いてくれたというのに…この頑固者め。器も小さければ胸も小さい。否、むしろ真っ平ら!!……あぁ!!』
千代子の手が、ぷるぷると震えている。
家康はお構い無しに、続けた。
『松平の娘は真っ平ら、とな!ふははははははは!』
ガッと鷲掴みにされる家康。
無言でずんずんと進む。行先は洗濯機。
パンッ!!と洗濯機の中へ叩きつけられ、その他洗濯物が畳み掛けるように家康へ降り注ぐ。自称ダージリンの香り(酔っ払った父談)
の激クサ靴下もぶち込み柔軟剤、洗剤をサッサ!と規定量。衣類量にあわせ水量を多めにし、ピンクのスタートボタンを親指で力強く押すと、洗濯機が動き出した。「がぼごぼろぼぼぼぼ」と水で溺れているような声が響く……
実に爽やかな気分だ。焼きたてのパン生地を頬張った朝のような。こんな天気のいい日はつぶあんパンが美味しい。飲み物はもちろん牛乳だ。
「あら、きょうは早起きね千代子。」
干し終わった頃に、母が起きてきた。寝癖で髪がアンテナのように跳ねている。
「おはようお母さん、洗濯物はもう干したよ。」
なんとも晴れやかな笑顔。
他の衣類を避けるように、カッ!!と外に天日干しにされたトランクスを、コムギはジーッと見上げていた。
朝食は焼きたてつぶあんパン!ほっかほかモチモチの生地ととろーりほくほくあんこ!
朝はこうでなくては。幸せな朝は焼きたてのパンから始まるのである。
いつもの星占いが終わると、テレビはここ最近話題のニュースをあげた。
初めのニュースは……『また、ブーメラン発言』
政治家や有名企業の問題発言が飛び交う、もう見慣れたニュース。その騒動の中心の人物は『ブーメラン』と意味不明な供述をしている…といった内容だ。
「最近多いわねぇ…似たようなニュース。」
「変なニュースだよね。ブーメラン…ん、ご馳走様。お母さん、行ってきまーす!」
朝食と片付けを終えて、千代子は鞄と、昼食のパンを入れた袋を手に
自宅、「あおいベーカリー」を出た。
女子、葵 千代子としての通学。いつもの待ち合わせ場所には……今日も早くの到着だ。
同じクラスの親友、天海 桔梗。
「遅いぞー千代子!またそんなパンばっかり持って〜…」
「おまたせ桔梗ちゃん!えへへ…きょうは、あおいベーカリーの開店記念日だからね!色々持ってきちゃった!桔梗ちゃんも食べる?」
「あ、今日か。おめでとう!じゃあ今日はパン祭り?って……いつもの事か。」
和やかな女子の登校風景。
それを台無しにしたのは、校門に立つ新任教師。江頭先生だ。
「おはよう葵、ちょっと来るんだ。」
「えっ?は、はい。おはようございます先生。職員室にいった方が良いですか?」
「いや、ここでいい。先日の、体育倉庫の崩壊の件は知っているな?」
「ええ、大変でしたね……近くに3年生が倒れていたそうで…」
「その3年の不良は無事だ、全く最近の不良共は…クズばかりだと思っていたがこれほどの損害を出すなんて。くれぐれも問題を起こすなと君の兄に伝えてくれると助かるんだが。ああ勿論……葵、お前もだからな。不良なんてクズの兄の下にいる妹なんだから、私が目を光らせていることを忘れるんじゃあないぞ。」
ああ、この目。入学してから何度も見た不良である兄の妹を見る目だ。自分たちとは異質なものを見る時の――。
「ちょっと先生!!そんな言い方ないでしょ!?千代子は人を殴ったりする子じゃない!!だいたい不良不良って…その言葉がムカつくのよ!周りと違うだけで『良くないもの』として見るとか……!!」
桔梗の言葉を遮ったのは、江頭と、千代子、桔梗の前に止まった黒塗りの高級車。
現れたのは黒髪の、学ランの中に赤いパーカーを着込んだ背の低い男子。
たしか1年の……
「これはこれは…虎徹お坊っちゃま!!」
江頭は途端に態度を変えて、虎徹お坊っちゃま、と呼ばれた彼は、人当たりの良さそうな大人びた笑みを江頭に向ける。
「おはようございます、江頭先生。校門で生徒達にわざわざ挨拶するなんて、なかなかいませんよ今どきは。」
江頭はそんな言葉に大袈裟にペコペコと媚びを売る。
「いえいえ、この高校の不良どもの品の欠けらも無い態度と愚行、井伊グループの社長さまのご子息であるお坊っちゃまにお見せしてしまう訳にはいきませんので…!」
「安心してください、先生。僕がこの学校にいる限り、東乱楠で調子に乗っている不良たちに好き勝手なんかさせませんので。」
「さすが、虎徹お坊っちゃまでございます!ですがなにかお困り事がありましたら是非この私、江頭にお申し付けくださいね!」
「ありがとうございます先生。じゃあその時は……………遠慮なく頼りにさせてもらいますね。」
突如として態度を変えた江頭に、桔梗は顔を引き攣らせた。
「なにあれ……行こう千代子。」
「う、うん……」
桔梗の言葉を聞いて、千代子は歩き出す。
男子校舎へ向かう虎徹と呼ばれた男子は千代子をチラリと見てから、赤いヘッドホンを耳に当てて昇降口をくぐっていった。
『ぬう……千代子め。』
所変わって、葵家。
そよ風に揺れる生乾きのトランクス…
徳川 家康は自分を置いていった千代子の身を案じていた。将武無しでまた将武使いに出くわしたら…年頃の娘の気持ちは繊細と聞いたが、そんなものはよく分からない。
「わんっ、わぉんっ。」
『む……?』
真っ白な柴犬。千代子は、コムギと呼んでいた。コムギは尻尾を振って家康を見上げていた。今朝からずっと、こちらを見つめている。
言葉を切り出したのは、家康から。
『…………コムギよ。お主に頼みたいことがある。』
「くぅん?」
こてん。特にふかふかな首を傾げ、コムギは家康の声に応えた。
東乱楠女子校舎、次の授業は体育。
体操着に着替えた千代子は、桔梗の着替えが終わるのを待っていた。
「にしても、ほんっとあの先生ムカつくわ…!不良イコール屑とか言ってさ?せめてヤンキーって言いなさいよねまったく…!」
桔梗は今朝の江頭の言葉に腹を立てていた。
彼女の怒りは、暖かい。
伝説のヤンキー…葵 竹康の妹というだけで、入学当初は誰一人として千代子に話しかけてくれる人はいなかった。恐れていたのだろう。当たり前だと思う。思うしかなかった。我慢はしていたが、そんな中で話し掛けてくれて、親友となったのが彼女。
ヤンキーの妹ではなく、ただ1人の葵 千代子という女子として、桔梗は接してくれた。
「もー、こうなったらバスケでガツンと決めてやらなきゃ気が済まない。いつもより本気で行くよ千代子!」
「うん、がんばろうね桔梗ちゃ…」
「わんっ、わん。」
……わん?聞きなれた声がドアから聞こえ、からりと教室のドアを開けると…なんとコムギがいた。千代子を見るなりそのふかふかな身体を擦り寄らせて、尻尾をパタパタと振って喜んでいる。
「こ、コムギ!?どうしたのコムギ…学校に着いてきちゃって〜……今日はイタズラっこな日なの〜?」
「くぅん」
わしわしと頭と首周りを撫でてやりながらコムギの後ろ足を……いや、食パンのような尻を見る。これは……
『やっと着いた、遅くなってすまんのう千代子。』
……!?
なぜコムギが穿いてるのだ、家康を……!
2時間前――。
『コムギよ、お主に頼みたいことがある。余は千代子のもとへと行きたいのだ。力を貸してくれるな?』
「わんっ、わん!」
店が開店しているので、客を待つ千代子の両親は見ていない。今日は開店記念日なので、ふたりで客を待っているのだ。コムギは片手持ちのホウキをくわえると、家康を掛けているハンガーを何度も飛び跳ねて器用に落とすと…洗濯バサミを外していそいそと後ろ足に掛け、そのフリフリなしっぽを使い…穿いた。
『さあ、行こうぞコムギ!』
「わぅーんっ!」
そして、今に至る。と……コムギの意外な行動力に驚いていると家康は
『余のように力ある将武ならば、犬猫に語りかけ意思を伝え操るなど造作もないことよ。』
「なになに?千代子の家のわんちゃん?きゃー可愛い!ねえねえ、その子が穿いてるのって……」
「「キャーーーッ!!」」
教室のもうひとつの出入口から聞こえた悲鳴。咄嗟に悲鳴の方向を見ると、後ずさる女子生徒。入ってきたのは……新任教師の江頭。
なんと彼は、あろうことか鍛えてもいないひょろりとした身体に不釣り合いな赤のブーメランパンツ一丁。それ以外、何も身につけていない。そんな状態で、着替えている途中の生徒もいる女子の教室に入ってきたのだ。
後ずさりながら、ここぞとばかりにスマートフォンで江頭を撮影し始める生徒たち。
江頭の狙いは、千代子だった。
目を大きく開き、舌を出して、涎を垂らしながらゾンビのように、彼はにじり寄る。
「葵ィ…い、い…学校にい、犬、いぬなんて連れてきちゃあだメ、だめだろう…?…クズの妹もクズってことだなぁぁああ?1人の屑がやらかすせいで迷惑かかるのは周りだろ……そうだ周りのやつらも連帯責任だ……1人の風紀は全員の風紀……1人の乱れは全員のミだれぇ……そうだ……だからお前達……きょうのじゅっ、じゅぎょ、授業はぁぁ…………ブーメランだァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!」
そして、両腕を大きくあげて千代子へ大股で走りよる江頭。悲鳴で包まれる教室。
「千代子やばいって!千代子!!」
恐怖で動けない桔梗の前から、千代子は逃げない。どころか、迎え撃つように体が動いた。
「わぉんっ!!」
コムギが飛びやすいように椅子を蹴り倒して、簡易のジャンプ台のようにする。
すると家康をはいたコムギは、江頭の顔にぼふんっとタックルをして、後ろ足でがっちりと離れないように、視界を奪ってくれた。
「うぐっ!?なんだっ、この犬…!!離れろッ!!」
「ナイス、コムギ!」
江頭へ駆け寄る千代子。家康がコムギに指示を出した。
『今ぞ!離れよコムギ!』
「わんっ!」
「てぇりゃあっ!」
そして懐へ潜り込む千代子。飛び跳ねて離れたコムギ。
千代子は、ブーメランパンツの後ろの布をがっちり右手でつかむと、暴れる江頭の右腕を左手で掴んで、腰投げの要領で、床に叩きつけた!!
そして気を失う江頭。呆気に取られる生徒達。
気が抜けて、へたりこむ桔梗。
「桔梗ちゃんっ!大丈夫!?」
千代子は桔梗に駆け寄ると、その身を案じた。
桔梗はぽかんとした顔で、千代子を見ていると…
「わんっわん!」
ぽふんっぽふんっと飛び跳ねたり、回りながら千代子にほめてほめてと強請るコムギ。そんな姿が可愛らしくて、千代子の頬が緩んだ。
「よぉしよしよし…!頑張ったねコムギ!かっこよかった!」
わしゃわしゃと、喜ぶコムギを撫で回すと女子生徒たちから拍手が湧き起こる。
「葵さんすごい!!」
「ヤンキーの妹さんだから怖い子かなって思ったけど…誤解してたよ…!」
「ねえねえ、いまのどうやったの!?柔道部こない!?」
次々に話しかけられる千代子。彼女の表情は驚きと、嬉しさと、照れが混ざっていた。
『ふっはっは!もっと褒めよ!!』
……家康さんには言ってないよ。と内心苦笑する。しかし、将武を穿いてきたコムギが来なければ、今ごろもっと酷い目にあっていたろう。
「う、うう……ここは……私はいったい…」
江頭が目を覚ます。正気に戻ったようだが……女子生徒の目は冷ややかで、怒りに満ちていた。
最低教師!変態!!
動画や写真を突きつけられ、SNSにも晒され、江頭は困惑する。ちがう、私はこんなことしない!!ブーメランだ!ブーメランのせいで!と言い訳をする江頭を警察と、隣のクラスの教師が取り押さえ、江頭は捕まった。
結局体育はナシとなって、そのまま午後の授業も自習を言い渡されたのである。