016. 背負い鞄の秘密
マリールの顔面擦り傷は、自前の青い薬で赤みも残らず、白くてすべすべなお肌に戻っていた。相変わらずのとんでもない効果である。
「もー! 吃驚させようとしたのに、こっちが吃驚しました!」
「す、すまん」
「ほんとっすよ。まさか逆様にして振るなんて」
「逆様はないよなー」
「逆様はない」
「ほんとよ。なんて酷い鬼岩顔なのかしら」
「……」
アエラウェが逆様にして振れと言ったのに、いつの間にか全責任はバルドのせいになっている。バルドはアエラウェを殴ってやりたい衝動を必死で抑えた。そんなことをしてしまったら、後が怖いからだ。
「でもさ~。鞄から別の場所に行けるならさ、船から出国しなくても良いんじゃね? 鞄と繋がってる別の場所がどこか分かんないけど」
「言われてみれば確かに!」
「そうだよ。3週間待たなくてもとっとと逃げれるじゃん!」
ホビット達がそう口々に指摘すると、マリールは真面目な表情で尤もな事を言いだした。
「密入国になるじゃないですか」
「「「「「え」」」」」
「関所を通らないまま一日過ごすと、タグが密入国者判定するじゃないですか」
「あ――……。そうねぇ」
「販売目的の入国者は売り物も提示しなくちゃ関所通れないし、街でもいちいちチェックされるし」
「そういやそうだったな……」
街の出入り門でもタグの提示を必要とする位だ。国の出入りはもっと厳しく、密入国の罪を犯してしまった者はタグにその犯罪歴が書き出されてしまう。街の門番がタグの提示を求めるのは、犯罪歴を確認する為でもあった。
マリールも、このゴルデア国に入る際はタグを提示したのだ。
「薬を売りに来ました!」と言って、堂々と飴玉のような薬の瓶も見せたが、チェックが厳しい筈の関所も、ゴルデア国のどの街の門番も、一様に半笑いでタグの表面を見ただけであっさり通してくれた。子供が薬売りごっこをしているとでも思ったのだろう。
そんな訳でマリールは、鞄から一時的に避難する事が出来ても、そのまま留まる事は出来ない。過去にこのタグを開発した『異界の迷い子』も、なかなか縛りがあるルールを作ってくれたものである。そんな先達の事を、マリールはこっそり『自治先輩』と呼んでいる。
「まあそのお陰で、素敵な旦那様ゲット出来ちゃったんですけどね! きゃ~!」
「ああ、うん」
「よかったね、うん」
「タグルール様々だね。うん」
「幸せになるのよ……」
「……」
マリールにとっては、せっかくの便利機能が使えない厳しいタグのルールも幸いな事のようだった。一人盛り上がるマリールに、男達は生温かい目で適当に相槌を打つ。段々こうなった時のマリールの扱いが分かってきたようだ。
「それで鞄の説明の続きですね。用意してある場所に繋がる機能とは別に、鞄の内ポケット毎に、時間を止める空間と、進める空間と、巻き戻す空間も作ってあるんです! ほら、ここ! 見てここ!!」
「「「「「……」」」」」」
マリールが見て見てと背負い鞄の中を指差した箇所には、確かに鞄側面とに二つ、背面側に一つ、大きめの内ポケットが三つ付けられている。
先程テーブルクロスを血汚れが付く前の状態に戻した空間は、右側側面にあるポケットだそうだ。
得意げに自慢するマリールに、一同唖然である。こんな馬鹿みたいな鞄を持って子供が一人で旅をして、良く今までバレなかったものだとマリールの運の良さに感心さえした。
例え背負い鞄に逃げ込んても、鞄が持ち去られる可能性だってあるのだ。再び鞄から出た時に、鞄のある場所は危険な状態になっている可能性だってある。
「……時間の方は一体どうなってるんだ? 時間を操るなんて聞いた事無いんだが」
「んーと、時間の概念って、未来・現在・過去に別れるじゃないですか。現在はこうしている今。それから未来は予測で、過去は復元です」
「わからん」
「俺も」
「俺の頭が理解するのを拒否してる」
「俺も」
マリールはどう説明したら解り易いのか悩みながら、鞄の中から一つの果実を取り出した。
「えーと、例えばこの果実。時間が経つと水分が飛んで甘味が凝縮するけど、さらに時間が過ぎるとぼやけた味になって、萎れて、時には黴て、最後には枯れますよね? その過程を知っているので、予測が出来ます。で、復元も同じで、果実は種から芽が出て木になって、花が咲いて実がなるという過程を知っているので、種の状態まで遡って復元したものを想像出来ます。先程のテーブルクロスも元の姿を知っていたので、血で汚れる前の状態に戻すことが出来ました。時間を止めるのは、そのままです」
「つまり、マリーちゃんが過程を知っている――想像出来るものなら、その通りに時間を進めたり戻したり止めたり出来るって事?」
「そうですね。知らないものは復元出来ませんし、予測も出来ません。それでですね、袋にそれぞれ真空空間を作って、進めるエネルギーと真逆に進めるエネルギーとで分けてあるんです。この世界だとエネルギーは魔力で賄えるので、実現出来るのだと思います。普通に考えたらそんな高エネルギーの中に物質放り込んだら耐え切れずに分解されて消滅すると思うんですよね……あれ? でもタイムワープとか理論では可能って聞いたことあるな? 良く分からないけど流石魔法! 魔法で何でも解決出来てしまう!」
何やら自分だけ納得してうんうんと頷いているマリールに、アエラウェが瞳を輝かせながら聞いた。
「ねえ、それって私にも使えるようになるのかしら?」
「うーん。それがですね、私の特技、『創造』と合わせる事でなんかうまく行っちゃったらしいんですよね……。元の世界で国民的大人気の物語があって、冗談でそれをイメージしたら出来ちゃって。でも、ポル姐も拡張鞄とは違う、空間の切れ目に別空間を作って荷物ぽんぽん入れてたので、想像力と魔力が沢山あれば色んな魔法作れるんじゃないかと……」
「――それって、ポルガラ級かマリーちゃん級の魔力ガないと使えないって事じゃないの……」
ポルガラといえばいつの時代から生きているのか分からない程、何千年も前から伝説を残している人物だ。
年を取らないとか、龍を従えているとか、息を吹きかけただけで城を王都ごと吹き飛ばし滅ぼしたとか、そんなような伝説が多々ある、もはや怪物だ。ポルガラ伝説は奇想天外でありえないことばかりだが、そこが面白く子供に大人気の絵本にもなっていた。
数百年単位で滅多に姿を現さない彼女と出合い、今も存命なのは、アエラウェの種族であるエルフ族と龍人族くらいのものだった。
そのポルガラだから出来る事ならば、多少魔力が多いくらいの自分では出来ないのも仕方ないと納得出来てしまう。
がっくりと肩を落とすアエラウェに代わり、今度はバルドが聞いた。
「『創造』ってのはどうやって獲得したんだ? 『異界の迷い子』特有のスキルなのか?」
「う……。それは、ですね。こちらの世界にやってくる前に嗜んでいた『妄想』が『想像』で認識されて、それが何でか『創造』になったみたいで……?」
「妄想??」
「妄想とか想像してれば、身に付くってこと?」
「――俺、毎日でっかくて柔らかい乳想像してるけど、ぜんぜんでっかくなんないんだけど……」
「「「「「ん?」」」」」
「――っあ、違う! 俺の乳でかくしてどうするんだよな……!? 今の無し……!無し!」
その発言に一同が揃ってサルムに振り返ると、サルムは顔を赤くし慌てて言い直した。
乳が好き過ぎて自分にも乳生えたら毎日揉み放題とか、真剣に考える事もあるだろう。だって男の子だもの。違う妄想かもしれないが。
「……ま、まあまあまあ! そんな妄想も、うん。ありますよ。 いつかきっとね、うん。乳生えるといいですね、うん。……取り合えず晩御飯作っちゃいますね!!」
何だか触れてはいけない事のようだったので、マリールは無理矢理話題を切り替えた。空気を読んで話題転換も出来る女。流石、老齢の魂を持つ少女だ。凄くぎこちないが。
そしてホビット達の空気も、ちょっとぎこちなくなっていた。