015. 目覚めは王子様のキスで
帰ってきたバルド達が冒険者ギルドの扉を開けると、真っ先に目に飛び込んで来たのは血濡れのテーブルクロスだ。
床にも数滴血痕が残っていて、あたかも殺人現場かのような様相だった。
「旦那様との結婚で舞い上がって、すっかり忘れていました……。あ――……すぐ洗わなかったから、落ちなくなってるかも……」
「ああ、いいのよ。また違うのを買うから」
「そんな訳には! これ一枚作るのに、下手したら一年以上かかるやつですよ!? 一生懸命作ったのを捨てちゃうなんて駄目です!」
「ううーん、でもねぇ……」
アエラウェがつい、と指を滑らせて出現させた水玉の中に、テーブルクロスを投げ入れる。水はクロスを巻き込むようにぐるぐると回り、ある程度染み込んだ血を洗い流してはくれるが、薄茶の跡は取れないようだ。
アエラウェは肩を竦めて見せる。
「残念だけど、落ちないみたい」
「大丈夫です! 少し私に貸してもらっても良いですか?」
「ええ、いいけど……。ちょっと待ってね。――はい、これ」
アエラウェは、今度はテーブルクロス入りの水玉を包み込むように、風の渦を作り出した。その風の渦で、あっという間に包んでいた水もクロスの水分もが絞られて、水だけが風の上部へと巻き上げられていく。残った湿り気も風がふわりと乾燥させた。
すっかり乾いたテーブルクロスが、マリールに手渡される。するとマリールはそのテーブルクロスを手にしたまま、不用心に置きっ放しにしていた自分の大きな背負い鞄へと向かった。
「……? 染みを落とす薬でもあるの?」
「ふふ。さっき話していた答えをお見せしますね!」
「お。なになに?」
「マリーちゃんの事だから、きっとスンゲーの出てきそう!」
「鞄の中から何が出てくるか賭けようぜ! 俺、全く思い付かない!」
「賭けにならんじゃないか……俺も思いつかん」
鞄の中から何が出て来るのかわくわくして見守る男達に、マリールは、くふふ、と笑う。それから徐に鞄の入れ口を開き中でごそごそと手を動かしてから、そこにテーブルクロスを突っ込んだ。
「「「「「?」」」」」
「良く見ててくださいね~? いきますよ――……じゃじゃん!!」
マリールが鞄の中から勢い良く手を引き抜くと、先程鞄に入れたテーブルクロスがふわりと天井に舞う。男達がそれを見上げて見れば、アエラウェが洗っても落ちなかった血染みの付いたテーブルクロスは、すっかり元の白さを取り戻していた。
「――分かった! 洗濯機能付き鞄!!」
「すんげ~! どうなってんのそれ!!」
「ぜんっぜん欲しく無いけど!」
「え、でもその中から馬f……じゃなかった、牡丹餅とか出してなかった?」
「そう言えば、そうだな」
魔法が使えないマリールには便利だろうが、こんなに大きな背負い鞄を持ち歩かなくても、バルド達には魔法で洗い物が出来る。
マリールが勿体振るから期待していたが、聊か期待外れな鞄だった。物の出し入れもしていたから、収納も見た目通りに出来るのだろう。
だがすぐにその予想は覆される。
「ふっふっふ。実はこの鞄、状態をそのままに時を止めたり、時間を進めたり、戻したり、あげくに別の場所の物を取り出したり、さらに出入り出来る便利グッズなんです!」
「「「「「は?」」」」」
今日だけで何度目の「は?」だろうか。
この世界で知られている拡張鞄は、鞄に無属性の空間魔法をかけて空間を広げたものだ。
バルド達の持っている拡張鞄は、多く物が入れられても時間は経過する。別の場所へ繋げる事も、まして時間を自在に調整出来るなど聞いた事も無かった。
「で、でもさ。その鞄、凄い大荷物だろ? 拡張鞄って、こーんな巾着サイズので、鞄くらいの量入るとかじゃね?」
「そうだよ。時間がどーとかいう機能は付いてないけど」
「そんだけ大きければ、沢山入るの当たり前じゃん。マリーちゃんサイズなら出入りも出来そうだし」
「えーとですね、これ大きいのは見た目だけで、実はすっごく軽かったりします。私みたいな子供が小さくて沢山の物を出し入れ出来る拡張鞄を持っていれば目立ってしまいますし。それにこの大きさは、イザと言う時に入って逃げれるようになってるんです。――持ってみます?」
疑うトートが訝しげにマリールの大きな背負い鞄を持ってみると、マリールの言うように驚く程軽かった。恐らく鞄の布と、膨らみを持たせる為に入れられている骨組みの重さしかない。
「まじだ……」
「俺も俺も……って、まじだ……」
「まじか……」
「拡張鞄って、空間を歪ませて広くする空間魔法がかけられてるじゃないですか? だから魔法をかけた人の魔力量によって、広がる容量が変わっちゃう」
「ええ、そうね」
「ところが私の使う空間魔法は、なんと! 用意した別の場所に繋げる事が出来るんです! だからもしもの時はこの鞄の中に入って、繋げてある別の場所に逃げれるようになってるんですよ~!」
マリールは「どこでも鞄~!なんちゃって!」と謎な言葉を言いながら、言った自分に照れたのか、うふふ、と口元を小さな両手で隠して笑う。
しかし、それを聞いた男達は理解が追いつかないのか、ポカンと口を開けるばかりだ。
「あとですね、せっかく逃げても追って来られたら困っちゃうので。持ち主の私と、私が許可した人以外には、この鞄はただの空っぽに見えます。どうぞ中見てみてください?」
マリールはバルド達に見えるように、背負い鞄の閉じ口を広げて見せた。バルド達が鞄の中を覗き込むと、言われた通りに中身は空っぽで何も無い。内側にポケットが三つ付いているくらいだ。
「確認しましたね? それじゃ、ちょっと調味料とか取って来るので、私が入ったら中を確認してみてください。あ、すぐ戻ってくるので、口は開いたままにしといてくださいね? ――じゃ!」
そう言うや否やマリールはしゅたりと手を上げて、大きな背負い鞄の中へ「よっこいせ」と年寄りくさい声を出しながら入ってしまった。
ギルド内は、しん、と静まり返る。
恐る恐るバルドが背負い鞄の中を覗くと、中にマリールが……
「いない……」
「え、うそ、まじで??」
「うわ! ほんとだ!! 」
「こわ!!」
「な、何か仕掛けがあるんじゃないの?? ちょっとバルド! ひっくり返してみて? 二重底になってるかも……」
「あ、ああ……」
バルドが背負い鞄を持ち上げると、中に入っている筈の、先程まで抱き上げていたマリールの重みが全く無い。バルドは唖然としながらも、そこには居ないと分かっても認めたくなくて、鞄を逆さにして振った。
「……いない」
「まじで……」
「え、どうなってんの??」
「マリーちゃん消えちゃったの??」
「そんな……! 二重底じゃないの?? ちょっとバルド、もっと振ってみて頂戴!」
「あ、ああ……」
バルドがアエラウェに言われるがままに、再び背負い鞄をひっくり返したまま強く振る。その瞬間。
「イリュージョーン!! ――ぶべっ」
勢い良く振られた鞄から、勢い良くマリールが放り出された。
そして顔面から床に叩きつけられたかと思うと、勢いのままに顔で数メートル滑って行ってしまった。
突然現れて顔面を床に付けたまま、尻を上げた状態でぴくりとも動かないマリールに、男達は時が止まったかのように固まった。
「――っ! マ、マリール! すまん!!」
逸早く正気を取り戻したバルドが、マリールへと駆け寄り慌てて抱き起こす。
だがマリールの白く可愛らしい顔面は、可愛そうに床に擦れて真っ赤になり、皮膚も少しずる剥けて痛々しい事になっていた。あげくにマリールがあんなに垂らすのを乙女心で堪えていた鼻血まで垂れてしまっている。
「……うっわ。ギルマス酷すぎ……」
「正に鬼畜の所業……」
「――なあ。マリーちゃんの生命力30なのに、大丈夫なのか……?」
「「「!!」」」
「マ、マリール!!」
心配そうに言うサルムの言葉に、男達は「そういえば!」と慌て出す。
バルド達からして見れば生命力30なんて数値は、どれ程弱いのか、どこまで耐えられるのかも分からない未知の数値だ。もしかしたら転んだだけで死ねるかもしれない。
今も尚ぴくりともしないマリールに、バルドが呼気を確認する為に顔を近づける。
――すると。
「……ふわぁぁぁぁ!? お、王子様のキスで目覚めるやつぅぅぅぅ!??」
「っマリール!!」
生命の心配をされていたマリールは、愛しの旦那様なバルドの顔面が近づいたお陰で、めちゃくちゃ生きが良くなっていた。
男達は ほっと安堵の息を吐く。
「生きてた!」
「元気有り余ってるな~」
「よかった~……」
「は――……。マリーちゃんじゃないとマリーちゃんの鞄から薬も取り出せないし、どうしようかと思ったわ……。詐欺ポーションじゃ意味無いし」
生命力30があれば、顔面で床をスライングしても耐えられる事が判明したのだった。