012. 商業ギルド
「ああ、ほら。バルドの朴念仁さを再認識してたら着いたわよ」
アエラウェに言われてマリールが顔を上げると、この街にやって来て直ぐに訪れた商業ギルドの建物が、目の前に聳え立っていた。
この世界では珍しい三階建ての建物で、高い屋根にも窓がついているから屋根裏部屋まであるのだろう。このメルクの街で、領主館に次ぐ大きな建物だった。
バルドはこれからまた繰り返されるであろう、先程の広場と同じような遣り取りを想像して、益々気分が重くなっていた。落ち込んでいく気分と共に足が重くなるのを叱咤して、商業ギルドの中へと入って行った。
ギルドの入り口から入ると直ぐに広がる大きなフロアには、沢山の人々が行き交っていた。その奥には商業ギルドの窓口があり、窓口の受付カウンターには五人のギルド職員が並んでいて、その前には手続き待ちの列が出来ている。
商業ギルドの二階には、それぞれの職業組合の部屋がある。組合員が持ち回りで常駐していて、職業組合に用事がある者は、まず商業ギルドの窓口でそれぞれの組合への受付予約を取る事が必要だ。窓口で渡された受付番号が記された白い札の色が赤く変わると、自分の番だと分かるようになっている。
だが、今回は婚姻届の提出なので、商業ギルドの窓口だけで済む。
バルドは窓口それぞれの職員が、次から次へと休み無く来る客の対応に、忙しなく働いているのを目で追った。その内の一人、神経質そうな眼鏡をかけた青い髪の青年がバルド達に気付いたようだ。青年は一言列に並んでいる人々に詫びてから、足早にバルド達の元へと駆け寄ってきた。
「これは、冒険者ギルドのお二人がお揃いで。生憎、本日ギルド長は不在でして……何か火急の御用でしょうか?」
「ああ、セリノス。いや、今日はギルドの用事じゃない。並ばせてもらう」
「――そうですか? では申し訳ありませんが、順番までもう暫くお待ちください」
バルドの腕の中に居るマリールをチラリと見てから、セリノスと呼ばれた青年は仕事に戻って行く。バルド達はそのセリノスの担当する列に並んだ。
順番が一人、また一人と近づく度、バルドの緊張は高くなり、マリールとホビット達の期待も高くなる。尤も、マリールとホビット達の期待の意味は異なるのだが。
そうして、とうとうバルドの番が来てしまった。
「お待たせしました。本日はどのようなご用件で?」
「……婚姻届を出しに来た」
「……はい?」
バルドがなるべく小さな声で、セリノスに告げる。聞き取れなかったのか、それとも理解出来なかったのか、セリノスは再度バルドに聞き直した。
再度聞かれてしまったバルドは、諦めたように一度深く息を吐き出すと、腕に抱いていたマリールを抱え直し、一語一語、セリノスにだけ聞き取りやすいように、声を潜ませて告げた。とても往生際が悪い。
「この子と、俺の、婚姻届だ」
「はい! 私マリールは、バルドさんのお嫁さんになります!!」
「「「「「「「はぁぁぁぁぁぁ!?」」」」」」」」
バルドがせっかく小声で話していたのに、それに続けと言わんばかりにマリールがキリリとした顔で利き手を高く掲げた。大きな声で宣誓するものだから、セリノスは勿論、他の受付と、それに並んでいた客までもが一斉にバルドに刺さる様な視線を向ける。
その視線にバルドは眩暈を感じ、目を固く瞑った。目を閉じた事によって反って研ぎ澄まされてしまったバルドの耳に、「変態」「犯罪者」「気持ち悪い」等とバルドを全力で蔑む声がはっきりと聞こえててきた。目を閉じていても分かるほど、汚物を見る様な視線は百万本の矢の様に次々とバルドに降り注ぐ。この居た堪れなさは、スタンビートで百万の魔獣と戦う方がまだマシだと思える程だ。
無駄だと知っているのに、バルドはつい救いを求めてアエラウェ達へと視線を向けた。案の定、期待通りの展開にホビット達は相変わらず腹を捩じらせ、アエラウェも口を手で隠して笑いを堪えている。広場の時と違うのは、すぐ側に居てくれている事と、助ける為にアエラウェが使った方便を、バルドが覚えている事だろうか。
バルドはこの騒ぎを収める為に、先程広場での騒動を静めてくれたアエラウェの言い回しを使わせてもらう事にした。が、生来嘘が付けない性質らしい。言い回しも泳がせる視線も、素晴らしく不審に拍車をかけている。
「……あ――、その、依頼で、だな。この子の身の安全の為に致し方なく、だな。俺が一時的に伴侶となって、保護する事に、なった」
「保護者なら養子でも良いのでは? わざわざ婚姻する理由が……」
セリノスは驚きのあまりずれてしまった眼鏡を直しつつ、眉間に皺を寄せ、挙動不審なバルドをきつい視線で見定める。そしてバルドに抱き上げられているマリールにも目を向けて、じっと見つめた。先程も思ったが、この子供には見覚えがあった。
「――君、昨日ここに来た子だよね? 確かや……」
セリノスは途中で何故か言葉を止めたが、同時にマリールの身体が強張るのが腕越しにバルドにも伝わった。恐らく、マリールがメルクに来て直ぐ商業ギルドを訪れた際に、このセリノスが受付をしてくれたのだろう。ならばセリノスは、マリールの身分証明証であるタグを裏表確認している筈だ。マリールの正体を知っているセリノスが、正体をばらさないかと身構えたのだ。
バルドはマリールを落ち着かせるように、開いている手で頭を優しく撫でてやった。そうしてやれば、マリールは、ほっと息を吐いて、バルドの胸に甘える様にぐりぐりと頭を擦り付けてきた。どうやらこの動作をすると安心するらしかった。
「……ああ。販売許可を取りに来たそうだが、合格が貰えなかったようだ。――何せ、子供の作ったものだからな」
バルドの「子供」という言葉にむっとしながらも、マリールは声を出さずに会釈する。すると、そんな失礼な態度を取ったにも関わらず、セリノスは神経質そうな眼鏡の奥の瞳を柔らかく細め、マリールに微笑んでくれた。
「……そうでしたか。ですが挫けず頑張って続けてくださいね。きっといつかは合格が貰えますから。――ああ、それと。頂いた香り袋も、とても良い香りで癒されました。ありがとうございます」
セリノスは、こんなに沢山の客の対応をしているのに、昨日たった少しの間だけ顔を合わせたマリールの事を覚えていた。それにあげた香り袋の礼まで。何て良い人なのだろうと気を許し、マリールもほんわりと微笑んだ。
だが、マリールの緩んだ笑顔を見た途端に、セリノスは僅かに片眉を上げる。
「――なるほど。確かにこの子は危険ですね」
「お、おう?」
突然何かに納得したように頷くセリノスに、バルドは戸惑う。「薬術士組合」と敢えて口に出さずにいてくれたから、何かしら事情に気付いたのだろうか。このセリノスという青年ならば、それも有り得る。
「それで、保証人は――ああ、だからお二人で?」
「ええ、そうよ。私が保証人になるわ。ついでにうちのギルドマスターが血迷わないように見張ってるから、安心してちょうだい?」
「……わかりました。ではタグをお預かりします。――はい、確かに。少々お待ちください」
マリールとバルドがタグを渡すと、セリノスはすぐに書き換え作業に取り掛かってくれた。
タグの登録や書き換えは、それぞれの受付の座席横に設置されている黒曜石のように真っ黒な石に、細かな文字がみっしりと刻まれている台座の上で行われる。不正を行えない様に、書き換えの記録はすべてこの台座に刻まれていくようになっていて、台座の上にタグを置き、受付がそれぞれの用件に適した魔術式を展開すれば、術式がタグに吸い込まれて書き換えが行われる。
そうしてあっという間に書き換えが終われば、最後にバルドとマリールのお互いのタグに、お互いの魔力を乗せて仕上げをして婚姻手続きは完了だ。
バルドのタグの縁にはマリールの魔力の緑色に、土留色と何だかごちゃごちゃと色が混ざった線が増えていて、マリールのタグの縁にはバルドの赤い魔力の縁取りが増えている。
マリールが書き換えが完了したタグを見れば、表面には伴侶として、はっきりとバルドの名前が書き加えられていた。
---------------------
名前:マリール
種族:エルフ+不明=ハーフエルフ
性別:女
年齢:8歳
所属:商業ギルド/薬術士組合
伴侶:バルド・ノックス(所属:冒険者ギルド)
居住権:エスティリア共和国カンテラ / ゴルデア国メルク
保証人:有(表示不可
婚姻保証人: アエラウェ・ギルミア・ケレブスィール・リンランディア
-----------------------
「ようこそ、メルクへ。 この街で居住権を得ている方が伴侶となりましたので、貴女もこの街の住人として、居住権が認められます。――それに冒険者ギルドの長が伴侶であれば、身の危険もほぼ無くなったと思っても良いでしょう」
「はい! ありがとうざいます!! 幸せになります!!」
あの真面目なセリノスがすんなりと二人の婚姻を受理し、あのエルフのアエラウェが証人になるくらいだ。きっと余程の事情があるのだろう。
バルドを犯罪者として厳しい目で見ていた周囲の人々は無理やりそう納得して、幸せいっぱいといった具合にニコニコと笑顔を振り撒くマリールに釣られて、一緒になってニコニコと微笑んだ。
予想通り騒ぎは起きてしまったが、反ってマリールの後ろには、バルドとアエラウェが控えている事がメルク中に広まっていくことだろう。
「離婚届はいつでも受理できますからね。安心してください」
「しな……!」
ニコニコのマリールにニコニコしながらセリノスが水を差すものだから、マリールは瞬時に顔を顰めた。反論しようとした開けたマリールの口を、バルドは己の大きな分厚い手で塞いだ。
ここに長居して厄介な薬術士組合に気付かれないように、商業ギルドを出ようと切り上げる。
「あ――。それじゃあな」
「ええ。……バルドさん、くれぐれも気をつけてくださいね」
別れ際のセリノスの言葉に、バルドは片手を上げて応える。思いの他早く、しかも穏便に終わった手続きに、バルドは胸を撫で下ろしながら商業ギルドを後にした。
こうして本日の最大ミッションである、バルドとマリールの婚姻届は無事に受理されたのであった。