Rainbow ~夢の架け橋~
大学卒業し社会人として働き始めた二人が梅雨の季節に見たものは・・・
日本には季節が四つ、いわゆる四季がある。
今は春と夏の間、梅雨と言われる時期だ。
今日は雨が降っていないが天気は崩れそうだ。天気予報でも午後から雨になっていた。
湿度も高くここ数日は晴れ間を見ていない。じめじめとした毎日を過ごしている。
そんな中でも学生にとっては関係なく、今日も授業は続けられる。
だが、大半の生徒は既に教科書とノートを閉じている。
今は昼休み前の授業で、残り時間も3分程度だ。教師もそれが分かっているからか何も言わない。
これ以上進むと中途半端になるため、今は教科書の問題を解かせている。
チャイムが鳴ると教師は教室を出る準備をしながら指示を出す。
「次はこの問題の解説から始める。ちゃんと解いておくこと。挨拶はいい」
それだけ言うと教師は教室から廊下に出て、各教科の準備室へと向かった。
廊下を歩くとすれ違う生徒に頭を下げられることもある。それに律儀にも軽く会釈を返しながら廊下を歩いていると声をかけられた。
「先生」
「ん?どうした?」
教師が振り向くと男子生徒が教科書を持って立っていた。
この生徒は先ほどまで授業をしていたクラスの生徒だ。
「この問題なんですけど…この公式だとどうしても式が展開できなくて」
「ちょっと貸してくれ。…これはその公式じゃなくて、こっちの公式に当てはめて解くんだ。もしその公式でも解き方が分からなければ準備室に来てくれ。教えるから」
「はい。分かりました。ありがとうございます、山上先生」
生徒は頭を下げてから自分の教室へと戻っていった。
先ほど授業をしていた教師は深夜だった。
深夜は生徒が戻っていくのを確認して自分も数学準備室へと戻っていった。
深夜は新任で母校でもあるこの学校に着任した。教育実習の評価が良かったこと、また以前まで教鞭を振るっていた数学教師が退職したため幸いにも大学卒業後すぐに着任することができた。
学校が私立のため、高校生だった頃の教師の大半が移動せずに残っている。もちろん深夜の義理の兄に当たる勇一もこの学校で教師を続けている。
既に教師には勇一と深夜が義理だが兄弟であることを告げている。だが、深夜が生徒の時に勇一が特に贔屓をしてた様子がなかったのですぐに受け入れられた。
深夜が数学準備室に戻ると同じ数学を担当している教師が既に食事を取り始めていた。
他に深夜が高校卒業後にやってきた数学教師も一人何か作業をしている。
「お、お疲れ様」
「お疲れ」
「お疲れ様です」
深夜が挨拶をしながら教科書を自分の机に置くと教師が深夜に話しかけてきた。
「どうだ、授業の方は。順調に進んでいるか?」
「そうですね…、今は単元の基礎に当たるところで疎かにするわけにはいきませんので少し遅れてます。けど、まだ取り返せる範囲です」
「そうか。ちゃんと考えて授業の進み方を考えてるならいい」
「何かありましたらアドバイスをお願いします」
「分かった」
教師と深夜が話してると作業をしていたもう一人の数学教師がプリントを持って職員室へと戻っていく。
それを見ながら深夜は鞄の中から弁当箱を取り出す。
そして、蓋を開けて箸を持ってさぁ食べようかというところで数学準備室のドアが空いた。
深夜がドアの方に視線を向けると数学を担当しているクラスの女子が立っていた。
「どうした?俺に用事か?」
「はい。質問があって。…すいません、食事中ですか?」
「気にしなくていい。どれ?」
深夜が手招きをすると女子生徒は教科書を開いて質問箇所を深夜に告げる。
すると、深夜は少し考えると近くにあった紙がいらないことを確認すると裏紙に説明をしながら解説を書いていく。
女子生徒は頷きながら不明点はその場で聞くのでその度に深夜は分かりやすいように説明を繰り返す。
一通り説明が終わると女子生徒は納得できたようだ。
「なるほど…。すいません、ありがとうございました」
「いや、気にするな」
「はい。…あれ?先生、弁当手作りなんですか?」
深夜の机に置かれている弁当が目に入った女子生徒が尋ねる。
基本的に教員のほとんどが弁当だ。その弁当は高校に販売しに来ている店の弁当が多い。
深夜のように手作り弁当なのは一握りだ。それも妻帯者がほとんど。深夜のように若い教師で手作り弁当を持ってきているのはいないだろう。
「まぁ、な」
「これ先生が作ったんですか?」
「いや…今日は彼女だけど」
女子生徒に深夜が困りながら返す。
深夜の返答に女子生徒は首を傾げてまた聞きかえす。
「『今日は』ってどういうことですか?」
「俺も作ることがあるってこと。俺だけじゃなくて彼女の分も、だけど」
「うわぁ、いつ渡してるんですか?」
「…もうこの話はいいだろ。いい加減ご飯を食べさせてくれ」
「は~い。愛情たっぷりの弁当ですね。それじゃあ失礼しま~す」
女子生徒は深夜を冷やかすような言葉を残してこの場を去って行った。
数学準備室に『クックック』と言った笑いたいのを我慢してはいるが零れているような音が響く。
その音の発生源は先ほどまで話をしていた教師からだ。
深夜は照れを隠すように咳払いをして窓の方に目を向けると、窓に何か当たる音が聞こえた。
窓の方に近づき開けて手を外にかざすと、雨粒が手に当たる。とうとう振りだしたようだ。
「とうとう振りだしたかぁ」
「雨か?」
「ええ。毎日のように降ると気が滅入りますね」
「梅雨だから仕方ないだろ。それに夜には止むって言ってただろ?」
「そうですね…。あれ?そう言えば柚子、傘持って行ったっけ」
深夜は今朝のことを思い出しながら一人で呟く。
彼女である柚子葉と朝テレビを見ながら話しをしていた。その時に今日は雨だという話もしていた。
だが、朝柚子葉が深夜より先に出勤する時傘は持ってなかった気がする。いや、鞄の中にもしかしたら折り畳み傘が入っているかもしれない。だけど…。
深夜が考えていると教師が食べ終えた弁当を直しながら深夜に声をかけてきた。
「なんだ?どうかしたか?」
「あ…、その彼女が傘を持っていたかどうか分からなくて」
「いいじゃないか、迎えに行ってやれば」
「…そうですね」
「それよりお前さっさと弁当食べないと昼休み終わるぞ」
「あ、それは不味い」
深夜は開けていた窓を閉めると開けっぱなしの弁当に手を付け始めた。
それから午後の授業中も雨が止む気配は無い。夜には止むと天気予報では伝えていたのにも関わらず強くなる一方だ。
こうなると傘がないと変えることは厳しいだろう。
深夜は定時後すぐに帰り支度を始める。今から行けば柚子葉はまだいるはずだ。
深夜は急ぎ足で高校を出ると、柚子葉が勤めており自分の姉の忍が園長を勤めている植田保育園に向かった。
柚子葉は保護者がまだ迎えに来ていない園児と共に折り紙を折っていた。
すると他の園児も柚子葉に近寄ってきた。
「ゆずはせんせい、なにしてるの?」
「折り紙折ってるの。一緒に何か折ろうか?」
「うん!」
柚子葉もまた大学卒業後すぐに植田保育園で働き出した。
初めは違う保育園で働くつもりだった。だが、それを止めたのは園長である忍と保育士たちだった。
高校生の頃から柚子葉を知っている保育士達が柚子葉を止めたのだ。その理由に知り合いだからというのがなかったわけではない。
それよりも柚子葉の子供好きなところ、逆に子供から好かれるところ、手伝いをしてもらったときの仕事ぶりなどを評価して止めたのだ。
それから柚子葉は植田保育園で働くことを決心した。皆知り合いとしてではなく、一人の保育士として扱ってくれる。
それは当然のことなのだが、この人たちと働けて幸せだと柚子葉は実感していた。
折り紙を一緒に折っていた園児達を全員保護者が迎えに来たので柚子葉は一旦事務室へと戻ることにした。
途中で廊下から外を見るが、午後から振りだした雨が止んでいる気配がない。
「どうしよう…」
柚子葉は今日傘を持ってくるのを忘れてしまったのだ。
今日は雨が降る、この会話を今朝深夜と交わしていたのにも関わらずだ。
深夜に電話しようか、そう考えたが深夜も新任教師として忙しいはず。その邪魔はできない。
とりあえず今は自分の仕事をするしかない。柚子葉は事務室の机に座り作業を続ける。
一人、また一人と早番だった保育士が上がっていく。
柚子葉ももう少しで上がることは可能なのだが雨が降っている。先ほどよりも小雨になってはいるがそれでも傘なしでは厳しいだろう。
どうしようと困っていると先ほど上がっていった保育士が戻ってきた。そして笑顔で柚子葉に声をかける。
「柚子葉ちゃん、まだ上がれそうにない?」
「え?いえ、そろそろ上がれますけど」
「そう。だったら、少し急いで上がってあげて」
「どうしてですか?」
「お迎えに来てるわよ、深夜君」
「え!?」
この保育士は柚子葉の弟である秀太が通っていた時からこの保育園に勤めている。
従って柚子葉と深夜が付き合っていることも知っている。
保育士は笑顔で手を振りながらまた外に出て行く。柚子葉は数秒驚いていたがすぐに帰り支度を始める。
帰り支度が終わった柚子葉は残っている保育士に挨拶をして外に出ると深夜が傘を差したまま隅のほうに立っているのに気付いた。
柚子葉は深夜にそっと近寄ると背中越しに声をかける。
「深夜?」
「柚子、もう仕事は終わったのか?」
柚子葉の声に深夜は笑顔で振り返り柚子葉が濡れないように傘を持ち直す。
深夜の問いに柚子葉は頷きながらもさらに疑問で返す。
「うん。でも、深夜何でここに?」
「朝お前が傘持ってなかったと思って迎えに来た」
「だけど、深夜新任だし忙しいんじゃ…」
「大丈夫だって。ちゃんと他の先生にも言ってあるし」
「…ありがとう、迎えに来てくれて」
「いいえ。さ、帰ろうぜ」
深夜が促すと柚子葉も頷いて二人は一つ傘の下で手を繋ぎ自分達の家へと歩き出した。
今日それぞれあったことをしゃべっているとふと柚子葉が気付いたように傘の外に手を出す。
「雨が止んだね」
「本当だ」
深夜も雨が止んでいることを確認してから差していた傘をたたむ。
傘をたたんで二人は話しを続けながら家路へと向かう。
柚子葉は保育園であったことを、深夜は高校であったこと。ほとんどは柚子葉が楽しそうに園児の話をして深夜がそれに相槌を打つ形だ。
二人で話していると先ほどまで厚かった雨雲の隙間から夕日が見える。
二人がさらに家に向かって歩きながら帰っていると七色の綺麗な虹が出て来た。
柚子葉は虹を眺めながら呟く。
「…綺麗」
「…だな。梅雨は嫌だけどこういう綺麗な景色を見れるのはいいな」
「うん」
深夜も柚子葉の隣に立って同じく虹を眺める。
虹を眺めながら深夜は隣に立っている柚子葉にそっと話しかける。
「なぁ…、柚子」
「なに?」
「いつかさ…、いつか柚子が世話した園児が大きくなって俺が教師としてその園児に授業できたら凄いよな」
「うん。そうなったら凄いね…」
二人は自分達の頭の上に描かれている虹を手を繋ぎずっと眺めていた…。
今語った小さな夢がいつか叶いますように、それぞれがそう思いながら。