序章
一
その時代、街には粋な青年貴族が溢れていた。多くの場合、医者や大学教授である父親がよこしてくる金で彼らは流行りの帽子と上等なコートを揃え、ステッキを買い、めかしこんで街へ踊り出していった。行き先は大抵女のいる場所だった。彼らは花街を冒険しては、路地裏や廃墟の二階三階を回って名店や名器を見つけ出し、自身の開拓地としていた。学校にはただ出席届を配達しに行き、親からの学費の仕送りを待っていた。
わざと気取った格好をして自分の上流ぶりを見せるのが彼らなりのおしゃれの流儀だったらしく、その当時、花街には山高帽に燕尾服の男が大勢行き交っていた。ただ、通りを曲がってきた乳白色の髪の青年フィーネ・ユニカはそのことをわかっていないのか、自分に合う手持ちの服を着て大人たちの中を歩き回っていた。
フィーネは上等なコートの襟元を握ったまま遠慮がちに道を歩いていたが、そのうちに歩き疲れて、やがて前を歩いている男が通りの店の中の一軒に入っていったのを見て自分もついて入っていった。
中では紫色の薄明かりの下で女たちが歓声を上げて騒いでいた。十五人はいるようだ、どの女もその金や黒や赤の髪からは一様に香水が強く匂い、眼は落ち窪んで何重にも鍵が締められているようだった。客はいかにも脂ぎった中年男や肥えた男、フィーネと同じような年頃の無能そうなはいからも何人かいて、各々女の人を見定め、側に置いた美人と手を握り締め合ったり、おかしそうに笑ったり、女の尻を掴んでどこか見えない闇の中へ押しやったりしていた。フィーネはこの場所があまり気に入らなかった。しかし、この店で自分の父や、友人や、数多くの男子が至高の時間を過ごしているのだと考えるとその甘美を味わいたい深い興味に駆られてそこを立てなかった。ごく真面目で裕福な青年であるフィーネが散歩の行き先に花街を選んだのも、大それた事情はひとつもないが敢えて言えばかねてからの好奇心という、偶々と違わない理由だった。
筋に鉛をつけたような疲労が襲っていた足に血が通ってきているのを感じ、フィーネは店の奥へと歩き出した。その時懐に入れていた小銭が音を鳴らしたのを聞きとがめた耳ざとい女主人が笛を吹いて上玉の商売女を呼び寄せたが、彼女との商談をする間もなくフィーネは去っていた。彼は女に興味はなかったのだ。ただ、好奇心に従って一時の冒険を楽しむので十分だった。
進んでいくうちにだんだんと灯りは落ち、静かな中で女たちの派手な歓声は遠ざかった。
恋人たちの感情はあちこちの個室で高まっていた。昂りうずく情欲を抑えきれずに喘ぎ喘ぎ、肌の触れ合いを渇望して、戯れる人々の声が溢れた。水音が聞こえる。衣摺れが聞こえる。歩いていくうちに酔っ払って頭の芯が音を鳴らしているような気分になった。赤紫色の薄暗闇の中で、まるで夢を見ているようだ。
一一一と、その時、その中のどこかに悲鳴を聞いたとき、フィーネのくらくらしたような夢想は一気に冷めた。
それは確かに悲鳴だった。フィーネは考えるよりも先にさっと足早になり、向かった先には個室のドアがひとつであることを見て迷いなく取っ手に手をつけ押し入った。
若い娘がそこにいた。娘は木の椅子に仰向けに寝そべって、上に街のどこかで見かけるような助平そうな小太りが覆い被さって娘のスカートをまくり上げていた。この部屋で何が起きていたのかは一瞬で理解できた。フィーネは何も考えずにいたのが何を考えていいのかわからなくなり、先程と同じ人間の行動とは思い難いほどにただ呆然と立っていた。が、娘の方はそんなことを微塵も考えなかったようで、素早く小太りの中年の体の下から這い出して逃げ、フィーネの背中に身を隠した。小太りはまだ長椅子に四つん這いになって唖然としていた。少し遅れて、諦めずにフィーネにつき回ってきたあの上玉の商売女が入ってきた。
すぐに騒ぎになった。
客の男は顔中から湯気を出して女主人を呼んで怒鳴りつけた。「俺は金は払ったんだぜ!なのにこの女は言うことを聞かないんだ!」
「申し訳ございませんでした」
フィーネは隅の壁に張り付いて唖然としながら、反対側にいる娘を見ていた。娘はなかなか愛らしい見た目をしていた。髪が桃色で美しく、目と唇の形が人形のようだった。しかし、その顔は憂いと微かな希望と、清く潔白な純粋さをたたえていた。見れば見るほど彼はこの娘に惚れ惚れしてしまった。自分の処遇への怯えを隠しきれない青白い顔と痩せていて自信のなさそうな立ち姿は実に哀れだった。先程、迷わずに客から逃げ出した姿を思い出すと、どうしようもなく可哀想で、彼女の味方になってあげられないかと見も知らない人なのに情を引き起こされた。
フィーネは壁にもたれて立ち、じっと考え、目を瞑ったり開けたりしていたが、ついに心を決めて談義の中に堂々と分け入った。
「この子は僕の女の子なんです」
当たり前のように述べる。爽やかに笑顔を見せると、女主人、客、娘、それぞれの目線が散らばっていたのに一様に驚いたものになってフィーネに注がれた。
「この娘さんをお買い上げする予定があったんです。店先にいなかったのでここまで探しに来ました。ちょうど今日が迎えに来る日で、お支払いも今日するつもりだったんですが、お店にお伝えするのが遅くなってしまいました。ご迷惑をおかけしてすみません。よろしければ、お詫びにお代はそちらの言い値で支払わせてください」
最後の言葉を聞いて女主人の顔色が変わった。彼女は言い値という言葉と、フィーネの裕福そうな身なりと、小銭の音を聞いたことを思い返した。そして目を煌めかせ、大きく見開いて、「ええ、結構でございます」と言った。
「こんな婢女で良ければ、旦那様、どうぞご自由にお買い求めくださいませ。大歓迎でございます。さあ帰んな、あんたには用事はないのよ」
そう言って、小太りの男は外に転がり出されてしまった。フィーネは女主人に言葉をかけようとしたが、その向こうに娘が自分を見上げているのに気づいて、彼女をみてにっこり微笑んだ。
昼過ぎの温かい時間にフィーネと娘は外へ出た。街には踊るような足取りの若者が溢れ、甘ったるい歌声の女が詰め込まれていた。娘は今や自分が彼女ら女たちとは違う存在になったことが信じられなかった。どんな風に楽しめば良いのかも考えられず、わからないことは多すぎた。しかし自分の身の振り方は心に決まっていた。
花街の門を外へくぐった後、フィーネは娘を郊外の洋品店に連れ出して一着のコートと一足の靴を買ってあげた。
「なんで君を助けたのか、理由はわからないんだ。僕も人の役に立てると、僕でも人を喜ばせることができると確かめたかったのかもしれない。金持ちの息子の木偶の坊は嫌なんだ。君には綺麗事かもしれないけど...。とにかく、もし君の役に立てていたら嬉しいよ。これは自由に使って」
そう言って小切手を何枚か渡そうとした。
娘はその手を両手で包み、フィーネの両手を握って言った。
「私、ヴァーゴです」
ヴァーゴはそれ以上を喋れなかった。胸の中を切望でいっぱいにして、大声を内包した沈黙でもってフィーネに頭を垂れた。
答えを出すにはしばしかかった。
「ヴァーゴ、店に戻ろう。君が住むのに必要なものを揃えなくちゃ」
フィーネが黙っていたのは、実は、思いがけない喜びに胸が詰まって声をなくしてしまったからだったのだ。
ヴァーゴの青ざめた頰に美しい紅色が差した。
二人は愛し合う若い恋人として、道の上を弾むように駆け抜け、商店街の人々の中に溶けていった。
二
ヴァーゴは美しく、娼婦であることを除いては純真で気弱な優しい娘だった。彼女の自慢は一一一実際に驕ったことはない謙虚な娘だったが一一一桃色の光沢のある髪と、暗い艶を持つ宝石のような青い瞳だった。身一つの生娘にとって、それらは生きていくのに有効な手段だった。すなわち若さと美貌である。
彼女は十何年か前に名もない街で生まれた。こう記すのも、貧乏人だったために役所に彼女の出生届が残っていないのである。そして八歳を過ぎ、十歳を過ぎ、もう暫く経ってからこの花街の石畳を踏んだ。彼女を引っ張ってきたのは人買いだった。彼女は売られたのである。実際、珍しい出来事でもなかったのだが、美しい娘が貧困と恐怖の渦に呑まれていったのは哀れみを誘う話に違いなかった。
そして美しさは彼女の唯一の武器になった。すぐにでも街の路地の隅の方に蹴込まれ、身ぐるみ持っていかれそうなうぶな少女は、生きる手段があれば何であろうと喜んで飛びつくしかなかった。つまり、彼女は死なないために娼館に行くより仕方なかったのである。ヴァーゴは美しい上に若かったので人気だった。しかし、彼女の頭の片隅には常に田舎から自分を乗せてきた馬車の暗い思い出が染み込んでいた。
娼館を追い出され、捨てられ、生きるあてをなくしていく自分を想像するのが怖かった。故に彼女はたとえ娼館でどんなことが起ころうと、どんな扱いを受けようと、ここを離れる気には決してならなかった。肺炎や梅毒で仲間の皮膚に青い粒が浮いて死んでいった冬も、三人の客を朝昼晩に分けて抱きしめ口づけを交わした夏も、彼女は娼館を出なかった。
また、ヴァーゴは身を売ったこともなかった。これも恐怖のためであった。
一体何が怖かったのかと疑問に思うことはないだろう。彼女は普通のことを考えたのだ。ただ、この街と彼女の身分が常識を欠いていただけだった。
しかし、そうだからと言って誰かから哀れみが施されるはずはなく、そればかりは美貌を持ってしてもどうしようもなく、身を売らない娼婦が許されないときはついに来た。
ある日、一人の男性客が彼女を部屋に招いた。ヴァーゴは男と二人きりなど嫌だったが、賃金を慰めに部屋に向かった。客は昔からよく聞いてきた野獣になった。ヴァーゴは泣いたり、喚いたりしたが、手と足を抑えられたとき不意に一筋の涙がこぼれた後は声は出なくなった。
その時に彼女の天使が現れたのだった。
店を出る時、ヴァーゴは不思議なことにもフィーネを少しも恐れていなかった。ただ、彼は私に親切にしてくれた、とそれだけを噛み締め、このまま彼のそばにいられたらどんなに幸せか考えては「いけないわ、夢を見すぎるとそれだけ打ちのめされるんだもの」と言い聞かせていた。暴力と軽蔑にさらされる身でいて、それでいてただの田舎娘だったヴァーゴは親切な好意に飢えていた。それを与えてくれたこの人は間違いなくヴァーゴの人生で最良の人間であった。彼さえいてくれれば、という思いが彼女を満たしていた。自由の身というのもまた信じられなかった。これは夢で、起きたらまた自分はあの窓から客を引く女の一人になっているんじゃないかしらと重ね重ね思うほど、新鮮で心もとない身分だった。それゆえに彼女は彼に身を寄せていたかった。
そして今、同じくフィーネの腕にすがりながら、ヴァーゴは幸福と愛情に溢れた昼を迎えていた。全ては夢のようだった。覚めるのが恐ろしいが、その時に彼が横にいれば構わなかった。それに、いつしかその怖さも忘れて、ただ愛に満ち足りた気持ちに包まれていた。
やがて二人は新しい暮らしの舞台に郊外を選んだ。外にはめった見ないが、中は快適だった。ヴァーゴはただ愛する人がいる幸せを日ごと味わった。元々貧しい身の上で無欲であり、欲を持たない気質も生活をささやかな幸せで彩るのに役立った。
フィーネもヴァーゴのため家具を揃え、服を買い、装飾を選んだ。彼もまた何かの役に立つということを欲していたのかもしれない。金持ちの御曹司というのはそういうことをするのに不便な立場で、市民から極めて反感を買いやすく、何をしても「偽善」と呼ばれどんな行いも「金持ちの自己満足」と言い換えられてきて、矢面に立たされるのはもう宿命に近かった。それだけに、素直に感謝し喜ぶヴァーゴは心を打った。ヴァーゴが嬉しそうにしているのを見るたび、彼の心はヴァーゴ以上の幸福に溢れた。フィーネは毎日、いかにしてヴァーゴを喜ばせるか、それだけを考えるようになった。
暮らし始めてから、ヴァーゴの頬は紅色を失うことなく、フィーネは笑顔を失わなかった。そのうちに二人は結婚を決めた。薄い丸い文字で「ヴァーゴ」と書いて、止まり、ペンを置いた妻を見て、フィーネはフランス文字のように洒落た字で「ユニカ」と続けた。こうして親なき娘ヴァーゴは姓を持った。彼女は家族を持ったのである。
夫婦になっても二人はまるで恋人だった。二人の年は若く、二人の青春は遅かったから。
ヴァーゴは相変わらず紅色の頬をして、着飾った。彼女はもう惨めで哀れな若い娼婦ではなかった。見違えるような立派な身なりの気品溢れる夫人だった。美しい服に身を包むと、その姿はまるで貴族だった。ただひとつの気がかりは、自分を着飾らせている、その金は一体どこから湧くのかだった。彼女はとうに夫の素性を知っていたし、舅夫妻の目を気にしたこともあった。ポストも毎日覗いた。だが、彼の家族は、郵便物も何もよこしてこないのだ。しかし、ヴァーゴは敢えて家庭の事情を知ろうとはしないし、フィーネにしつこく尋ねたりもしなかった。聞かれたくないことは誰にでもあるのは知っているし、それが家族であるならばさらに話したくない気持ちには共感できた。聞かれたくないことを聞かれたときの困惑も想像できた。大人が親の援助を受けずに生活しているのだから、今の生活は夫婦水入らずとも言える。それにフィーネはよく働きに出ていた。仕事がないのは問題だが、幸い夫はそんな目を見ていないので、働けばお金が入るのは特におかしくもない原則だろう。
この賢い妻の考え方によって、二人の仲はいつでも平和に保たれていた。理想を唱える者がいれば眉をしかめるだろうが、長く愛し合うには時に干渉を避けることも必要だ。それは秘密ではなく思いやりなのだ。そうして二人は幸せに暮らした。
だが、幸せに溢れたその暮らしは突然消えた。
フィーネが消えたのである。
三
その朝はあっけなくやってきた。
置き手紙があった。指輪は返されていなかった。部屋は整っても乱れてもいなくて、家が広くなっていた。
ヴァーゴは手紙を見るやすぐに家を飛び出し、道路に飛び出した。人という人に迷わず恐れず躊躇わずに聞いて回った。警察も三軒回った。乞食に金を払い、夫を見つけてくるよう頼んだ。朝早くに家を出て、夕方まであちこちを回った。そのうち日が暮れた。だが夫は現れなかった。
「どうして?」
ヴァーゴは呟いた。
「どうしていなくなってしまったの?」
彼女の希望は夫と共に暮らすことだけだった。彼女の喜びは夫と共に眠ることだけだった。彼女の楽しみは夫とたわむれることだけだった。ヴァーゴの見ている世界は、それゆえ、輝きに溢れ、いたずらで、生き生きとしていたのである。全てのものが歌い、全てのものが弾み、望むものはすべて手の中にあった。
その世界は終わった。今や街は元通り色を失っていた。
ヴァーゴは夫を失ったのである。
夜になり、ヴァーゴはゆっくりと歩き出した。
歩いていても行く宛てなどなかった。彼のいないところは私の家じゃない一一一。思い出という名の牢屋だ。
雨が街頭に輝き、歩道を妖しい光に揺らめかせる中を、ヴァーゴは歩いた。考える力は残っていなかった。事実を飲み込む力もなかった。立ち止まれば途方も無い何かに食われそうで、ヴァーゴはひたすら歩いた。雨が服に染み込むうちに、心も冷え込んだ。
月が遠く高い空で輝いていた。自分が幸せの世界から突き放されたことが身体に染みてきた。
自分は、昨日とは全く違う場所に追い込まれ、もう二度と戻れない。
彼女の口許は微笑みを帯び始めたが、頬は青ざめていた。
その時、暗闇から怯えた叫び声が聞こえた。
鹿が草陰に飛び込むように、ヴァーゴは家屋の裏に隠れた。外壁に沿って張り出している階段を上り、路上を見下ろすと、大男が二人の少女を物影に連れ込んでいるのが見えた。大男は片方の少女を脇に立たせておいて、もう一人の年少らしい少女を石畳に組み伏せ、上に乗ってシャツを剥いでいた。
あの年長の少女がこれから何を見せられるのかヴァーゴにはわかった。彼女に美しい憎悪の炎が燃え上がった。自分はなんとしてもあの大男を打ち倒さねばいけないのがわかった。
ヴァーゴは階段を跳ね上がり、屋上の柵のそばに置かれた煉瓦を見て間髪入れずにそれを抱え上げ、路上に戻ってきた。男の背中に近寄る。二人の荒い呼吸が微かな足音を消していた。ヴァーゴは煉瓦を大きく振り上げ、男の頭に振り下ろした。重い音がして、荒い呼吸の音が止まった。
大男はゆっくりと傾き、地面にもんどりうって転がった。脇で二人の少女が息を詰めていた。ヴァーゴは絶え間なく血と呻き声を漏らし続けている男の頭を踏みつけ、靴底を擦りつけた。大男のくぐもった苦悶の声が聞こえた。
男はついに動かなくなってしまった。
屍の傍で、二人の少女が目を見開いて突っ立っていた。ヴァーゴは男から足を離すと、黒いブーツを眺めた。男から流れ出た血で茶色くなってしまっていた。
「あぁ、これは靴磨きじゃダメだわ。買い替えなくちゃね」
少女たちは青ざめて目を見開いた表情のまま、ゆっくりとヴァーゴに顔を向けた。三人はお互いに見つめあったまま、しばらく黙っていた。しかし、程なくしてヴァーゴが一一一親しげに、温かい微笑みを投げた。女らしく優しげでなよやかな笑い方だった。
「ごめんなさいね。怖かったでしょう。私、貴女たちを怖がらせてしまったのね」
一一一一一一その声は彼女自身も驚いたほど、今までに出したこともない、温かく、艶のある声だった。
彼女は少女たちを思いやっていた。かつての娼館にいた、地獄の中にあった自分の姿と重なる少女たちの姿に胸を痛めていたのだ。そして同時に、あの時と全く変わらない横暴な男に憤っていた。
「私、彼が許せなかったの。したいままにして、貴女たちのような可哀想な子に辛い思いをさせている奴が......。こういう男は苦しまなければいけないの。そうでしょう?」
そう言って、「彼は死んでしまったの?」と聞いた。
少女の一人がゆっくり頷いた。
「そう。ま、仕方ないわね」
ヴァーゴは今度は唾を吐くように苦く言い捨てた。少女たちが驚いていると、「あら、ごめんなさいね」と言った。
「貴女たちのおうちはどこ?もう遅いわ。送ってあげる」
そう言われた二人の少女は顔を見合わせ、黙り込んでしまった。当然だわ、とヴァーゴは思った。いくらこちらが愛情を持っていると言ってもたった今目の前で事件を起こした人間に話しかけられ、恐怖を覚えないはずはない。ましてや一緒に帰るなど考えられない。だが、ヴァーゴはこの少女たちに何の殺意もないのは確かだった。それどころか自分の境遇と重ねて好意と同情を寄せ、温かく思いやってさえいたのだ。
ヴァーゴはどうすればこの少女たちを怖がらせずに済むのか頭を悩ませた。すると、年長の少女が言った。
「あの、あたし達、うちがないんです」
ヴァーゴは目を丸くした。
「うちがないですって?」
二人の少女は惨めそうな顔をして頷いた。ヴァーゴは息を詰めて同情したが、その時、ヴァーゴの頭にある危険で素敵な考えがひらめいた。言おうかどうか詰まりそうだが、この少女たちに考えさせれば問題はないだろう。
「うちがないなら、私の所に来る?」
今度は二人の少女が目を見開いた。ヴァーゴはなるべく明るく朗らかに、幼い我が子に言い聞かせるような調子で言った。
「大丈夫よ。恥ずかしいけど、実は私、昔は娼婦だったの。だから貴女たちが辛い思いをしているのはよくわかるのよ。私、貴女たちに苦しい思いは二度とさせないわ」
少女たちは黙っていた。
「ねえ、良ければ私に貴女たちの力にならせてくれないかしら。助けてあげたいの。でも、望まないのならばそう言って」
それを聞いて二人の少女は首を激しく振った。片方が「連れていってください」と言い、二人とも同じ方向に激しく振っていた。ぼさぼさに荒れたくすんだ髪の毛が、さらに乱れて広がった。ヴァーゴは思わず二人の少女を抱きしめていた。
ヴァーゴは二人の少女をコートの両脇に固く抱きしめ、ひとまず自分の家に歩き始めた。
「そう、私はヴァーゴというの。ヴァーゴ・ユニカよ」
ヴァーゴは優しく語りかけながら夜の中を二人の少女を連れて歩いた。彼女の頭にはこれからの暮らしを切り盛りするためのアイデアと、新しい暮らしをどこで始めようかという楽しい思案と、姓を名乗ったときに少し動いた胸の痛みが広がっていた。
雨の夜の闇が街の景色を暈し、やがてヴァーゴも、少女も、建物もすべてがすっかり滲んだ黒に染まってしまった。
ちょうど夜の闇にぼやけた墓場の景色にそっくりな夜だった。
皆様にベタ褒めされてやる気を出しました()
ハッスルして序章の下書きをすごい速さで完成させました。この後、第一章までは下書きができているのですが、それ以降はまったり投稿になるかと思います。ご了承ください。
さて、本編です。
まずは本編が始まる前段階として、お話の重要人物であるユニカ夫妻について描写しました。キャラクターの作者さんにおかれましては進行に必要だったとはいえかなり勝手に執筆しましたので、キャラシートの設定と食い違いはないのですが、作者さんの意図と違いましたら仰ってくださいね‼︎
さて、そんな内縁の話は置いて話すと、この二人は本編においても心情の展開や重大な行動を度々取りますので、この章で描写している人格形成の過程や前日譚を見ておくと本編を読むときに色々と考えが広がるかもしれません。もちろん本編でも大活躍する夫婦ですので、二人の登場を楽しみにしていてくださいね!
さてさて、次回からはいよいよ本編のお話が始まります。様々なキャラクターが次々登場しますので、気になる登場人物がいる方はお待ちください。また、たくさんの登場人物一人一人が選ぶ道に共感したり憧れたり不快に思ったりしながら話を進める面白さにもぜひご注目ください。
それではまた次章もどうぞよろしくお願いします。閲覧ありがとうございました。