プロローグ
・軽重の犯罪や売春、麻薬の場面があります。
・ショッキングな描写が登場します。
・キャラクターのイメージを損なわないよう台詞や描写には気をつけていますが、自分の意図とギャップが激しいと思われた作者さんがいらしたらご一報ください。連絡手段は企画の専用ルームです。
・本小説はうごメモ発祥の自由参加型企画「AREA"D"」及びそのキャラクターを基としています。
序
夜風のすさぶ墓地を、一人の女が歩いていた。
辺り四面は暗い闇が広がっていて、風が吹いてくるたびに体の表面は刺され、芯の方は凍りつくような夜だった。空には星がきらめいていた。月はまるでずっと高く離れたところにあるように見えた。
女は喪服の襟をかき集めながら、背筋を伸ばして不吉な墓石の中を歩き続けた。彼女の足元にあるのは路上死した浮浪者や入れる墓のない無数の貧民を埋葬した墓の碑石だった。碑石はちょうど蹴飛ばしたりつまずくにはおあつらえ向きな大きさの長方形の灰色の石で、たまに名前と生年月日、死んだ日付が刻印されていた。人の命を、人生を葬っていると形容するにはあまりに軽い作りだが、そのことを指摘する遺族はほとんど話に聞かなかった。
しかし彼女はそういったわけでなく、何か気力のようなものを感じさせる眼差しで辺りを見回していた。女は美しく、若く、荒んだ風景で気高さを醸していた。女は何かを探し求めて夜の墓地をひたすら歩いた。
「何をしているんだい」
前触れもなく暗い中からぼうっと声が響いた。女が立ち止まって、目を見張って周りを見回すと、暗闇から若い男の姿が青白く浮かんできた。
若い男は街のどこでも見かけるような無難に派手な(おかしな表現だが)服を着て、傍に大きなトランクを下げていた。彼は親しげに笑いかけると、ちょっとお辞儀をして喋り出した。
「驚かせて悪かったね。だけど、こんな時間にこんな場所にお一人なんて珍しい」
「父の命日なのよ。昼間は忙しかったから今お墓を探しに来たの。放っておいてちょうだい」
女はそうはねつけると男の脇を通り抜けて歩き出した。しかし、男は振り向いて言った。
「だったら僕、君の役に立てるかもしれない」
女が再び立ち止まると、男はまた微笑みかけて言った。
「僕はルンフォン。何でも屋なんだ。良ければ一緒にお墓を探させてくれないかな」
女は目を見開いてルンフォンを見た。いきなり現れたこの若い男を信頼する気は起きなかった。彼女に沸き起こったのは、疑いと、過剰な親切に対するおっかなさの感情だった。親しげなルンフォンに友好の心は動かず、女はただ驚き慄いて立ち尽くしていた。夜の闇が逃げ場を塞いで自分とこの男を取り囲んでいるようだった。
若い女は毅然たる目でルンフォンをじっと見据えていた。凛然とした強い眼差しで自分に伸ばされる恐ろしい黒い手と淀んだ瘴気を撥ねつけるかのようだった。
だが、不意に彼女は鋭いままの目をうつし、喪服の袂から財布を取り出して小銭をルンフォンに握らせた。
「お願いするわ」
彼女はこう告げた。しかし、眼差しは依然ナイフのように鋭いままだった。
ルンフォンは小銭を受け取ると、トランクを開けて中からマッチとランプを出した。シュッと音が聞こえたと思うと、温かい灯が周りを明るく照らしていた。彼はトランクを閉じると、オレンジ色に輝くランプを片手に立ち上がって前を歩き出した。
「君...ええと、何だっけ。お父さんはどうして亡くなったんだい?伝染病?事故?それとも...」
「ベルガモットよ。こんなこと言いたくないけど、薬漬けよ」
女にかっとした様子はなかった。淡々とした節の言い回しが、むしろ彼女の持つ怒りの色濃さを物語っていた。赤黒い憎しみの感情が若く美しい彼女を支配しているのだった。ルンフォンは特に何も反応せず、「そうか、じゃ、もうちょっと先だ」と告げた。
「どうして?この辺りはみんな...その...そうやって死んでしまった人のお墓じゃないの?」
「うん、だけどここはつい最近亡くなった人のお墓なんだ。君のお父さんが亡くなったのは少し前のことじゃないの?」
「ええ...そうよ。私がまだ子供だった頃」
「大変だったね」
「同情なんかいらないわ」
ぴしゃりと扉を閉めてしまうようなベルガモットの言葉を最後に、二人はしばらく黙り込んで歩いた。道程には枯れた木が間を開けて立っていた。夜風は人を打ち倒すばかりに強くなっていた。歩けば歩くほど辺りは暗くなった。途中で一人、うつろな目をした女とすれ違った。歩けど歩けど墓は続いていた。
「ずいぶん多いのね」
とうとうベルガモットは無機質にだが言った。
「こんな街だからね。いつでもどこかで悲劇は起きているのさ」
ルンフォンはふと立ち止まった。彼は微笑んだままで足元を凝視した。カカシになったようにいつまでも目を離さずにまっすぐ立っている姿が不気味で、ベルガモットは始めて足を進めてルンフォンに並んだ。そして名前を見たとき、彼女は息を詰めた。
そこにあったのは粗末な碑石だった。つまづける大きさの灰色の長方形の石、横の面には『アルボーニ夫妻ここに眠る。生前に夫妻についての用事が済んでいない者は遺児ベネデットを訪ねよ』と刻印されていた。
二人は何も言わずにその墓石を並んで眺めていた。ため息ですら出なかった。
ルンフォンは頷くと、言葉を続けた。
「いつだって誰かが誰かを苦しめている。時々は比べ物にならないほどの大勢の人に貶められる人もいる。そうやってただの街を地獄に変えてしまうにはエネルギーは十分なんだ。普通の人間を加害者にするのは簡単なことだよ」
ベルガモットは目を伏せたまま頷いた。
目の前の墓石は二人に同じことを思い起こさせた。遠くない日に街に起き、爪痕は尚消える様子を見せず、全ての人を重く押し潰した事件がまさに差し迫ってくるようだった。名前を見た瞬間、二人の時間は巻き戻り、目の前には一面の荒廃ぶりがだだ広がった。重い衝撃だった。
「悲劇が起きるのは簡単、加害者を生むのはもっと簡単だ。加害者に仕立て上げるのはさらに簡単だ...。地獄に通じる道は誰にでも開かれていた。だけどあの時、彼女は大勢に憎まれてたった一人で地獄に突き落とされた。彼女はありふれた人だったんだ...少なくともありふれた人でいられるはずの人だった」
辺りにはどこまでも影が伸びていた。星たちがずっと遠くで愉快にきらめき、夜風は冷たく吹いていた。木と草が枯れた音を立ててざわめいていた。
「だけど、本当に地獄へ続く道を歩いてしまったのは誰だったんだろう」
「ええ、誰かしら。あるいは彼女も最初の一人だったかもしれないわ」
「そうだね。ねえ、彼女の話を始めよう」
枯れ木のなる音と北風に混ざって、二人の声は同じ人の名を重ねていた。
「ヴァーゴ・ユニカ」
と。
まずは謝罪させてください。
企画の皆様、発表がこんなに遅くなってしまいました!誠に申し訳ございません!
ようやくプロローグが書けました。
さて、後書きでは主に内容の解説や余談を語っていこうと思うのですが、プロローグだけでは語ることもないので次章以降にお預けにしておこうと思います。
ひとつだけ語るとすれば、この場面に登場する踊り子ベルガモットについて百夜奈々さんがとても面白い設定を教えてくださったのでそれを知ると墓場のあの場面の解釈がさらに面白いことになるかもしれません。詳しくは企画ルームの私と百夜さんの会話をご参照ください。
では、私は次章をなるべく遠からぬうちに披露できるよう頑張ってみようと思います。閲覧ありがとうございました!次回もぜひよろしくお願いします!(企画の皆様感想とか待ってます!!)