第8話 少しずつ
私の予想通り、猫の刺繍一つでベルに対する子供たちの反応は違った。
世間一般的には休日である土曜日。
買い物に出た帰りなんだと思う親子が喫茶店にやってきていた。
その親子に注文を聞きに行くベルの様子を、私はお皿を洗いながら眺めていた。
「ご注文は何でしょうか?」
人好きする笑顔を浮かべたベルに、母親は穏やかな笑みを返す。
けれど、幼い女の子はどこか怯えたようにベルを見ていた。そう。どれだけ笑顔を浮かべていようと、まだ社会のあれやこれやを察することができない子供には気の利いた言葉も出るが筈がない。だから、本当にただの笑顔なのに、目つきの鋭さのせいで怖がられている――ただし、普段なら。
今日のベルは違った。
エプロンの可愛らしい刺繍に気が付いた女の子は、パァッと目を爛々と輝かせてると、飛びつくように口を開いた。
「ねえねえ、お兄ちゃん! それ、猫だよね!」
「ん、この刺繍か? ああ、そうだ。お前が言う通り猫だぜ」
「すっごく可愛いよ!」
「ありがとな」
二カッと笑いながらベルは女の子の頭を優しく撫でる。女の子もベルに頭を撫でられることを嬉しそうに笑っていた。
微笑ましい光景に女の子の母親は頬を緩め、ベルに注文をし始めた。
「あの刺繍をしたのは詩乃ちゃんよね」
「はい、そうです……あれ、琴ちゃんはどうしたんですか? ひょっとして、まだ寝てるんですか?」
今日はなかなか起きてこない琴ちゃんの様子を見に、お店の奥の住居スペースに戻っていた奏さんが立っていた。
「ええ、まだ寝てるわ。昨日はなかなか寝付けなかったから仕方ないけれどね。まあ、もう少ししたらお起しに行くわ」
「そうですか。じゃあ、朝ごはんの準備は私がします。奏さんはお客さんにコーヒーを淹れてくれませんか」
「構わないけれど、別に私じゃなくても詩乃ちゃんが淹れてもいいのよ?」
「いえいえ、まだ私は奏さんみたい美味しいコーヒーを淹れられませんから」
「そお? 私は詩乃ちゃんのコーヒーも十分美味しいと思うわよ」
微笑を浮かべて奏さんは呟くと、ペーパーフィルターをサーバーにセットする。そして、焙煎して粉状になったコーヒー豆をペーパーフィルターにいれ、私があらかじめ沸かしておいたお湯をゆっくりとフィルターに注いでいく。瞬間、仄かにコーヒー豆の匂いが鼻孔を擽る。
奏さんは途中でお湯を注ぐのを途中でやめ、お湯を注ぐということを何度か繰り返す。そうこうしているとサーバーにセットしたフィルターから、サーバーの底に抽出したコーヒーエキスが落ちていく。さらにお湯を注ぎ続け、ある程度サーバーにコーヒーエキスがたまっところでペーパーフィルターを外して、入れたばかりのコーヒーをカップに注いでいく。
私はその慣れた手つきに、感嘆の声を漏らして眺めていた。
ドリップコーヒーというのは見かけ上は簡単そうに見えて、実は意外と難しい淹れ方である。
粉の量やメッシュ、湯温度々で香味が変わってくるからだ。逆を言えば、それらの変化を理解でき、なおかつコントロールさえできればさまさざま香味が出せるようになるわけである。
正直なことを言えば、ドリップコーヒーで十回やって、十回同じ香味が淹れられるようになれば一人前だ。
このまま研鑽を積んでいけば、いつか奏さんのように慣れるかな。ううん、なるんだ。
「はい、詩乃ちゃん。お客さんのところに持っていって」
「はい」
物思いに耽っていた意識を引き戻し、私はカップを受け取りお客さんの下に運んでいく。
その際、私はベルの傍を通り過ぎた。
あの猫の刺繍が功を奏したのか、他にもお店を訪れていた子供たちと仲良く談笑していた。
その時の私は、少しずつ打ち解けていくベルとの生活が続けばいい。
そんなことを考え始めていた。




