第7話 思い出3
次回更新は2月4日です!
最近の私の日課は、朝食ができると居候であるベルを起こしに行くことだ。
暇さえあれば食っちゃ寝しているベル。そして、彼は一度寝るとなかなか目覚めない。
耳元に目覚まし時計を置いて鳴らしてみても、不快そうな顔をするだけで、規則正しい寝息を立てている。猫じゃらしで鼻を擽ってみても、くしゃみをするだけで特に効果はなかった。
なので、
「えいっ」
私は自分の部屋から分厚い参考書を持ってくると、ベルのお腹の上に何のためらいもなく落とした。
「ぐおげっ⁉」
部屋にベルの悲鳴が響く。
ぴくぴくと体を小刻みに震えさせながら、苦悶の表情を浮かべるベル。私はその姿をため息混じりに見つめながら、床に落ちた参考書を回収する。
「ほーら、朝だよ。朝ごはんを食べよ」
「……食べる前に、何か口から出たような気がする」
「出たのは悲鳴だけだよ」
「……お前のせいでな」
ベルはまだ痛むらしいお腹さすりながら、のんびりとした動きでベッドから起き上がる。
「で、朝ごはんか。分かった。顔を洗ったら食べるよ」
「うん、そうして。いつも気の抜けた顔をしているんだから、顔洗ってシャキッとしてきてね」
「はいはい」
適当に相槌を打つベルは、のそりと立ち上がると洗面所へと向かおうと部屋を出て行こうとする。
――あれ?
ふと、そこで、私はあることに気が付いた。
脇を通り過ぎようとしていたベルの横顔がいつもと少し違っていたような。
ううん、実際のところはいつも通り目つき以外気の抜けた顔をしているけれど、どことなく晴れ晴れとしているような気がする。
「あのさ、ベル」
扉を抜けようとしていたベルの背に、私は声を掛けた。彼は立ち止ると、私の方に振り返る。睡魔がまた襲ってきたのか目尻がたるんで、目つきが緩んでいる。
「ふぁあ~……何だ?」
「欠伸するなら、口元を覆いなよ。それで、ベルってば何か良い夢でも見た?」
「あ?」
尋ねられたベルは驚いたように目を瞬かせ、スッと私から視線を逸らした。そして、かったるそうに頭を掻きながら答えてくれた。
「何で分かんだよ?」
「何となく、かな」
「はあ? それで分かるって詩乃は何なんだよ」
「だから、何となくだよ」
私は悪戯っぽい笑みを浮かべ、肩を竦ませる。
ベルは納得いかなげに口をへの字に曲げる。けれど、すぐに考えることを諦め、「そうかよ」と短く呟いて洗面所へと向かって行った。
その間に私はキッチンに戻り、炊き立ての白いご飯と味噌汁を二人分用意する。ちょうど、テーブルに置いた瞬間、ベルがやってくる。
私は急いでお茶を用意すると椅子に座り、いつも通り二人で朝食を食べ始めた。
そう、いつも通り。
♪♪♪
朝食を食べ終えた私は椅子に座って、裁縫作業に集中していた。
「うん、できた」
手に持っていた針をテーブルの上に置き、天井を見上げる。細かい作業をやっていたせいで疲れた目を解きほぐしながら、出来上がったものに視線を戻す。
テーブルの上には藍色のエプロンがあった。
これはベルがお店で着ているエプロンで、ちょっとやりたいことがあってわざわざ持ち帰ってきたのだ。
そして、先ほどまでベルが着ていた時は何の柄もなかいエプロンだったけれど、今は胸元に大きな猫の刺繍が施されている。
「俺のエプロンを持って帰って何をするかと思えば、ただの刺繍かよ」
いつの間にか私の背後に回っていたベルは、私が刺繍を施したエプロンを、特に関心を示すことなく見つめていた。
その表情に私は、むっと頬をほらませ睨みつける。
「ただの、とは失礼だね。これは、ベルのためにやってるんだよ」
「俺のため?」
「うん」
言葉の意味が分からず首を傾げるベルに対して、私はしっかりと頷いて見せる。
「ベルってば、初日から常連のお客さんと仲良くなれるくらい距離の積め方が軽いみたいだけど、目つきが鋭いせいで小さい子たちに怖がられてるでしょ? だから、こうやって可愛い動物の刺繍でもすれば近寄ってきてくれるかと思ってやってんだよ」
確かにベルは奏さんが口にしていたように、相手の懐に潜り込む技術がすごい。強面のお客さんも来るというのに、ひょいひょいと壁を乗り越えて仲良くなっている。
けれど、生来の目つきの悪さが災いしてか、あまり琴ちゃんと近い年の子供たちには怯えられていた。 フットワークの軽いベルの方から話しかけても、やっぱり目つきに怯えてしまい父親や母親の背中に隠れてしまい、まともな会話にすらならなってなかった。
やはり無垢で純粋な子供は素直だなあ、と思う。
「別にそこまでしなくても、向こうも少しずつ慣れてくるだろ」
「それでも、自分から受け入れてもらいに行くことも大事だよ。近くには琴ちゃんだっているんだし、琴ちゃんとも仲良くなるのも含めて努力した方がいいんじゃない?」
「……うっ」
私の指摘を聞いていたベルは、痛いところを突かれたらしく表情を引き攣らせる。
まあ、実際にそこまで深刻に考える必要はない。そんなに考え込まなくたって、ベルなら案外早く懐かれると思う。
だから、私がやっているのはただのきっかけづくりにすぎない。それでも、彼の助けになったら良い。
「はい、明日から使ってね」
私は刺繍を入れたエプロンを皺がないように綺麗に畳んで、ベルに手渡した。
「……、」
「――ベル?」
一瞬、何か考え込むような仕草をベルは見せたような気がした。けれど、何かを誤魔化すかのようにいつもの飄々とした表情を浮かべた。
「ありがとな。ただ、それだけだよ」
「う、うん」
今日は妙に素直なベル。
公園にいた時から感じるこの違和感の正体は何だろうか。




