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第4話 領分

「はぁ~~~~~~」


 一限目を終えた私は、長いため息を吐きながら机に突っ伏していた。

 結果から言うと、私は盛大に遅刻した。

 先生に気が付かれないように教室の後ろの扉から忍び足で中に入ったものの、名指しで指名を受けその場で教科書を読むようにといわれてしまった。

 もちろん、先生も本気で言ったわけではない。ただ単純に「誤魔化しても無駄だぞ」と言いたかったのだ。けれど先生の一言で、忍び足で教室を歩いていた私に視線が一斉に集まり、クラスのみんなに盛大に笑われてしまったのは言うまでもない。

 詰まる所、良い見世物だった。

 そんな疲れ切った状態の私の鼓膜を、底抜けに――ううん、呆れるくらい元気な声が叩きつけた。


「やっほー詩乃ちー! 遅刻なんて珍しいね!」

「ああ……千里か。うん、まあ、ちょっとあってね」


 机の上でぐったりとしたまま、顔も上げずに答える。


「ふー……ん、ちょっとね」

「なに?」


 含みを持った物言いをしてみせるので、私は眉をピクリと動かし千里を睨みつける。けれど、千里はどこかの誰かさんのように、どこ吹く風とばかりにするりといなして見せた。


「べっつに―深~い意味はないんだよ。ただ、何でもかんでもオープンな詩乃ちーが言葉を濁しているから珍しいと思って」

「私だって言いたいことと言いたくないことを分けるよ」


 私は口をへの字に結びながら呟く。

 けれど、私はすぐにしまった、と思った。


「ほほー……う、ということはお姉さんに言えない秘密があるということですね」


 千里は口の端を持ち上げ、実に性格のよろしい笑みを浮かべる。


 ――……あっちゃー。


 私は頭を抱える。

千里はこういった話が好きなんだった。

 この時の千里はにやにやとした表情で、しつこく問い詰めて何か情報を得ようとする。それはもうハイエナのごとくだ。

 面倒くさいことこの上ない。


「いや……何でもないって」

「ほんとに~?」


 ああ、ウザったい。

 自分のことを魔術師だの勇者だのという少年と出会ったばっかりに、遅刻をするわ親友にしつこく問い詰められるわで散々だ。

 けれども、例えどんな状況だろうとベルのことは見捨てられない。

 そんなお人好しな自分に呆れながら、私の学生生活は地球が変わらず自転するように淡々と流れいく。


♪♪♪


「こんにちは~」


 授業が終わり、早々と千里たちと別れ学校を後にした私はとある目的ついでに、ベルの様子を見るため帰り際に奏さんのお店に立ち寄った。

 奏さんが付いているのでベルが何かをやらかしても大丈夫だけど、何かと面倒くさがりやなベルのことだ。ひょっとしたら仕事を投げ出している可能性も僅かながらにある。

 もちろんベルのことを信用はしている。といってみたものの、彼をこのお店に紹介した手前様子を見に来ないというわけにはいかないのである。

 けれど、店内に入った私の目に飛び込んできたのは予想外の光景だった。


「おう、あんちゃん、コーヒーお替り頼むよ」

「あいよ」

「ああ、ベルくん。こっちもコーヒーのお代わりを頼むよ。あと、孫にもオレンジジュースをもう一杯」

「はいよ」

「ねえねえ、お兄さん。メアド交換しようよー」

「あははは、いいけど、メアドって何だ?」


 私は目を大きく見開き、呆然とした。


 ――な、何でか知らないけれど、お客さんたちと打ち解けている⁉


 見ればベルは、お客さん一人一人に愛嬌をもって応対している。フランクではあるけれど、親しみやすさがある。それに仕事もてきぱきとこなしており、全くと言っていいほど文句のつけようがない。


「あ、あの……奏さん?」

「おかえりなさい、詩乃ちゃん」


 注文されたコーヒーを淹れていた奏さんは朗らかな笑みを浮かべ、手を振りながら私を向かい入れてくれる。


「あ、ただいまです――ってそうじゃなくて、ベルなんですけれど」

「ベルくん? ああ、彼ね、とてもよく働いてくれてるわ。いや~今日一日は助かっちゃった」

「何か、予想以上に常連のお客さんたちと仲良くなってる気がするんですが」

「ええ、本当ね。私も驚いたわ。ほら、ベルくんって目つきが鋭いからみんな距離を置いていたんだけど、ベルくんのほうからひょいひょいとその溝を飛び越えて、懐に潜り込んでいったのよ。そうしたら、案外ベルくんが話しやすいことがわかったみたいで――、」

「今に至るというわけですか」

「そう」


 奏さんは笑みを浮かべたまま頷く。

 どうやら相当ベルのことを気に入っているご様子だ。

 まあ、確かにその気持ちはよくわかる。もしも私が奏さんと同じ雇い主の立場であるならば、お客さんに好かれ、仕事もこなせる彼がいることはとても助かる。

 私は試しにカウンターテーブルに人差し指先を走らせた。滑らかに指が動き、指先を見ると塵一つない。掃除がしっかりとされていることがわかる。

 つまるところ、ベルの仕事っぷりは非の打ちどころがなかった。


「詩乃おねえちゃん、おかえり」

「あ、琴ちゃん、ただいま」


 私の存在に気が付いた琴ちゃんがお店の奥から出てきた。

 琴ちゃんは片手で猫の人形を抱きかかえ、もう片方の手で眠たげに目元をこすっている。どうやら今までお昼寝をしていたようだ。

 その愛らしい仕草に、思わず頬を綻ばせてしまう。

 私は朗らかな笑みを浮かべたまま、優しく琴ちゃんの頭を撫でてあげた。彼女は頬を綺麗な朱色に染めて、嬉しそうに笑う。


「あう……くすっぐたいよ、詩乃おねえちゃん」

「よいではないか、よいではないか」


 かなり古くさい台詞を呟く私に、奏さんは眉間に皺を寄せて指摘する。


「ちょっと、詩乃ちゃん? 変な言葉を教えないでくれる」

「よいではないか、よいではないか」

「怒るわよ……詩乃ちゃん?」

「あ、あははは……すみません」


 低く鋭さもあるドスを利かせた声に、私は表情を引き攣らせすぐさま謝る。

 奏さんはため息交じりに、まったく、と呟きながら、お昼寝から起きたばかりの琴ちゃんに手を洗ってくるように言い聞かせる。パタパタと可愛らしい足音を立てながら洗面所へ向かう彼女の姿を奏さんは愛おし気に見つめている。よし、と呟くとお店の厨房でホットケーキを焼き始めた。恐らく琴ちゃんのおやつだろう。


「手伝いましょうか?」

「ありがとう。でも、大丈夫よ。今はそれほど忙しくないから」

「まあ……そうでしょうね」


 視線を窓際のテーブル席の方へ向ける。

 そこには和気藹々お客さんたちと屈託なく話しているベルがいた。この状態では、多少奏さんがベルから視線を外しても、問題になるようなことはない。

 手持無沙汰になった私は、片肘を吐いてぼんやりとベルの様子を窺った。

 話の内容はわからないけれど、ベルは本当に楽しそうに話している。

 魔法使い。

 世界を救った勇者。

 様々な肩書を持ち、話だけを聞けば目つきの鋭さも相まって近寄りがたいけれど、実際に話してみるとそんなことはない。会話が弾むので話やすい少年だ。

 家では面倒だの働きたくないだのとのたまっているけれど、朝感じた通り彼の本質は真面目で優しい少年なのだと思える。

 まあ、それ以上に面倒くさがり屋な部分が目立ってしまっているのが残念だ。

 そんなどうでもいい考えに耽っていた時だった。

 奥のほうにある洗顔所で手を洗い終わった琴ちゃんが、パタパタとした足音を立てながらこちらへと戻ってきた。


「おかあさん、手を洗ってきたよ」

「はーい、わかったわ。ホットケーキが焼きあがるまでもう少し時間がかかるから、詩乃お姉ちゃんとお話してて」

「うん!」


 琴ちゃんは喜々とした顔で頷くと、大事そうに猫の人形を抱きかかえ、パタパタと可愛らしい足音を立てながら私の隣の椅子に座り込んだ。私は嬉しそうに隣に座る琴ちゃんの頭を優しく撫でてあげる。彼女はくすぐったそうに、でも少し嬉しそうに頬を緩ませるとされるがまま頭を撫で続けられる。


「そうしてると、本当の姉妹みたいだな」

「ふぇ!?」


 ふいに話しかけられ、声のする方へ視線を向けると、向こうのテーブル席でお客さんたちと会話をしているはずのベルが立っていた。

 いつもどおり猫目がかった鋭い目で、私と琴ちゃんの様子を楽しげに眺めている。


「お前って気抜いてるときって、返事が間抜けになるんだな」

「うっさい!」

「はいはい、悪かったな。まあ、でも……ほんと、お前らって実の姉妹みたいだよ」


 声音からまったく反省の色がうかがえない。

 本当に反省しているのかどうか怪しいところだ。

 はあ、と私は疲れたため息を吐いて、琴ちゃんの頭をまた優しく撫でてあげる。彼女は嬉々とした顔で、私に抱き着けてくる。


「生まれた時から一緒にいるからね」

「生まれた時から……か。なるほどな。そういや、お前ってあの部屋に一人で暮らしてるみたいだけど、親御さんはどうしたんだ?」

「……、」


 琴ちゃんの頭を撫でる手が止まる。

 くすぐったそうにしていた琴ちゃんが、不思議そうに私の顔を見上げてきた。その様子に気が付いた私は、すぐに優しい笑みを浮かべると、ベルに淡々と告げる。


「……ずっと前に亡くなっちゃったよ」

「え……あ、えー……っと」

「別に気にしなくていいよ」


 気まずそうに表情を引きつられるベルに優しく語りかける。

 それでもベル――彼は何か言おうと言葉を探しているようだ。

時間にして数秒。その間彼は必死に頭の中から紡ぐ言葉を探し出している。普段の彼から

はとても想像できない気遣いに、私は少しだけ嬉しくなる。


「とにかく悪い」


 やっとの思いで絞り出した言葉は、味も素っ気もないものだった。

 短いし、いわれたところでただ頷くことしかできないことの葉。でも、私はたったそれだけのことが嬉しいと感じた。


「だから、気にしなくていいよ。そうやって申し訳ないことを聞いたって思ってくれる気持ちだけで十分だから。それにもう私自身、立ち直れているから」

「でもなあ。無神経な質問だったろ。よくよく考えればわかることなのに」


 確かにベルの言う通りだ。

 家族と連絡をとる素振りがないことや借り手いる部屋に何故か空き部屋があることを考えれば、尋ねなくても容易にわかる。


「気にしなくていいって。ベルってば頑固だね」

「にししし、お前程じゃねえよ」


 ベルの悪戯気な笑みにつられて、つい笑ってしまう。

 そんな私とベルの様子を琴ちゃんは、不思議そうに眺めていた。

 けれど、


「はーい、琴。ホットケーキが焼けたから食べてね~」

「うん! いただきます!」


 焼けたホットケーキを見るや抱き着いていた私から離れて、目の前の皿に載せられたホットケーキに飛びついた。出来たてのおやつを彼女は、美味しそうに頬張り始める。

 私は喉を詰まらせないかそわそわしながら、その様子を眺めていた。


「ほんと、姉妹みたいだ」

「ねえ、ベル。今、何か言った?」

「いいや、なんも言ってねえよ」

  

先ほどと同じ、悪戯気な笑みを浮かべると、ベルはお客に呼ばれてお店奥のテーブル席に歩いていった。何だか誤魔化された気がするのは気のせいかな。


――確かに何か呟いた気がしたんだけど……可笑しいな。


しつこく尋ねれば教えてくれるのかもしれないけれど、今はここに来たもう一つの目的を済ませないと。

自分にそう言い聞かせると、調理器具を洗っている奏さんに声をかけた。


「あの、奏さん。ベルはあとどのくらいでバイトを上がりますか?」

 

フライパンに洗剤を付けたスポンジをこすりつける動きを止め、奏さんは答えてくれた。


「そうねえ、朝からずっと手伝ってもらってるから。もう十分よ。だから、もう上がってもらって構わないわ」

「じゃあ、このまま私がベルを連れまわしても問題ないんですね」

「ええ、問題ないわよ。けれど……急にどうしたの?」


 再びフライパンを洗い始めた奏さんは、首を傾げながら尋ねてきた。

 私は特に表情を変えることなく、淡々と答える。


「いえ、働くためとはいえせっかくこうして外に出ているので、どこか連れていってあげたいと思いまして」


 家ではあれだけグータラしているのだから、この際に外に出る楽しみというのも教えてあげられればいいなと思う。正直な話、あんな情けない姿を見続けることに耐えられなくなってきているというのが本音なんだけどね。

 まあ、色んな理由があるにしろ、もっと彼にはこの世界を知ってもらいたいと思う。


「あらあら、詩乃ちゃんは随分とベルくんに優しいのね」

「そんなんじゃないです!」


 にやにやと性格の悪い笑みを浮かべる奏さんを、反論を一言飛ばした私は隣で小さな手で少しずつホットケーキを食べる琴ちゃんに視線を移す。

 私の視線に気が付いた琴ちゃんは、にこりと愛らしい笑顔を見せると、ぎこちない手つきで切った一口サイズのホットケーキをフォークに出してきた。


「詩乃おねえちゃんもどうぞ」

「いいよ、琴ちゃん。それはお母さんが琴ちゃんのために一生懸命愛情を込めて作ってくれたんだから、琴ちゃんが食べたらいいよ」

「ううん、一人よりもみんなで食べたほうがもっとおいしいよ」

「でも――」


 言い募る琴ちゃんをどうにか言い聞かせようとする私に、フライパンを洗い終えた奏さんが言葉を重ねるように語りかけてきた。


「詩乃ちゃん。琴の言う通りよ。一人よりみんなで食べる方が美味しい。なら、美味しいものならもっと美味しくなる。食事っていうものはそういうものでしょう?」


 それに、と奏さんは一拍間を置き、言葉を続ける。


「家族っていうものもそういうものでしょ」


 母や姉に似た声音で語りかける奏さんの言葉に、私は目を大きく見開いた。そして、私は曖昧な笑みを浮かべると、


「そう、ですね」


 短く相槌を打ち、琴ちゃんが差し出してきたホットケーキを口にした。

 口に入れた途端、ホットケーキの生地とはちみつが何とも言えないハーモニーを奏で、口いっぱいに幸せな味が広がる。

 私はその余韻に浸りながら、いつの間にか奏さんがコーヒーを淹れてくれていたことに気が付いた。礼を言ってからカップに口をつけた私は、隣で黙々と食べる琴ちゃんの頭を優しく撫でてあげる。


「ありがとう、琴ちゃん」

「えへへへ」


 嬉しそうにはにかむ笑う琴ちゃん。


「……本当に仲の良い姉妹みたいだな」


 そんな私たちの様子を、いつもとは違う穏やかな表情で遠目に眺めているベルの姿に私は気が付かなかった。




それはつまり。

私もベルもお互いに踏み入っていい領分を、まだ守れていたということだった。

次回更新は1月8日です

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