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第3話 怠惰な勇者様

『働かざるもの食うべからず』




 この世界にはこんな言葉がある。

 単純に意味を読み取ると、怠けて働いていない奴が人のすねを齧ってご飯を食べるんじゃねえ、怠けてる暇があるなら働いてこい、的な意味合いの言葉だ。

 まあ、要するにご飯が食べたかったらお金を稼いできてね、である。

 何故いきなりそんな言葉が出てくるのかと尋ねられれば、今呑気にご飯は食べているベルの姿がまさにその言葉をぶつけたくなるような状況だったからだ。

 私が住むマンションに居候してきて以来、家にいても多少手伝いはしてくれるものの基本的に働いていない。最初は物珍しそうに眺めていたテレビも、今ではすっかりと機能を理解したらしく一日中テレビ番組を見ている始末だ。

 良くテレビで見るような休日のダメな父親のようである。

 こんな怠惰でぐーたらな勇者が存在しても良いのだろうか。いや、いいはずがない。もしも、元の世界の人たちがこんな勇者の姿を見たら泣きたくなるだろう。

 この世界の住人である私ですら、もう見ていられない状態なのだから、想像通りのことになると思う。

 目の前で私が焼いた目玉焼きをサラダと一緒にトーストの上に乗せ、美味しそうに頬張るベルを見ながら言う。


「あのさ、ベル。働こう!」

「ふぇ?」


実に間抜けな表情をして聞き返すベルに、私は腰に手を当て真剣な表情でもう一度決意のこもった言葉を口にする。


「『ふぇ?』じゃないでしょ! だから、働こう!」


 けれど、ベルは露骨に嫌そうな顔をすると、寝癖がつきまくった頭を掻きながらのんびりとした調子で呟く。


「俺はもう世界を救うって言う大きな使命を果たしたんだから良いじゃん」

「それは、異世界ででしょっ! っていうか、その大きな使命を果たした勇者様が今の自分の状況を見ても何も思わないわけ⁉ 私はもう泣きそうだよ‼」

「今の状況? 朝食を食べた後寝転んでテレビを見て、昼食を食べた後寝転んでテレビを見て、夕食を食べた後寝転んでテレビを見て風呂に入って寝る状況のことか? 何言ってるんだよ。泣きたくなるどころか、素晴らしい怠惰な生活じゃねえか」

「君って……ろくな勇者様じゃないね」


 もう頭が痛い。

 魔法という不思議な力を使ったり、世界を救ったりしたことがあるからといっていたので多少は尊敬していたのに、私の中の彼に対する株価が笑えない勢いで崩落していく。

 私は頭痛を感じるをこめかみ辺りを指でほぐしながら、小さくため息を吐いた。

 そんな精神部分が疲労困憊な私を見ていたベルは、何故か苦笑しながら話しかけてきた。


「まあまあ、そんなため息を吐くんじゃねえよ。今言ったことの半分は冗談だって。実は、そろそろ俺も働こうとは思っていたんだ。いつまでもお前に助けられてばっかりじゃ、勇者とか魔術師とかそういった以前に格好が悪いからな」

「でも、半分は本気なんでしょ」

「まーな」


ベルは口の端に持ち上げながら、不敵に笑って見せる。

その表情に、私はもう何度目かわからない頭痛を感じながら額を手で押さえた。


――……まったくこの勇者様といったら。


ほどほどに呆れるしかない。


――でも……まあ。


すっと細めた眼で、ベルの様子を窺う。

ベルはもう話は終わったとばかりに、再び呑気に朝食を食べ始めていた。いつものマイペースな彼だ。

けれど、ベルは冗談を交えているとはいえ『働く』と言ってきた。それはつまり、彼なりにこれからのことを考えているということなんだろう。

私が引き止めたこととはいえ、いつまでこの世界にいるのかはわからない。先立つものがそろった時、もう彼はこの世界から旅立ってしまうかもしれない。

そうすればまた同じように大切な弟を見つけるために、苦しい旅を続けていくことだろう。

その長い旅の中で一時の間でも、こんな風に誰かと食事をしたり、働いたり、笑いあっていい思い出を作ってくれればいいと思う。

私はまだベルの上っ面なことしか知らないけれど、せめてこれから先の旅路で支えになるような思い出ができてほしい。


「どうした?」

「別に」

「そうか。あ、そうだ、食べないんだったらお前の朝食も食べていいか?」

「良いわけないでしょ!」


 私の目玉焼きに手を伸ばそうとするベルの手を叩き落とし、私はトーストにマーガリンを塗る。そして、一口食べて、奏さんから教わったポタージュスープを流し込むと、ベルのことを半眼で睨みつける。


「ところでさ、働く、とは言ったもののどこで働く気?」

「う、そ、そうだな……」


 ベルは顔を引きつらせ、言葉を詰まらせる。

 考えなくても分かる。当てのないことなど丸わかりだ。


「あと、まだこの世界についてわからないこともあるでしょ? 私が言うのも何だけど、ベルのことをよく知っている人じゃないとだめだよね?」

「なら、ここに引きこもろうかな」

「さっきまでのやる気はどうしたっ、勇者様⁉」


 やる気のない発言に思わず私はツッコミを入れてしまう。

 せっかく良い方向に行きかけていたのに、これでは振出しに戻ってしまう。


「そんなことだろうと思ったから、私がとあるお店のとある人に頼んであげるよ」

「おいおい、そこまで本気にならなくたっていいだろ」

「なるよ! こんな情けない勇者様なんか見たくないからね!」


 ばん、と丸型の木製テーブルを叩く。そのせいでポタージュスープが零れそうになるけれど、咄嗟にベルが魔法を発動させてくれたおかげでテーブルに零れることなく元に戻っていく。


「あ、ありがとう」

「別に大したことじゃねえよ」


 本当にさも大したことではない風にベルは呟く。

 実際、ベルは食事をとりながら、まだ温かいポタージュスープが注がれたカップをテーブルの上に戻している。彼にとって魔法というものは、体の一部のようなものなのかもしれない。


「で、どこのどなたさんに頼むんだ?」


 そんなことを考えていると、いつの間にかトーストを食べ終えていたベルが食後のお茶を飲みながら話しかけてくる。

 私はトーストに口を付け、零れかけたポタージュスープを飲み乾し、半眼で睨む。


「……引きこもるんじゃないの?」

「そういうわけにはいかねえだろ。まあ、何度も言うように引きこもれるなら引きこもりたいんだよな。今までいろんな世界を旅してきたから、腰を落ち着かせられる時には落ち着かせたいんだな。いや、でも、ホントは引きこもりたいだけなんだけどな」

「本音が駄々漏れだね」


 ベルの発言に苦笑しながらも私は、はあ、と深いため息を吐く。

 やる気になってくれたのは良いことだけれど、こうも引きこもり宣言を何度もされると、本当にあのお店で働いてもらっても大丈夫なのだろうかと思う。


 ――まあ、やると決めたことは最後までやり抜くタイプみたいだし大丈夫かな。


 ここ数日ベルと過ごしてみてわかることがある。

 基本的にベルは面倒くさがりやで、食事や娯楽以外のことは適当だ。けれど、さっきの咄嗟のこと以外では、魔法を絶対に使おうとはせず、どんなことでも自分の手でやろうとする。

 普段は適当なことを言ってはいるけれど、根は真面目で優しい性格なのかもしれないと私は密かに思っている。

 まあ、基本的に普段は面倒くさがり屋なんだけどね。


「安心して。君の事情を知っていてなおかつ雇ってくれそうな人はいるから。その人のところに行く前に、まずは食事を済ませちゃお」

「ま、俺は働けられればどこでもいいんだが」


 そう呟きながら、ベルは呑気にポタージュスープをおかわりした。


 ♪♪♪


「それで私のところに来たの、詩乃ちゃん?」


 食事を済ませた後、私はベルを連れて奏さんが営む喫茶店エアリアルを訪れていた。

 理由は実に単純だ。

ベルが異世界人で魔術師という事情を知っていて、なおかつ雇ってくれそうな人といったらもう奏さんしか思いつかない。

奏さんは私たちに淹れたてのコーヒーを用意すると、自分用に入れたコーヒーを飲みながら渋い顔で思案する。そしてたっぷり十秒ほど考えてから口を開いた。


「まあ、構わないわよ。詩乃ちゃんも日中は学校で手伝ってもらえないから、ベルくんがいてくれると助かるわ。ただまあ、何て言うかね……」


 ちらりと奏さんはお店の奥――住居として使っている部屋の方へ視線を向ける。

 その仕草で私は奏さんの考えていることを察せられた。


「なるほど、そういうことなんですね」

「そうなのよ、詩乃ちゃん」

「……えー……っとどういうことですか? なーんか、置いてけぼり食らってるみたいなんすけど」

「あははは、ごめんなさい。そう何といえばいいのかしらね」


 奏さんは頬に右手を当て、空いている左手でコーヒーを飲みながら思案する。その際、私の方に視線を向け、助け舟を求めてきた。けれど、残音なことに、私も私で奏さんが考えていることを何て言えばいいのかわからない。

 正確には話すことは簡単なんだけど、実際その問題をどう解決すればいいのかがわからない。と、そんな時だ。カウンター席で答えあぐねている私たちの前に、住居スペースの通路から幼い女の子が現れた。

 年の頃は五、六歳ほどで、寝起きなのか可愛らしい仕草で目元を小さな手でこすってはいる。誰から見ても愛らしい行動だ。片手で抱いている猫の人形のおかげでさらに愛らしさが増している。


「むにゃ……おかあ、さん、おはよう」

「琴、おはよう」

「うん……あれ、詩乃おねぇ……ちゃん?」


 私の姿を捉えた琴ちゃんは、まだ寝向けが残っているものの大きく目を見開いた。


「うん、詩乃お姉ちゃんだよ。おはよう、琴ちゃん」


 私は笑顔で琴ちゃんに挨拶する。

 けれど、琴ちゃんは猫の人形を両手で抱きしめ、顔をうずめる。その顔をどこか、しゅんと花が閉じたアサガオのようだった。

 そんな琴ちゃんを見かねて、奏さんは優しく頭を撫でる。


「ほーら、詩乃ちゃんが挨拶したのよ。琴も挨拶しなさい。挨拶は一日を始める基本って、何度も言ってるでしょ」

「う……ん。詩乃おねえちゃん、おはよう」

「うん」


 笑顔で応じると琴ちゃんははにかんで笑い始めるが、すぐに人形に顔をうずめ表情を曇らせる。流石に奏さんも、これ以上はどうすることもできないようで、困ったように笑いながらも困り果てている。

 何とも言えない空気が漂い始める。そんな中、一人蚊帳(かや)の外であったベルが表情を引き攣らせながらおずおずとした調子で口を開いた。


「あ、あの、その子はいったい?」

「あ、そっか、ごめんごめん、紹介がまだだったね。この子は、志島琴ちゃん。奏さんの娘さんで、私の従妹」


 私の言葉にベルは得心いったように頷く。

 そして、琴ちゃんに近づき、彼女と目線が同じになるように屈み込む。さらに緩めた表情で笑顔を浮かべた。普段はあれだけ目つきが鋭いのに、今だけはその鋭さは、本当に緩んでいた。


「はじめまして、琴ちゃん。俺は詩乃お姉ちゃんにお世話になっているベル=スカイドラム。ベルって呼んでくれ」


 けれど、どれだけ優しい表情を浮かべても琴ちゃんには効果がない。

 というのも――、


「あ、う……うう」


そう。先ほどから話している問題というのは、琴ちゃんの極度の人見知りなのだ。決してベルの目つきの鋭さが問題ではない。

琴ちゃんは怯えたように、住居スペースの入り口の陰に隠れてしまった。対するベルもどうしていいか分からないようで、表情を引き攣らせている。

諦めきれないベルは先ほどよりも柔らかい笑みを浮かべ、琴ちゃんの傍に近づく。けれど、ベルが近づいた分だけ琴ちゃんは離れてしまい、二人の間には目には見えない一定の溝が出来上がっていた。

その後も何度も同じことをベルは繰り返すが結果は同じだった。

何というか……もはや、滑稽を通り越して哀れとしか言いようがなく、私も奏さんも苦く笑うしかない。


「ベルくん。こういうわけなのよ。分かってくれた」

「ええ……はい」


 がっくりと肩を落として、ベルは頷いた。

 思わず背中から哀愁を感じてしまう程にベルは打ちのめされていた。


「ほーら、琴。隠れてないでちゃんと挨拶しないさい。失礼よ」

「は、はじめまして……ベル……おにいちゃん」

「おう、はじめまして」


 母親である奏さんにいわれ、琴ちゃんは緊張した面持ちで顔を出し、ぺこりとベルに頭を下げる。肩を落としていたベルの様子は、先ほどまでの調子が嘘だったかのように、明るさを取り戻していた。

 その様子を、コーヒーを飲みながら眺めていた私と奏さんは、互いに目配せして頷き合うと、琴ちゃんへ話しかける。


「ねえ、琴ちゃん」

「ちょー……っと話があるんだけどいい?」

「ん、なに……おかあさん? 詩乃おねえちゃん?」

「実はね、そこにいるベルお兄ちゃんをこのお店を手伝ってもらいたいと思うのよ。お昼の時間帯とかは人手が欲しいから、ここにいても良いかしら?」

「………………べつに……いいよ」


 琴ちゃんは少し間を置いて答える。

 その言葉に安堵したような笑みを奏さんは浮かべた。


「そう、よかった」

「でも――」


 人形を抱える力を強くしながら琴ちゃんは、視線を私の方へ向ける。そして、一切の淀みのない澄んだ瞳で私を見据えてきた。


「詩乃おねえちゃんはやめちゃうの?」

「え? 止めないよ。ベルお兄ちゃんが手伝ってくれるけど、夕方はいつも通りここで働くよ」

「ん……詩乃おねえちゃんがいるなら良い」


 琴ちゃんは人形を抱きなおすと、奏さんの方へ視線を移す。


「おかあさん。朝ごはん食べたい」

「待ってて、今準備するから」


 笑顔で応えた奏さんは、慣れた手つきでてきぱきと琴ちゃんの朝ごはんの準備を始める。けれど、トーストをオーブンに入れたところで奏さんの動きがぴたりと止まる。

 そして何故か引き攣った笑みを浮かべ、近くにあったデジタル時計を手に取り、それを私に見せてくる。

 時刻を見て、私の顔から血の気が一気に引いていくのがわかった。


「八時……過ぎてる――って、学校に遅刻しちゃう!」


 店内にいるお客さんの視線が一斉に私に集まるが、そんなことを気にしている暇なんてない。バッグを肩に掛けると、制服のスカートを揺らしながら出て行く。

 出入り口の扉の戸に手をかけた一瞬、私は奏さんの方へ振り返り、


「ベルのことお願いします!」

「はいはい」


 奏さんののんびりとした声を背に、私はもう完全に間に合わない高校へと走り出した。

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