表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/18

第2話 行き倒れの理由

「ただ飯が食べられる……ねえ。よくもまあ、その口説き文句を本当に使えたわね。もうお店閉めたから衛生上のためにも処分するから良いとはいえ、昼間の忙しい時とかだったらどうする気だったの?」


 ここに来るまでの経緯の一端を呆れた表情で聞いていた奏さんは、残っている料理を適当に少年の前に置きながら尋ねてきた。

 私はいただきますとも手を合わせることなく、早速料理に飛びつく少年の様子を横目で流し見ながら答える。



「その時はもちろん、この子が皿洗いでも何でも食事代分だけ雑用をこなしてくれますよ」

「ねえ、詩乃ちゃん? 今の発言であなたが善人なのか悪人なのかわからなくなったわ」


 奏さんは額に手を当て頭痛に苦しんでいる。

 けれど私は全く気にしない。

 それは――奏さんも分かっていることだけど――私の言っていることがもちろん冗談だからだ。その場の流れとはいえ、関わってしまった以上最後まで面倒は見る。

私にとって食事代が払えないことよりもまだ名も知らない少年が、自分がよく訪れる公園で死なれる方が問題なのだ。

ただし、問題の元凶たる少年は、私の思いなどみじんも感じ取らず、隣で口の中に勢いよく料理をかき込んでいる。

まったく呑気というか何というか、うん、マイペースな奴だ。

「ん、ふぉうしふぁ(どうした)、ふぉれのふぁおにふぁにかふぃふぇるか(俺の顔に何かついてるか)?」

「何でもない。ていうか、食べながらしゃべらない」


 ほんっと、マイペースだ。

 私は黙々と食べ続ける少年を見ながら、深い深いため息を吐いた。


 ――それにしても。


 ふと、私は思う。

 そこまで気にはならないのだけれど、どうしてこの少年はあんな人気のない公園で行き倒れていたのだろうか。それに、今の今まであまり気にしてなかったが、服装もどこか変だ。

 何というか、中世十八世紀頃の人たちが着るような服装だ。それに、フードのついた外套を纏っている。一体いつの時代の人なんだろうか。

 コスプレ……をしているようには思えない。それに、質素な服装な割に生地の質が明らかに良い。わざわざコスプレのために、そんな素材を使って服を作るとも考えられない。だとすると……まさか、タイムスリップでもしてきてあの公園に倒れていたわけでもないよね。

 うーん、考えれば考えるだけ謎が増してくる。

 そんな想像を繰り広げている間に少年は満腹になったのかお腹をさすりながら、奏さんに向かって言う。


「ごちそうさまでした。美味しかったです」

「お粗末さまでした。はい、食後のコーヒーをどうぞ」


 疲れているはずなのに、奏さんは全く疲労の色を見せない営業スマイルで少年の目の前にコーヒーの淹れられたカップを置く。ついでに私の前にも置いてくれたので、素直に御相伴にあずかることにした。

 カップに口を付け、コーヒーを一口飲む。

 瞬間、深いコクとキレのある苦みが舌の上に広がる。そして、少し遅れてほのかな甘みが伝わってくる。


「美味しいです」


 奏さんの淹れるコーヒーはいつ飲んでも本当に美味しい。

 ここでアルバイトをしている私もコーヒーを淹れることがあるけれど、まだまだ奏さんのように深みのある味を出せない。どれだけ研鑽を積めば、奏さんに近づけるのだろうかといつも考えされる。

 私にとって奏さんの淹れてくれるコーヒーは、ある種の憧れでもあるのだ。

 少年も私と同じようなことを思っているのか、感嘆の息を吐いている。


「……美味い」

「そう、良かったわ――さて、詩乃ちゃん?」


 奏さんはスッと穏やかな表情を引っ込めると、私に目配せをしてくる。その意味を正しく理解した私はこくりと頷き、少年を見据える。


「ねえ、一息ついたことだし、そろそろ君のことを教えてくれる」

「ん? あー……ああ、そうだったな」


 少年は数秒かけて、私の言葉の意味を理解する。

 今、絶対忘れてたよね。

 そんな疑惑を思いながら少年を見据えていると、少年は先ほどまで浮かべていた飄々とした表情を真剣なものへと変化させる。そして意を決したように、自身の正体を告げた。


「俺はベル=スカイドラム。ただのしがない魔術師さ」

『………………はい?』


 真顔で言う少年に、私と奏さんはぽかーんと間抜け面で口を開いてしまう。

 それだけに彼の自己紹介の中に含まれた情報が衝撃的だったからだ。


 ――ま……ま、じゅつし?


 おそらく小説やアニメで登場する超常的な力を扱う『魔術師』のことを言っているのだと思う。けれど、そんな奇跡のような力なんてない。そんなものはただの空想だ。

 ベルと名乗る子は頭が可笑しいんじゃないのか。

 それが、私が抱く素直な気持ちだった。きっと奏さんも同じことを思っているに違いない。

 さすがの少年も、私と奏さんの様子の可笑しさに気が付いたようで、


「えーっと、なんか俺は可笑しなことを言いましたか?」


 ベルは眉を顰め、疑問を呟いた。

 ベルの問いかけに、私はどう答えていいか分からず、カウンターの向こうに立つ奏さんへ視線を送る。


「可笑しいっていうか何というか……ねえ、奏さん?」

「そ、そ……そうねぇ」


 奏さんも私と同じように返答に困っていた。

 その様子を見て私は仕方なしに、オブラートに包むことを止め、ストレートに疑問――というか、意見を口にする。

 そう。魔法なんて空想なもので、実際には存在しない幻想的な力であると。


「あのさ、魔術師なんていわれても……魔術とか魔法とかそんなもの存在しないから、正直何を言ってんのって感じでさ」


 私はベルの様子が気になり、ちらちらと彼の反応を窺う。

 すると、何も包み込まれていない言葉にベルは傷つくくわけでなく、かわりにきょとんと首を傾げてみせる。そして、数秒後には何かに思い至ったらしく額に手を当て、疲れに似たため息を吐いた。

 ベルはこめかみを指先で干しながら、何かを悟ったように呟いた。


「あー………………そっか、そういうことか、なるほど。ここには概念はあっても、魔術とかの類が存在しない世界(・・)なのか」

「……?」


 ん、魔術とかの類が存在しない世界?

 今さらりとこの子は変なことを言わなかったかな。

 いや、そもそも始めから変なことを言っているのだけれど、今の言葉いったいどういう意味なんだろう。

 そんな疑問が頭の中でぐるぐる駆け巡っている中、ベルは軽く咳払いをする。


「お二人の疑問はもっともですね。魔術なんて存在しない。どうやらこの世界ではそのようです」

「あのさ、さっきからこの世界とか言っているけど、どーゆ意味かな?」

「そのままの意味さ」


 私の問いかけに、ベルは表情を変えることもなく真顔で言ってのける。

私は再び、ポカーンと口を開くしかなかった。ちなみに奏さんはすでに何のこっちゃかわからずに、こめかみ辺りを指で押さえている。その気持ちはよく分かる。

 そんな私たちの様子を見て、流石に彼も苦く笑う。


「まあ、この世界にも魔術とか法術とかの類があることを前提に話していたんで、頭が痛くなっても仕方がないですよね」


 さてと、とベルは呟くと、何かを考え込むかのように瞼を閉じる。数瞬経つと、考えがまとまったらしく閉じていた瞼を開いた。


「俺はこの世界とは違う世界から来ました。住んでいる国が違うとかそういう意味じゃなくて、根本的に異なる世界」

「え、それって……つまり異世界人ってこと?」

「そうゆうこと」


 私の独り言に似た呟きに、ベルは大したことでもないかのように頷く。けれど、私はそれでも信じられなかった。

 何故なら、彼の姿はどこからどうみても私と奏さんとは何ら変わりはない。特別な力を持つ人間にはとても思えない。


「まあ、見た目は普通の人だ。でも、こうみえて世界を救った勇者(・・)だから、結構すごい魔法も使えるんだぜ」

「ゆ、勇者⁉ さっきはしがない魔術師とかいってたよね!」

「そう言ったほうが格好いい感じがするだろう」


 ベルは口の端を持ち上げ、余裕たっぷりな笑みを浮かべて言う。

 私は思わず、ずこっと古典的なリアクションをしながら、体勢が崩れそうになる。

 どうにか体勢を戻した私は頭の中で彼が告げたことを整理する。今のところ本当かどうかは別にしてわかったことは、ベルは魔術師で、しかも世界を救ったことがある勇者様であることだ。

 でも、私はまだ彼の言葉を信じきれなかった。


 ――やっぱり魔法なんて、ない……よね。


 きっと、奏さんも同じことを思っているにはずだ。その証拠に、いよいよ理解が追いつかず、苦悶の表情を浮かべている奏さんは、ベルの姿を疑わしそうに見ている。普段の奏さんからは想像もできないことだ。

 普段の奏さんは、どんなことであろうとおおらかに物事を受け入れている。けれど、額に手を当て、頭痛に耐える奏さんからはいつものらしさが残ってなかった。

 そんな私たちの内心を察したのか、ベルはまたこめかみを指先で掻きながら何やら考え込みはじめる。数瞬経つと、妙案思いついたとばかり指を鳴らす。


「そう、だな、実物を見るまで信じられないよな。あまり目立つようなことをしたくはないけど――」


 ベルはそこで言葉を区切ると、もう一度指を鳴らした。

 すると、突然私たちの周りに空中を浮遊する光球が現れる。天井から紐で吊るされているわけでもなく光球は宙に浮き、たゆたう様に宙を浮遊しだす。

 そしてまた指を鳴らすと、光球は光の粒子をまき散らしながら弾け飛んだ。


「信じてもらうにはしゃーないよな。はい、これがさっきから話している魔法です。これで信じてもらえますか?」


 といわれても、目の前で起きた信じられない光景に簡単には理解が追いつかず、


「………………、」


 目をぱちくりさせて茫然としていた。

 ただし、それは奏さんだけだった。

 私はカップにまだ残るコーヒーを一気に飲み込み、実にのんびりとした調子で口を開く。


「へーこれが、魔法。本当にあるんだ」

『へ?』


 奏さんとベルの声が重なる。

 二人とも予想外の反応に驚き、特にベルの方は猫っぽい目つきを大きく見開いているせいで鋭さがなくなっている。

 二人の反応に、私はきょとんと小首を傾げ尋ねた。


「何か不思議なことでもありますか?」

「詩乃ちゃん? あるも何も、何でそんなに冷静なのよ⁉ 普通、こんな超現象を見たら驚くものでしょ!」

「そ、そうだ! 今までにも魔法の類がない世界にも行ったことがあるけど、同じように実演して見せたらみんな驚いてたぞ!」


 出会って数十分。

 世界の違う人間同士なのに、息のあったツッコミだ。

 私は二人の様子を苦笑しながらも言葉を返す。


「うーん、一周回って冷静になったっていうか、実際に魔法を見せられたらもう信じるしかないしさ――だから、特に驚かないんだよね」

『………………さ、さいですか』


 ケロッとした表情で言ってのける私の言葉に、二人はもう驚きやら呆れを通り越したように茫然とした調子で呟く。

 ここまでさも何でもない風に装っているが、二人の気持ちも分からなくもない。

 事実『さも何でもない風に』装ったというように、内心では大いに驚いている。しかし、別に腰を抜かす程度ではないのも確かだ。

 何故ならもう見てしまったからだ。

 『魔術師』『勇者』という、厨二病全開な発言に始めこそ驚いたけれど、こうして本物の魔法を見てしまったら信じるしかない。ああだこうだ叫んでも、現実から目を逸らすよりは潔く受け入れたほうが次への行動がしやすい。

 まあ、建設的なことを言っているけれど、本当はかなり驚いているんだよね。


「はあ……まあ、私も君が本物の魔術師で、異世界人であることも認めるわ」


 私に右習えといった風に奏さんも、とりあえずベルの言葉と見せたものに白旗を上げ、納得した。おそらく、このままだと話が進まないし、見てしまった以上信じるしかないと判断したのだろう。ただ、まだ信じがたいのか、頭痛を堪えるために額に手を当てていた。

 その様子に苦笑しながらも私は、わざとらしく咳払いをして、ベルへ視線を向ける。彼は急に表情を変える私を警戒することもなく、口笛を吹きながら飄々とした調子で視線を受け止めた。

 まるでこれから私が何を言おうとしているのかがわかっているかのように。

 何だか面白くないな、と思ったけれど、変にものを言うと面倒なことになりそうな気がするので黙っておく。


「ベルはどうしてこの世界に来たの?」


 わざわざ行き倒れるような危機に陥ってまで、異世界旅行なんてことはしないだろう。そうなると、何かしらの理由(わけ)や目的があるに違いない。

 想像通りだったらしく、ベルは猫口で不敵に笑って見せる。


「やっぱり気になるよな。そうだな……はっきりというと、別にこの世界自体に用があるわけじゃないんだ。ただ……まあ、なんだ。どこかにいるかもしれない、ある人を探している。その過程で、結構無理をしてな。だから、体が動かなくなって行き倒れてたんだ」

「そう、なんだ。で、探している人って誰?」


 そう尋ねた瞬間。

 その問いだけは予想外だったらしく、少年は大きく目を見開く。そして、私から目を逸らし、曖昧な笑みを浮かべ歯切れ悪く答えた。


「あー……まあ、なんだ。弟を探してるんだ」

「ふー……ん」


 弟を探している。

 なるほど、大切な家族を探しているのであれば無理をする理由も分かる。

けれど、何だろうか。今少年が見せた曖昧な笑みの中に見え隠れした悲壮な表情は。

何か触れてはいけないものに触れてしまったような気がしてくる。


「まあ、大体の事情は把握したわ――それでだけど、これから君はどうする気なのかしら? 今の話からだと、泊まれる場所があるアテなんてないように思えるんだけど」


 答えの出ない思考の海に漂い始めかけていた私は、奏さんの何気なく口にした疑問のおかげで我に返る。


「あ、そうだ、そうだね。えっと、ベルはどうする気なの?」

「あー……そうだな」


 ベルは頭を掻きながら、思案し始める。


「もしよければ、ここに泊らない? 家族がいるけれど、空いている部屋があるからどうかしら」


 営業スマイルとは違う、普通の笑みを浮かべて奏さんはベルに提案する。

 けれど、ベルはその提案に対して申し訳なさそうな表情をして言う。


「ありがたいですけど、さすがにご家族までも俺のことを受け入られるとは思えないので、どこか適当な場所で野宿でもしますよ」

「……野宿って、キャンプ場ならともかくその辺で寝てたらお巡りさんに職務質問されちゃうよ」

「お巡りさん? あー……もしかして憲兵のことか。この世界の憲兵ってのは、仕事熱心なんだな」


 椅子の背もたれに背中を預けながら、ベルは天井を見上げて唸り声を上げる。けれど、どれだけ思案しても考えが浮かばないようで、はあ。と大きなため息を吐くのみだ。


「じゃあさ、私のところに来れば。一人暮らしをするには部屋が多くて全然使っていない部屋があるから」

「だ・め・よ、詩乃ちゃん! ベルくんは良い子そうに見えるけれど、一つ屋根の下に若い男女が住むなんて、絶対にダメよ!」

「でも、このままだとどこに住むかも決まりませんよ」

「でもねぇ……」


 このままではベルは警察のお世話になるかもしれない。

今まで様々な世界を渡り歩いてきたから多少の取ら物に巻き込まれることにはなれているかもしれない。けれど、流石に事情を知ってしまった以上、このまま外に放ってしまうのは人情に欠ける。それに、また、どこかで行き倒れられでもされたら、厚意から助けた私たちも目覚めが悪い。

 どう判断すればいいのか考えあぐねている奏さんは、腕を組んで苦悶の表情を浮かべている。

 先ほどまで不敵に笑って自分のペースを崩さなかったベルも、奏さんの真剣に考え込む姿に申し訳なさを感じたらしく、慌てた様子で奏さんに声をかける。


「無理ならいいですよ。というか、これ以上二人の厚意に甘えるわけにはいかないですし」


 良く言う。

 私の目の前には、何枚も積み重ねられた皿の山がある。甘えるわけにはいかないと言いながら、もう十分にどっぷりと甘えているのだから、これ以上何があっても大差ない。


「もう本当に適当な場所で寝ま――」

「そういうわけにいかないっしょ。行き倒れられるのも問題だけど、お巡りさんにしょっ引かれるのも私たちにとっては目覚めが悪いの! だから、私のところに泊ればいいよ! 先立つものも必要になるだろうし、それに横になって旅の疲れを癒せる場所がいるでしょ」

「でも、なあ……」

「……はあ、もう詩乃ちゃんの言う通りにするしかないわね」


 会話に耳を傾けていた奏さんは、額に手を当て疲れたため息を吐きながら呟いた。

 そして、真剣な表情でベルに向かって念を押すように人差し指を立てる。


「いいこと、ベルくん。ぜ――――――ったいに詩乃ちゃんに変なことをやらないこと。その条件を守れるんだったら、詩乃ちゃんの借りてる部屋で寝泊まりしていいわよ」

「いや……流石に」


 けれど、ベルも深い困惑を顔に浮かべている。

 本音を言えば彼もありがたいと思っているのだろう。でも、出会ったばかりで魔術師などという可笑しな人間を住まわせれば確実に迷惑がかかる。そのことに悩んでいるんだ。

 そんな彼を見て、


――馬鹿だなぁ。


私は率直にそう思った。

 はあ、とため息を吐くと私は、ベルの頭に手刀を叩き込む。

 思った以上に当たりがよかったのか、ベルは数秒痛みに悶絶しながらも、元来の鋭い目つきをさらにきつく細め私を睨んでくる。けれど、私も怯むことなく彼を半眼で睨みつけた。


「な、何すんだよ! めっちゃ痛かったぞ!」

「うっさい! あーだこーだ行ってないでさ、ベルは素直にお世話になればいいの!」

「いやそれめっちゃ横暴な言い方だぞ!」

「うっさい!」


 ベルの吠えるようなツッコミを一蹴する。

 さしもの様々な世界を渡り歩いているという魔術師ベルも、私の鬼のような気迫に気をされてしまい、


「わ……わかったよ」


 完全に私に押される形で頷くのだった。


「よろしい」


 私はそんな彼に苦笑しながらも、満足げに口元を緩ませる。

 そして、ベルと共に帰路につくのだった。


♪♪♪


「ここが私が借りてる部屋だよ」


 そう言って私はベルを家の中に招き入れた。

 初めはあまり乗り気ではなかったベルも、ここに来るまでの間に何か吹っ切れたらしく遠慮なく部屋に足を踏み入れる。まあ、あれだけ攻められるように私と奏さんに説得されれば、当然のことだと思う。

 用意したスリッパに履き替えるようにベルを促し、履き替えた私たちはリビングの方へと向かう。


「ここが、リビング」

「リビング?」

「あ、居間ってこと」

「ああ、そういう意味か。なるほど」


 得心したようにベルは頷く。

 ふと、そこで私はあることに気が付いた。


「そう言えばさ、ベルって今普通に日本語をしゃべっているけれど、どうしてなの?」

「ん、ああ、そっか不思議だよな」

「うん」


 この世界の言葉(正確には一部の国で使われている言葉だけど)を喋れることは、会話が成り立つので助かる。私と奏さんが引き止めたとはいえ、これから先彼がどれだけこの世界にいるかわからない状況で、意志の疎通ができることは大変助かることなのだ。

 ただ、やっぱりベルが多少知らない語彙があるとはいえ、流暢にこの世界の言葉が話せていることは不思議でならない。


「別に大した理由じゃない。簡単なことさ」


 そう言ってベルは、柔らかい笑みを浮かべる。


「今まで結構な数の世界を渡り歩いてきたからな。似たような言語を話す世界もあるんだよ。滞在期間が短いから、全部は覚えきれないけどある程度は喋れるんだよ」

「へーちなみに、滞在期間どのくらいで覚えたの、ベル?」

「俺はどの世界でも一週間程しか滞在しないから、その期間にだな」

「い、一週間?」


 私は目と口を大きく開けて、数瞬固まる。


 ――べ、ベルって意外と頭が良いんだ。


 ベルは茫然と固まる私を不思議そうに見る。


「おーい、どうした?」

「あははは……何でもないよ。さてと、どうする? お風呂に入りたかったら準備するけど」

「そー……だな、しばらく居候する身なんだから、このまんまっていうわけにはいかないよな」


 ベルは頭を掻きながら自分の姿を見渡す。

 体や服のあちこちが土埃で汚れており、明らかに清潔にしておいたほうが良い。このまま布団の中に潜り込まれでもされたら、逆に洗濯する物が増えるだけだ。

 ベル自身もその事態を理解できたらしく、


「すまん、頼めるか」


 申し訳なさそうに頼んできた。


「いいよいいよ。どうせ私も入らなきゃいけないから」


 私は朗らかに笑って見せ、お風呂の準備を始める。

 数十分して湯船の中に慎重に手を入れお風呂が沸いたことを確認した私は、ベルのために適当に服を用意する。


 ――明日、服を買いに行かなきゃ。


 てきぱきと支度をしながら、ふいに私はそんなことを考えてしまった。

 今日出会ったばっかり、しかも引き留めたとはいえ親身に彼のことを考えてしまう自分がいる。その考えが嫌かといえば、そうでもない。

 でも、不思議な感じがした。

 自分の感情の答えがわからなかったけれど、


「さ、お風呂に入って。服も適当なのを置いてあるから」


 あまりの可笑しさから笑ってしまった。


「おう、ありがと」


 ベルは私の笑みの理由を気に留めることなく、お風呂に入っていった。


                        ♪♪♪


 長旅で汚れた体と髪を洗った俺は、おそらくこの世界では普通の大きさである湯船に肩まで浸かる。


「ふぅ」


 じんわりと体中が温まってくる。それと同時に徐々に凝り固まった肩や腰の筋肉がほぐれていくような気がした。

 思えばこの世界に来るまで、こうやってのんびりと湯船に浸かることなんてなかった。

 アテのない旅をする自分にとって、ちょっとしたことが致命的なことになりかねない。もしも、一緒に旅をする仲間がいれば自分一人で何もかも背負い込むことなく旅ができるのだろうが、残念ながら元の世界での仲間たちは皆、それぞれの目標のために進んでいった。

 だから、この旅は自分だけだ。

 気を張り続けなければならない。

 しかし――、


「……たまにはこういうのもいいな」


 そう素直に思えてくる。

 力の行使の反動で行き倒れてしまい、偶然知りあった望月詩乃という少女。少々強引なところもあるが、こうやって誰かの厚意に甘えられるというのは凄くありがたいことであり、人と触れ合えることが嬉しく思えてくる。

 人の優しさに触れたからなのか、心地の良い湯船に浸かっているからなのかはわからないが、気の抜けた考えばかりが頭を過る。


「ま、それもいいか」


 しばらくのんびりと湯船に浸かった俺は、詩乃が用意してくれた服に着替えて居間に戻る。が、そこで俺は茫然と立ち尽くしてしまう。

 相当疲れていたらしく、詩乃の奴は椅子に座り込んだまま机に突っ伏し、規則正しい寝息を立てていた。

 どうすればいいのかわからず俺は、ただ表情を引き攣らせたまま異世界で出会った少女の寝顔を見つめていた。

 肩よりも長い綺麗な栗色の髪。美人というよりは、どちらかというと可愛い容姿。今は寝ているせいで分からないが、瞳には温かみのある光を宿している。

 魅力的な少女だ。

 けれど詩乃はというと、今日出会ったばかりで、しかも異性である俺にまったく警戒などしていない。

安心しきった寝顔ですやすやと眠っている。


「まったく、俺のことを信用し過ぎだろう」


 ぽつりと呟きながら、俺は何か掛けるものがないか探し始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ