第1話 私が出会った勇者様は行き倒れていた
人が行き倒れていた。
その人を見たのは、アルバイトからの帰り道。私は趣味の写真撮影をしようと近くの公園に寄り、カメラで公園の風景を撮ろうとレンズを覗き込みピントを合わせている時だった。
仄かな明かりで周りを照らす街灯の下に、レンズ越しにでもわかるくらいはっきりと人影が映った。
別にピントがぼけて人の形のように見えているわけではない。レンズから目を離し、裸眼で視線を向けてみても、はっきりと地面に倒れている人が見える。
私はカメラを構えたまま、一歩後ろに足を下がる。そして、引き攣った表情のまま辺りを見渡してみた。
元々、人気の少ない静かな場所を選んで写真を撮るのが好きなので、公園には人はいない。それに時刻も当に午後十時を過ぎているため、人がいない方が当たり前だと思う。公園に訪れるような輩がいるとすれば、柄の悪い連中か私みたいな奇特な人間に決まっている。
そんな場所に、人が行き倒れている。
――あははは……本当に行き倒れていることなんてないよね。うん、まさか、ね。
私は嫌な予感を覚えながらも、手に持ったままのカメラをベンチに置き、足音を消しながら倒れている人にゆっくりと近づいていく。足音を消しているのは、ないとは思うけれど倒れたふりをしていて突然襲ってくるかもしれないからだ。
そんな自意識過剰すぎる妄想をしながら、一歩ずつ慎重に近づいていく。近づいていくにつれ、行き倒れた人の姿が街灯に照らされ少しずつ確認できるまでに見えてくる。
倒れていたる人は、綺麗な金髪の少年だった。
体格はやせすぎでも太りすぎでもなく中肉中背で、顔が見えないので断定はできないが年の頃は十六、七歳で私と同じくらいに見える。
「……なか……った………………うぅ」
「――――――っ⁉」
あと二、三歩で少年の傍に立とうとしていた私の耳に、彼のものと思しき掠れた声が鼓膜を揺らす。突然のことで先ほど以上に顔と体を強張らせ、私は本能的に数歩後ずさってしまう。
けれど、それも次の予想もしなかった言葉を聞いた瞬間までだった。
「お……お腹減った」
「……………………はい?」
力が抜けすぎて、何もないところなのに思わずずっこけそうになる。私自身古典的なリアクションだとは思うけれど、他に反応のしようがない。
張りつめていた空気が、一気に弛緩していくのがわかる。
「え、えっと……大丈夫?」
頭の中が真っ白になったまま、どうにか絞り出した言葉に少年は、綺麗な金髪を揺らしながら顔を上げる。月明りと街灯だけなのでよく確認できないが、それなりに整った顔立ちをしているように思える。
特に印象的なのは、猫目だった。
生まれたばかりの子猫ではなく、成長した頃に見る相手の心の中を見通すような鋭い目つき。少年はそんな目つきをしている。とはいっても、相当お腹が減っているようで、その目力も弱々しいものだった。
「お腹が減って……もう、動けねえ」
「う、うん」
「だから、何か食べさせてくれ」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、」
もう何て言えばいいのだろう。
まさか本当に『行き倒れている』なんて、上手い感想が思いつかない。ただただ茫然としてしまう。
けれど、そのまま茫然としているわけにはいかない。現実逃避に駆け出したくなる思いを必死に抑え込み、とりあえず私はベンチに向かう。そして鞄から公園に来る途中に立ち寄ったコンビニで購入したお菓子の袋を取り出し、封を開けて少年の前に差し出した。
私は真剣に思う。
何だろう、このシチュエーション。
「えっと、今お菓子しかないけど、それでもよかったら――」
食べる? と言い終わらないうちに、少年は差し出されたお菓子の袋の中に手を突っ込み、勢いよく口の中に放り込む。そして、数秒も経たないうちに袋は空になった。
多分、私はその様子を茫然に唖然が加わった表情で見ていたと思う。
「ふー……足りない」
「って、うおぃ!」
ここは普通、ありがとう、と一言でも礼を言うものなんじゃないかな。
そんな喉の奥から剛速球並みの勢いで飛び出しそうなツッコミを抑え込みつつ、私は彼の様子を窺う。少しは目に生気が戻ってきた気がするんだけど、確かにまだまだ動けそうな感じがしない。このままだとまた地面に倒れ伏してしまうかもしれない。ううん、十中八九そうなるだろうなあ。
はあ、とため息を吐きながら、私は携帯を取り出す。そして、時計を見て、まだアルバイトが終わってからそれほど時間が経っていないことを確認した。時間を見て、まだ大丈夫だと判断した私は、少年に優しい声音で話しかける。
「あのさ、立てる?」
「……無理っぽい」
「困ったなあ。ただでご飯が食べれる場所があるん――」
「マジで⁉ 立てる‼」
倒れてしまってもう動けないはずの少年は、私が言い終わらないうちにがばっと勢いよく顔を上げる。
「………………、」
ぶん殴っていいかな、こいつ。
少年の顔は先程までの今にも死にそうな表情からガラリと変化し、一気に生気の宿った喜々とした表情に変わっていた。さっきまで今にも風で消え入りそうな蝋燭の火のようにゆらゆらとしていた瞳に、力強い光を宿している。
素直に厚意に甘えてくることはこちらとしても嬉しいけれど、あまりにも態度が素直すぎる。何というか、妙に腹立たしくなる。
助けてあげたいという意思がだんだんと薄れてきた。
けれど、もうどうしようもない。
口にしてしまった以上、この少年の面倒を最後までみる義務があるからだ。
「はぁ――――――」
私は大きなため息を吐く。
そして、最大限の笑みを浮かべ、
「案内するから着いてきて」
少年の手を引っ張って、歩き始めた。
この時の私はまだ知らなかった。
彼がただの行き倒れの少年でないということに。
♪♪♪
そのお店は旧道のY字に分かれる道の角にある。
近くに利用客の多い駅や商店街があることで日中は人通りが多い道も、夜中にもなるとさすがに人っ子一人いない。そんな中、私は見ず知らずの男の子の手を引っ張りながら、目的のお店へと続く道を歩いていた。
公園から数十分歩いてお店の前まで来ると、私は立ち止る。
「さて、着いたよ」
「こ……こが?」
「そ、ここが」
私と少年の前には、煉瓦造りの趣のあるお店が建っていた。
明かりがないためはっきりとお店の看板は見えないけれど、何度も来店している私には見なくても店名が分かる。
エアリエル。
よく覚えてはいないけれど、名前の意味は確か風に関係する何かだったと思う。まあ、今はそんなことは良い。
私は隣を見る。
先程まで『ただ飯が食べられる』と聞いて目を爛々と輝かせていた少年は、再び行き倒れそうなほど体中から生気が抜けきってしまっている。見ず知らずとは言え、関わってしまった以上この少年の問題をどうにかしなければいけないんだけど……本当に大丈夫かなこの子は。
「なあ……明かりがないみたいだけど」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
掠れた声で心配そうに尋ねる少年の言葉を、私はのんびりとした調子で安心させる。そして、バッグから鍵を取り出し、私はお店の鍵穴に取り出した鍵を入れ回す。
隣では少年がその状況を、口を大きく開け呆然と眺めていた。
「どーしたの?」
私は首を傾げる。
少年はゆっくりと大きく開いた口をもとに戻し、
「おま……おま、お前、勝手に開けていいのかよ」
金魚のように口をパクパクさせる少年の様子を見て、私はようやく彼の疑問の正体を理解する。
「ああ、この鍵? 私ここの人と知り合いでね。合鍵をもらってるんだ」
「いや……でも、さすがにこの時間帯に勝手に開けるのはどうかと思うぞ」
私はごもっともな意見に心の中で頷きつつも、お店の入り口の扉を押して中に入った。
足を踏み入れた瞬間、来店客を知らせる心地の良い鈴の音が鳴る。普通ならここで、店員が「いらっしゃいませ」と声を掛けてくるはずだけど、こんな時間になるとそんなことはない。私は気にすることなく、扉の間で固まる少年の手を引っ張って店の中へ進もうとした時だった。
突然、店内の照明が点いた。
こんこん、と軽く扉をノックするような音が聞こえ、そちらへ視線を向けると、お店の奥から三十代ぐらいの女性の姿があった。
猫の刺繍が施されたエプロンを着けた女性――奏さんは、眉間に深い皺をよせ、私を半眼で睨みながらため息交じりに呟く。
「合鍵まで使って何なのかしら、こんな時間に。人が琴を寝かせて、残りの気力を振り絞って明日の仕込みをやっているって言うのに」
「あははは、すみませんすみません、奏さん」
「謝罪の言葉にまったく心がこもってないわね」
奏さんはさらに深い皺を寄せ、疲れのこもった深いため息を吐いた。
けれど、私はまったく気にもせず、少年の手を取りカウンター席の方へと連れていき座らせる。疲労の表情を見せる奏さんに対して申し訳ないと思いつつも、少年のお腹を膨らませるために口を開いた。
「こんな時間に来たのには、実はマリアナ海溝よりもふか―い理由がありまして」
「深い理由ね。十中八九、その男の子が関わっているんでしょうね」
奏さんは組んだ腕を変え、今度は半眼で私の隣に座っている少年を睨む。少年は肝が座っているのか、けろりとした表情で受け流している。
少し前から気が付いていたえれど、この少年はなかなか図太いと思う。
「話が早くて助かります」
「そりゃあね。あの詩乃ちゃんがこんな時間に来るんですもの。何も言われなくても大体想像が付くわよ――それで、その子はいったい誰なの?」
「ええっと……」
「何々、もしかして逆ナンかしら? まじめな詩乃ちゃんがついに肉食系になったのねぇ! お姉さん嬉しいわ」
「ち、違います! この子はですね――」
全力で否定しながら私は隣の少年の顔を見据える。
そういえばその場の勢いでここまで来たけれどこの子の名前や、どうして公園なんかで行き倒れていたのか全く聞いていなかった。あんな人気のない場所で倒れていたのだから、何かしらのやんごとなき理由があるのかもしれけれど、はっきりと尋ねてもいいかどうか迷う。
まだ出会って数十分とはいえ、どうにも踏み込んだことを聞くべきではないような気がしてしまう。
眉間に皺を寄せて考える私の様子に、少年は苦く笑う。
「別に悩まなくても、ちゃんと質問には答えるつもりだぞ。食べ物を頂くんだから、それくらいの対価がないと割に合わないだろ?」
少年の問いかけに私は、それもそうだと内心で頷く。
「それもそうだね。うん、なら、何でも質問をさせてもらうね。でも、それよりも先に――」
私は口の端を持ち上げ、人の悪い笑みを浮かべる。
奏さんの鋭い睨みを受け流していた少年も、突然不気味な笑みを見せる私の様子には、流石に表情を引き攣らせた。
けれど、私は少年の様子などまったく気にすることなく、私は奏さんに視線を投げかける。
「質問をする前に逃げられれたくないので、先にご飯を食べさせてもらっていいですか、奏さん?」




