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第16話 花見2

 私たちが花見をするのは、いつも夜だ。

 別に夜なら人が少ないからという理由ではない。私や奏さんが参加する花見は、商店街の人たちが一緒になって行うため、日中はお店を開けておく必要があるためだ。それに、商店街が花見をする公園近くにあるため、酒屋や一部の惣菜店が繁盛するということもあり、仕事をほったらかしにしているわけにはいかないためという理由もある。

 とはいっても、うちの商店街には酒豪が大勢存在するため、花見の時間まで我慢できず赤ら顔で客対応をしている方々もおられる。

 まあ、言うもろもろの事情もあって私たちの花見は夜に行われる。

 私自身、昼間に見る桜よりも、散っていく桜と夜空に浮かぶ月という幻想的な光景を眺めながら、美味しいものを大勢の人たちと囲んで団欒することが好きだ。なので、ベル程ではないにしろ、それなりに楽しみにしていた。


「さて、それじゃあ、ご馳走を作っていきましょうか」

『おー!』


 朝食を食べ終えた私とベルは、奏さんが営む喫茶店にやってきていた。

 花見のためのご馳走を作るためだ。作り始める時間には早すぎるけれど、なんせ料理を食べるのは私たちだけではない。商店街で商いをする人たちやその家族。その状況を加味すると、早い時間から作っておくことは正しい判断だ。

 ちなみに喫茶店はお休み。

 公園には花見をしに来た人たちが大勢いるけれど、残念なことにここまでやってくる人はほとんどいない。それに、花見をしに来ているのだから、喫茶店の中で優雅にコーヒーを飲むのは私自身勿体ないと思う。

 だから、奏さんはそれなりに賑わっていて忙しい商店街の方々に変わり、お店をわざと閉めて毎年料理を作っているのだ。


「お酒の肴になるような惣菜とかは惣菜屋の服部さんとかが差し入れてくれるから、とりあえず、メインになるから揚げとか焼き鳥とか作っていきましょう」


「私、から揚げの方作ります」

「わかったわ。じゃあ、焼き鳥の方は私が担当するからお願いね。琴は私と一緒に、串にお肉を刺すのを手伝って」

「うん!」

「あ、それと詩乃ちゃん。油を使うんだから、火の元には気を付けてね」

「はい」


 もう慣れていることなので、私たちはそれぞれの持ち場でテキパキと調理を始めていった。まだ幼い琴ちゃんも、たどたどしい動きではあるけれど奏さんの動きを真似しながら一生懸命に手伝っている。とっても可愛らしい。

 そんな中、全く働きもしない人がいた。

 私たちがカウンター向こうの調理場で作業する中、我介せずとばかりにベルはカウンター席に座って呑気に欠伸をしている。時折、調理場からする良い匂いに花を鳴らしているけれど、基本的に何もしていない。

 確かに、三人いれば準備はできる。けれど、こういったイベントごとで人数は一人増えただけでも、さらにスムーズに事が進むものだ。

けれど、流石に呑気すぎるので、私はベルを睨んだ。


「ベールー……手伝ってよー。呑気に欠伸とかしてないで手伝ってよー」

「味見なら手伝うぞ」


 ベルは笑顔を浮かべ、ガッツポーズをする。

 何を言ってるんだろうか、この人は。


「可愛い女の子たちが作るんだから美味しくないわけないよ」

「なに笑顔で、気持ちの悪いことを言っているんだ。お前、病院に行ってきた方が良いぞ」

「冗談だよ、冗談! なに、真に受けて、本気で引いてるの⁉」


 ベルは表情を引き攣らせ、上体を引いた。


「いや、だって……お前とんでもなく可笑しなことを喋っているからさ。引いたって仕方がないだろ」

「だから、冗談だって言ってるってば。ていうか、本気で可笑しなことと思っているんだね。でも……まあ……はあ……もういいや。手伝ってくれないなら、ベルの食べる分を減らせばいいだけだもんね」

「喜んで手伝わせていただきます!」

「……まったく。ベルは本当に乞うことには素直だね」


 本当に食い意地が張ってらっしゃる。

 もう何度も見てきた光景だけれど、呆れというか何というかそういった感情が含まれたため息をついつい吐きたくなる。とはいっても、何だかんだ言いつつも真面目に手伝ってくれるので調理が捗って助かった。

 そんなこんなで私たちは、花見用の料理を作っていく。

 出来た料理はオードブル用のパックにはすぐに詰めず、皿に載せたままにしておいた。大きいパックに乗せておくと、後で温め直す時にオーブンに入れられないからだ。他の料理も、公園に持っていく際に、すぐに温めたり出来るようにしておく。

「さて、これでだいたい出来たわね。皆、手伝ってくれてありがとう」


「琴も頑張ったよ‼」

「うん。琴ちゃん、とっても頑張ってて助かったよ。ありがとうね」

「えへへへー」


 照れる琴ちゃんの頭を私は優しく撫でてあげた。

 撫でられる琴ちゃんはいつものようにくすぐったそうにしつつも、満面の笑みを浮かべて喜んでいる。

 ――ああ、本当に可愛いなぁ、琴ちゃんは。

 琴ちゃんの頭を撫で続けながら、私は調理場から離れてカウンター席で水を飲んでいるベルに視線を向けた。疲労からかいつもより目つきの鋭さが緩んでいる。


「どうかしたか?」

「ううん、別に。ただ……ベルも、手伝ってくれてありがとう」

「お礼を言われることなんてないぞ。出来た料理を食べるために働いただけだからな」

「うん、そうなのかもね。でも、ありがとう」

「……まあ、言葉だけ受け取っておく」


 ぶっきらぼうに言いつつも、どこか照れているような表情をしているのは気のせいかな。

 そんな様子のベルを、私は微笑ましく思った。

 先日、ベルを花見に誘った時にも感じた思い。異世界人である彼が、少しずつ少しずつ私たちに近づいてくれている。何ともいえない思いが胸の中に湧き上がり、温かい気持ちで満たさ

れていく気がした。

 そんな益体もない思考に耽っている私の意識を、奏さんの声が引き戻した。


「それじゃあ、遅めのお昼ご飯を食べましょうか。疲れているから簡単なものになるけど、これから皆の分作るわね」

「あ、そんな、いいですよ! 私とベルはマンションに戻って食べますから。お花見が始まるまで時間がありますから、そのまま部屋でゆっくりとしてようかと思いますし」

「そんなこと言わないで、一緒に食べましょう。ご飯は人が多い程美味しくなるものよ」

「そうですけど……」


 言い募ろうとして、言葉が見つからず口籠ってしまう。

 ふとそこで、返す言葉が思いつかずただ何となく腰の後ろに回した掌をもじもじとさせる私のことを、琴ちゃんが見つめていることに気が付いた。

 琴ちゃんは何も言わないけれど、不安げな瞳で私に『お姉ちゃんも一緒に食べようよ』と訴えているように感じた。

 しかし、私はいつまでたっても返答できずに硬直してしまっていた。

 そんな私を見かねて、救いの手を差し出してきたのは、黙ったまま事態を静観していたベルだった。

 ベルは髪の毛を掻きながら、私に向かって言う。


「あ、そうだ。昼間に咲いている桜を見てみたいな。せっかくこの世界に来て、綺麗なものを見られるんだから、明るい時に咲いている様子を見てみたいから案内してくれないか?」

「あ、うん」

「だったら、ここで食べておこうぜ。わざわざ部屋に戻って食べる時間がもったいないからな。な、それで良いだろ?」

「………………わかった。じゃあ、奏さん。お言葉に甘えさせてもらいます」


 数秒考えた私はベルの言葉に頷くと、奏さんに視線を向け、軽く頭を下げた。

 そして、奏さんの足に抱き着き私を真っ直ぐに見つめる琴ちゃんの頭を、先ほどと同じように優しく撫でてあげる。嬉しそうに彼女は頬を緩めせ、嬉々とした表情を浮かべてくれた。

 そんな私たちの様子をどこか微笑まし気に、そして訝しげに眺めているベルの視線に私は気が付いていなかった。


        ♪♪♪


「これが桜か。お前や奏さんが言っていた通り本当に綺麗だな」


 結局、私とベルの二人は本当に遅めの昼食を奏さんの喫茶店でとった。

 少し食休みを挟んだ私は、ベルに頼まれた通り公園に咲く桜を見物しに来ていた。予想通り、休日のお昼過ぎとあってか、まだ多くの人がお酒や料理を肴にして、楽しそうに会話をしている。あるところの団体は、手品や物真似らしき余興をして花見を盛り上げていた。

 私は公園内の通路をゆっくりと歩く。通路は花見のためか屋台が出ており、いつもより少しだけ人通りが多い。行き交う人にぶつからないように気を付けながら、私は枝の先に小さく花開いた桜に見惚れていた。ベルはというと、もうただただ感嘆の声を漏らし、何度も綺麗だと呟いている。

 私は隣を歩くベルの表情を、横目でこっそりと見つめた。

 視線の先には、喫茶店で働いている以外はいつも面倒くささと眠たさが合体したような表情をしているのに、今この時だけは晴れ晴れとしていた。ただ目つきの鋭さだけは変わらない。

 でも、本当に今の彼はつき物が落ちたかのような表情だった。隣を同じペースでながら、私は何となく思う。今の彼が本来の彼なのではないのか、と。

 異世界を救った勇者などと話してはいるけれど、魔法という科学でも解明できない不思議な力を扱えることを除けば、一日一日を精一杯に生きる私と変わらない人間なんだ。


「きゃっ⁉」

「おおっ‼」


 すっかりベルの様子を眺めることに意識が傾いていた私は、前から歩いてきた男性にぶつかってしまった。私はすぐにぺこりと頭を下げて、男性に向かって謝った。


「前を向いて歩いていなくて、すみません。あのう、お怪我とかはないですか?」

「ああ、大丈夫だよ。僕の方こそごめんね。君も怪我はない?」

「はい、大丈夫です。本当にすみませんでした」


 また私はぺこりと頭を下げる。


「怪我がなくてよかった。あと、そんなに何度も謝らなくていいよ。それじゃあ、僕は用事があるからこれで。君もお隣の彼氏くんとデートの続きに戻りなよ」

「なっ⁉」


 そう言って男性は私たちに向かって手を振りながら、反対側の方向に向かって歩き出した。

 けれど、私の方はというと思わぬ不意打ちでなかなか動き出せなかった。


「おい、詩乃、本当に大丈夫か? まったく、花見で人通りが多いんだから、周りに気を付けながら歩けよな。そういや、なんか最後にデートがどーのこーの言ってたけどなん………………って、どうしたたんだ?」

「………………何でもないよ!」

「な、なんで、怒ってるんだよ⁉」


 困惑顔のベルに私はさらに「知らないよ!」と言葉を返して、ずかずかと足音を鳴らしながら公園の中を歩いていく。ベルは困惑の色をさらに深めながらも、必死に私の隣に並び歩いていてきた。

 事実だけを言うとベルは何も悪くない。

 ただ、私が男性から言われた思わぬ一言に動揺して、ただその感情をベルにぶつけているだけだなんだから。一方的で、ひどい仕打ちだけれど、今の私にはこうすることしか思いつかなかった。

 そんな私にベルは眉間を困ったように寄せながらも同じ歩幅、同じ速さで歩いてくれている。理不尽なことをした直後だというのに優しい。


「ったく、本当に気を付けろよな。ほい、これなら大丈夫だろ」

「――ふぇっ⁉」


 隣を歩くベルは、何のためらいも迷いもなく私の右手を自分の手で握る。


「ちょっ……え、ベベベベル、ななな何やってるの⁉」

「何って、またぶつからない様に手を握っているんだけど?」

「だから、なんで‼」


 私自身、一体何を言っているんだ、ということは理解できている。

でも、それ以上に確かな理由があったとしても、どうして手を握られているのか。どうして手を握る必要があるのかが上手く粗食できていない。

情けなくあたふたする私を見てベルは、手を握ったまま口の端を持ち上げ悪戯っぽい笑みを浮かべてみせる。


「くくく、お前ってやっぱり面白いな。突然の出来事にあたふたするところとやっぱ面白いぞ」

「もう、からかわないでよ! っていうか、恥ずかしいから手を離してよ! 私は大丈夫だから!」

「俺だって恥ずかしいけど、そういうわけにはいかねえよ。大丈夫大丈夫言ってても、またぶつかって怪我でもされたら奏さんに怒られちまう」


 どうやら有無を言わさないようだ。ていうか、恥ずかしいとか言ってる割に、顔も赤らめ模してないあたり本当に恥ずかしがっているのかどうか怪しい。

 何を言っても無駄だと感じた私は、諦めたようにため息を一つ吐くと、ベルに手を繋がれたまま歩き出した。幸いなことに恋人繋ぎをしている男女が周りにもいるので、私たちの様子があまり目立っていないことがせめての救いだ。

 私は恥ずかしさからいつもより早い胸のことを感じながら歩いていると、ふと、あることに気が付いた。


「あれ?」


 その違和感の正体は、私の手を握るベルの手だった。

 視線をベルの手へ向けると、うっすらと傷のようなものが目についた。それも一つだけでなく、十近くも大小様々な傷がある。されに付け加えると、切り傷といった類の傷だけでなく、火傷のような跡もあった。


「あのさ、ベル?」

「ん、どうした?」

「その………………手の傷どうしたの?」


 私は話しづらそうに口ごもりながらも、ベルの様子を慎重に窺いながら尋ねた。

 ベルは特に表情を変えることはなかったけれど、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ視線を逸らした気がした。

 数瞬、考えるような間を置いてからベルは、ゆっくりと口を開いた。


「ああ、これな。戦いの中でできた傷だ」

「――え」


 予想外の言葉に、私の意識が固まる。

 尋ねてはいけないこと尋ねてしまったことに気が付かされる。急に背筋に寒気のようなものも這いずってきて、冬でもないのに体の芯が冷えていく。

 これまでいつくかベルのことについて尋ねてきたけれど、これは衝撃が大きすぎた。そして、それ以上に平然を装って答えるベルの様子にも驚かされた。


「安心しろよ。とっくの昔に怪我自体は直ってる。ただまあ、あんまりにも深い傷だから痕は残っちまったけどな」

「……そう、なんだ。何か……ごめんね」


 淡々と語るベルに何て言葉を返せばいいのかわからず、私はただただどこでも聞く平凡な台詞しか呟くことしかできなかった。

 自分で自分が言ったことに落ち込んでしまう。

 ベルと出会ってまだそれほど経っていないけれど、もう少し気の利いた言葉というものがあるはずなのに。きっとその言葉は簡単で、先ほど言った通りありがちな言葉なのかもしれない。けれど、もっと良い言葉があるはずなのだ。

 そんな私を見かねてか、ベルは私が特に何も言っていないにもかかわらず内心を察したかのように声を掛けてきた。


「安心しろよ。俺は全然気にしてないから」

「あのね、そんなこと言われたら余計に気にするんだよ。………………でもさ、ベルが言ってること嘘だよ」

「そんなことは――」


 ない、と告げようとしているベルの言葉を私は遮る。


「だって、私が傷のこと尋ねた時……目を逸らしてたもん」


 言葉にしてもいいのかどうかわからず、一瞬躊躇いながらも私はベルの顔を見据えて告げた。彼は驚いたように目を見開くと、形勢が悪いと感じたのかまた視線を逸らした。


「やっぱり気が付いてたか。上手く誤魔化せたと思ったんだけどな」

「バレバレだよ」

「そうか」


 わざとらしく肩を竦めて答えるベルの表情は、どこか悲しそうだった。本当に見られたくないものを他人に見られてしまったかのような感じがする。

 もう誤魔化しきれないと感じたらしい彼は面倒くさそうに頭を掻くと、私から視線を外しぼんやりとした意識で空を眺める。私も彼につられるように、桜のずっと頭上に見える空を眺めた。

 今日は快晴で、絶好の花見日和だと思う。

 ゆっくりと、でも確実に雲が流れている。

 風が凪いでいる。

 横目でベルの様子を少しだけ窺う。

 一体何を見ているんだろう。

 一体何を考えているのだろう。

 同じ青空を眺めていても、ベルの考えていることがちっともわからなかった。例え、砂粒程理解できたとしても、私にどうこうできることなのかもわからないけれど。


「あのさ」


 人が行き交う通路に立ち止まって桜でもなく空を眺める私たちを、他の人たちは奇異な眼差しで眺めている。私自身可笑しいと感じる、そんな視線に耐えきれなくなったのか、それとも妙な間がいた屋だったのかはわからないけれど、私は何かに突き動かされるように口を開いていた。


「桜綺麗だね」

「ん、ああ、そうだな。ていうか、さっきから俺が何回も言っているから今更なんだが」

「わかってるよ――ねえ、ベルはさ、咲いている時の桜と散って宙を舞っている時の桜どっちが好き?」

「あー……急に何だよ?」


 訝しむような視線を私に向けるベルは、それでも木の枝に花開く桜の花びらを眺めながら答えてくれた。


「そうだな。どっちかっていうと散っている桜の花びらを見ている方が好きだな」

「どうして?」


 私の問いに、ベルは少しだけ考えてから答える。


「んー……具体的に言われるとなぁ、ありがちかもしんないが咲いている花を見るのも愛らしくて良いんだけどさ、ひらひらと舞ってる方が風情とか情緒があって好きだな」

「ベルの口から風情や情緒なんていう言葉が出てくるなんて、明日は雨でも降るような気がしてきたよ」

「詩乃、ひどいな。結構真面目に答えているって言うのに」

「あははは、ごめん、ごめん――でも、そっか。ベルもそう思うんだよね」

「あ?」


 何がそう思うんだ? と言いたげにベルは、私の顔を見つめてきている。

 私はベルから視線を外し、花びら舞う桜の方を見据えた。今も桜の花びらが舞っている。風情、情緒。確かにそうだ。

 風に舞って、空を桜模様に彩られている光景を見るとそう思える。


「私もベルと同じだよ。桜の花びらが散っている方が好き」

「ほう……そりゃ、また、どうして?」

「時間が流れているように感じるから、かな」


 花が咲いているだけの桜の木はただそこにあるだけという風に感じるだけで、時間が流れている風には感じない。そこに置き去りにされて、時の流れから切り離されたような。

 でも、花びらが散って舞っている時の桜の木は、花びらが舞う、という動きが加わることによって確かに時が流れているような気がする。ひらひらと散って、風に舞って。それを繰り返し、桜の花びらはどこかに飛んでいく。

 私はそっちの方が好きだ。

 散っている桜は空しい、という言葉をよく耳にする。けれど、止まったままでいるよりは、空しくとも前進している方がずっといい。


「動かないことがつまらないわけじゃない。ただ、何ていうか花びらが宙を舞う様子を見ていると、本当に時が流れていて、世界が広がっているような気がする」


 どこまでも際限なく。


 ――そう思うのは、きっと――。


 私は――。


「その気持ち、俺も分かるよ」

「え?」

「……ちょっと昔話になるけどいいか?」

「う、うん」


 突然の話題変換に当惑しながらも、私は頷いた。

 ベルは桜から視線を外し、私の様子を一瞥すると力のこもっていない笑みを浮かべる。そして、また桜の方へ視線を向けるとゆっくりと口を開いた。

 何が語られるのかわからないのに私は身構えるでもなく、ただじっと彼の紡ぎ出そうとする言葉に耳を傾けた。


「俺はさ、勇者に何てなりたくなかったんだ。たまたま世界を救える力があったから勇者になったんだ」

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