第12話 ベルにとっての魔法
次回更新は25日です!
なかなか寝付けなかった。
琴ちゃんを寝かしつけてから、私も寝ようと瞼を閉じても一向に寝向けがやってこない。ただただ時間だけが過ぎていくだけだ。それもこれも、ベルの言葉のせいだ。
『魔法ってのはこういう使い方が正しいんだ』
私と琴ちゃんとの間に気まずい空気が降りてきたのを察して、ベルは初めて魔法を見せて呉れた時と同じような魔法を見せてくれた。
素直に綺麗で素敵だなと思った。
でも、最後のあの一言でベルにとっての魔法というものがわからなくなった。いや、今までにも少し考えれば気が付くことに気が付いてしまったのだ。
魔法を教えてくれた先生に憧れて魔法を学び始めた。
きっとそれは本当のことなんだろう。
そして、おそらく今日の私たちみたいに何か胸の鼓動が早くなるようなわくわくする光景を見せられて魔法に興味を持ったのだろう。
そのことは最後の言葉から分かる。
だから、改めて疑問に思った。
そんな当たり前のことを理解している彼が、どうして戦争だなんていう悲劇に身を投じてしまったのか。どうして魔法を単なる力としてでしか使わなかったのか。
「……気になるなあ」
今までと件気にしなかったけれど――ううん、気にしないようにしてきたけれど、ベルはどうして勇者になったのだろうか。
ベルの性格から考えても、進んでなろうとするのも考えにくい。だったら、ベルはどうして勇者になり世界を救ったのだろうか。
考えれば考えるほど、気になってくるし分からなくなってくる。
そして、どうして私はこんなにもベルのことを考えてしまうのかがわからなかった。不思議でたまらない。
この胸の中でぽかぽかと湧き上がる温かい気持ちの名を私は知っているような気がした。
♪♪♪
なかなか寝付けない私は、体に抱き着いて寝ていた琴ちゃんを起こさないように気を付けて布団から抜け出てリビングに向かった。
何かお腹の中に収めれば、寝向けがやってくると思ったからだ。夜食を摂ることに気が引ける(体重が増えそうで)けれど、仕方なしに私は何か食べようと思った。
私が驚いたのはちょうどリビングに顔を出した時だった。
「ベ……ル?」
だらしないく椅子に腰掛けたベルが、ぼんやりと天井を眺めながらリビングでお茶を飲んでいた。彼の視線はどこかこことは違う場所に視線をさまよわせているような気がした。
「ん、あれ、詩乃? もう寝てたんじゃないのか?」
私の存在に気が付いたベルが驚いたように目を開き、声をかけてきた。
私は両の指を組んで、もじもじと動きながら曖昧な笑みを浮かべて答えた。
「えへへへ、それがなかなか寝付けなくて」
ベルの所為でね、と心の中で付け足しておく。
「……そうか。そうだ、お前もお茶を飲むか?」
「ああ、うん」
私が頷くと、ベルは立ち上がり機敏な動きでグラスにお茶を注いで運んでくる。そしてテーブルの上に置くと、私に向かってここに座れよ、と話しかけてきた。
壁に体を預けていた私は、ベルが座る正面に置かれたグラスのある場所に座り込み、お茶を飲んだ。乾いていた喉が潤っていく気がする。
グラスに注がれたお茶を一気に飲みほした私は、ふぅ、と短く息を吐く。そして、真正面に座るベルの顔を見た。
今は気が緩んでいるのか、いつもの鋭い猫目は鳴りを潜めていた。綺麗な空色の瞳の中で仄かな光が揺らいでいる。でも、どこか視線は虚ろんでいた。
何だか、いつもと違う。確証はないけれどそんな気がした。
私が見つめていることに気が付いたベルは、私の方へ視線を向けてくる。私はスッと視線を逸らし、ベルのことを見ていなかったふりをする。何だか見つめていたことを知られるのが恥ずかしい。
ベルは可笑しそうに首を傾げ、また先ほどと同じように天井に視線を向ける。
そんなベルの様子を、気が付かれないようにまた眺めた。
けれど、私の奇行はすぐにベルにばれた。ベルの方へ視線を向けた瞬間、彼は天井にさまよわせていたはずの視線を私に向けてきたからだ。
「おい」
「あぅっ⁉」
「誤魔化してるようだけど、バレバレだからな」
口をへの字に曲げ、ベルは半眼で睨んでくる。
対する私はというと、口の端を引きつらせてベルから逃げるように視線を逸らす。
「おい、なーに俺を睨んでんだ? 何か悪いことしたか?」
「べ、別に睨んでなんかないよ。そ、それにベルはなにも悪いことなんかしてないよ」
「じゃあ、何なんだよ」
「さ、さあ、何なんだろうね……あははは」
半分苛ただしげに呟くベルに、私は曖昧に笑って答えた。
こうやって私が奇行をしてしまうのは今私を睨んできている彼なのだから。あの時のあのベルの言葉がどうしても頭に浮かぶ。
『魔法ってのはこういう使い方が正しいんだ』
世界を救えるほどの力を持つ魔法使い。
でも、あの時のように人を楽しませるために使うのがベルは正しいという。
私には魔法が一体どういう理屈で起こるのかや技術などがわからないので何ともは言えない。けれど、ベル自身本当に大事なことがわかっているんだ。
「本当に何でもないよ」
「そうかぁ? すっげー怪しいんだけどな。まあ、いいや」
追及の手を緩めたベルにほっと胸を撫で下ろした私は、肺に溜まった息を吐きながら立ち上がる。そして、空になったグラスにお茶を注ぎ飲み干した。
その間、一瞬だけベルが私の方をちらりと見てきたような気がしたけれど、私がベルの方へへ視線を戻した時には、彼は素知らぬ顔でまた天井を眺めていた。
何だか腹が立つ。
夢すっとした表情でベルを睨んでいると、ふいに彼は天井を見上げたまま声をかけてきた。
「俺の気持ちはわかったか」
「何のこと?」
「明らかに自分を見ているのに、その理由を答えようとせずに誤魔化してることだ」
「……はあ、ベルってば性格が悪いね」
「そっちもな。でも、まあ、何だ。今は気分がいいから、ある程度の質問なら案外答えちまうかもよ」
本当だろうか。
虚ろ気に天井を眺めるベルの様子からは、とてもじゃないけれど機嫌がいいようには思えない。
「その顔は疑ってるな? ああ、いいぜいいぜ、疑ってくれりゃあな。まあ~聞けると気に聞いといた方が、胸の中のもやもやって言うのは収まるもんだぞ~」
「……今のベル、とっても腹が立つ。何でもかんでも見透かされてるような気がして」
「んなこたねーよ」
すっかり冷え切ったお茶をベルは一気に飲み干すと、グラスの縁を指先でなぞりながら呟く。
「俺には相手の考えていることなんてわからねぇよ。ただ、お前が鈍感な俺にもわかるくらいあからさまな態度をとるからだ」
「ごめんね、あからさまな態度で」
腹が立った私は、頬を膨らませベルを睨んでやる。そんな調子の私を、ベルは愉快気に笑ってみていた。
「別に貶してないからな。確かに詩乃の反応の仕方もあれだけど、どちらかというとお前の素直さに驚いてるんだぞ」
「そんな感じ全くしないんだけど」
笑われている時点で本当にそんな気がしない。
私は子供っぽく唇を尖らせてベルを睨みつけてやる。ただ、ベルは口の端を持ち上げるだけで、まったく反省の色がない。もう何度目かわからない腹立ちを感じた。
「はあ、わかったよ」
私は諦めてベルに疑問を素直に尋ねることにした。
「ねえ、ベルにとって魔法って何?」
「俺にとっての魔法か。そうだな、誰かを救える願いみたいなもんだよ」
一拍の間を置くこともなく彼は答えた。
予想外のベルの反応に、私は思わず目を瞬かせてしまう。
質問には答えてやる、とは言っていたが、まさか本当にこんなにもあっさりと答えてくれるとは思っていなかったからだ。
呆然とする私の様子をベルは「くっくっくっ」という、笑いを堪えたような声を上げながら眺めている。私の反応を楽しんでいるのが丸わかりだ。
私は先ほどよりも唇を尖らせると、ベルを射貫くかのように睨みつける。
「どうした、意外か?」
「うん。それに、また腹が立つ。ベルってば、いつも素直じゃないくせに何でこういうときは素直かな」
「別に渋るようなことじゃないからな。それに、これまで冗談まがいに答えちまったら――ああ、いや、何でもない」
「?」
今、いったい何を言いかけたんだろうか。
首を傾げる私に、ベルは「何でもねえよ」と短く曖昧に笑って誤魔化す。
その少し悲しさも含まれたような笑みに、私は胸の奥がざわつく。大事なこと。そうなんだか大事なことな気がする。
確証なんてものはない。ただの予感めいた私の勝手な想像だ。
でも、根拠も理由もなくても、私の第六感が感知していた。
「とにかく、俺にとっての魔法は誰かを救える願い」
でも、とベルはそこで一旦区切ると、飲みかけのお茶が注がれたグラスをテーブルの上に置き、窓の外へ視線を移した。
窓の外は、時間も時間とあってか夜の静けさが立ち込めていた。時折、近くの国道を走る車の音と、よっぱらいの大声で笑う人たちの足音だけだった。
「俺の考えは甘かった」
「考えが甘かったって……どういうこと?」
「言葉通りの意味さ」
いつになく真剣な表情でベルは呟く。
「魔法なんてのは結局戦争の道具でしかない。ちゃんと魔法の性質さえ分かっていれば、剣や弓以上の絶大な武器になる。そんな魔法に俺は何かを託していたんだ」
ベルは一瞬何かを考え込むように瞼を閉じると、大きく息吐き、瞼を開けて再び話を始めた。
「俺は大勢の人と魔族の命を奪った。そうするしか自分の大切な人達を守ることができなかったから。こんなのは、言い訳だってのはわかってるよ。まあ、話の落としどころはこんなとこだよ。とにかく、俺の考えは本当に甘かった」
「……、」
私は黙り込んだまま考える。
私と奏さんと琴ちゃん三人が見た魔法というのは、確かに性質さえ分かっていれば世界を簡単に変遷できるのかもしれない。
それはきっと彼の言う通りなのだろう。
でも、と思う。
そう言いながらも、彼が最初に口にした言葉は何だったろう?
考えが甘くても、その言葉が出てきたということは、まだ彼はそのことを信じているということだ。
「ベルはまだ信じてるんだね。魔法が誰かを救う願いだって」
「いや、もう俺は――」
「だって――だって、もしも本当にただの魔法として思ってるんだったら、ベルにとって魔法は願いだなんて言わないもん。ベルの魔法は、魔法じゃなくて魔法なんだね」
「――ッ⁉」
豆鉄砲でも食らったかのようにベルは目を大きく見開き驚く。
この返答は予想していなかったのだろう。
私は口の端を持ち上げて意地悪気に笑うと、うろたえるベルの顔をまっすぐに見つめた。
「ベルはさ、怠惰でグータラで面倒くさがり屋だけど、やっぱり優しいね」
「………………うっせ、勝手に言ってろ」
「あははは」
そう言い返すのが精いっぱいのベルを、私は笑ってみていた。