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狂い人  作者: 初心者
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第八話

                   参


 昨日から降り続いていた雨が止んで少し経った月曜日の正午、滝上と狭山は捜査のため、藤崎朋の勤め先であった早蕨中央病院へと足を運んでいた。本当は身元発覚直後に訪れたかったが、あいにくと日曜日は休診日だったので、一日が経った今日の訪問となったのだ。

 早蕨中央病院は十階建ての総合病院で、とかく院内は広大だった。正式な捜査であるとはいえ無断で動き回ることは出来ないので、二人はまず一階ロビーの案内受付へと向かった。そこで業務をしている職員に警察手帳を見せて事情を説明し、許可をもらうために神経内科の医局へと連絡を入れてもらった。

 特に支障も無く、責任者はあっさり許しを出した。

「神経内科の医局は、六階の東病棟の一番奥にございます。あちらのエレベータをお使いになってもらって、降りた後は左手方向に進めば、すぐに分かると思います」

 受付職員にそう教えてもらったので、エレベータ独特の違和感のある重力を感じながら、二人は階を上がっていった。

 扉の開いたエレベータの先には、患者たちが集まって雑談できるスペースが設けられており、観葉植物の他にもおしゃれなソファやテーブルが並んでいた。そのうえ院内の装いもとてもデザイン的な作りをしていて、薬品の臭いなどもなかった。滝上は平然としていたが、狭山はエタノールの臭いがする乳白色に囲まれた無機質な空間という、自分の頭の中に巣食っていた病院のイメージとこの場所がかけ離れていたため、少しの戸惑いを感じていた。そういえば病院なんて十数年ぶりだなと、狭山はふとそんな事を考えていた。

 言われた通りに左手側に進むと、医局はすぐに発見できた。室内に居る白衣に身を包んだ医師たちは、食事をしていたりスマートフォンで遊んでいたりと、その過ごし方は様々だ。

 刑事がやってきた事に驚く医師は居なかった。亡くなったのが同僚だったので、いずれ事情聴取に来ると覚悟していたのだ。

 百恵は皆から好かれるような娘では無いと話していたが、殺された人間を悪く言う人は居なかった。『仕事は良くしていた』。『女性でも男性に負けないくらい頑張っていた』。同僚の医師たちはそんな当たり障りのない言葉ばかりを選んで、滝上たちの質問に受け答えをしていた。

 二人は医師たちに、藤崎の死亡推定時刻のアリバイについても聞いた。深夜なので証明できない医師も半分程居たが、それでも不審人物ではないというのが、狭山と滝上が抱いた印象だった。

「また何か思い出した事やわかった事があった時は、お手数ですが警察までご連絡願います、それでは、貴重な時間を頂きありがとうございました」

 滝上が刑事ドラマなどでよく聞くような台詞を残し、二人は医局から退出した。何ら成果を得られなかったことに滝上は少しばかり落胆をしていたが、対して狭山はまったく気にした様子は見せなかった。

「藤崎さんの同僚からは有益な情報は聞けませんでしたね」

「そうだな。まあ、医者の方はそこまで期待してなかったし、予想通りだな。本番は次だ」

「え? 次が本番って、どこ行くんですか?」

「看護師に決まってるだろう。医師よりも、看護師の方が有益な情報は出やすいんだ」

「どうしてですか?」

「最近は男も増えてきているらしいが、それでも看護師ってのはやっぱりまだまだ女が多いんだろ? 女っていうのは良くも悪くも話好きだ。人の噂話なんかは特にな。だから俺の経験上で言えば、男よりも女のコミュニティの方が自然と情報は集まりやすいんだよ」

 狭山のその持論には、滝上もなるほどと大いに納得していた。

 医局から見て右側の廊下を少し進んだ向かい側に、神経内科の看護局はある。ノックをしてから入室すると、看護師たちが医師とは違い、驚いたような表情をしていた。急に強面の大男がやって来たので、不審者だと思ったのだ。傍にいた滝上がそれを察知し、慌てて警察手帳を示した。彼の可愛らしい顔立ちと警察手帳のおかげで、混乱は一瞬の内に収まった。

 だが今度は、事件について事情聴取されるという事に、看護師たちは少なからず興奮していた。この状況を、刑事ドラマのワンシーンか何かと勘違いしているのではないかと、狭山と滝上は軽くうんざりしながら、看護師たちに話を聞いて回った。

 医局と同様に、こちらでも変わらず、藤崎については無難な返事をしていた。だがそれも最初の方だけで、話を聞いていく内に、一人の看護師が彼女のある一面を話し出した。

「ここだけの話にしてくださいね」

 そう前置きをしてから、その看護師はまるで四方山話のような口調で喋り始めた。

「藤崎先生、いつも何かに脅えていたような感じだったの。それに五月の初めくらいに、今年の新人さんの歓迎会を兼ねた飲み会をしたんですけど、その時にかなり酔っぱらって、それで『自分は最低の人間だって』ってこぼした事があったんです」

「最低な人間、ですか?」

「そうそう。それでちょっと伺ってみたんですけど、どうやら藤崎先生、誰かとのいざこざを抱えていたみたいなの」

「その誰かに、心当たりはありますか?」

「ごめんなさい。流石にそこまではわからないわ。でも、これってすごく貴重な情報ですよね?」

「ええ、そうですね。とても参考になりました。ありがとうございます」

 滝上が笑顔で言うと、その看護師はまるで自分が犯人を捕まえたかのような、とても満足気な表情をしていた。

 それを見て二人は再び辟易したが、それでも昨日の亨の反応もあり、誰かと諍いがあったというのは信憑性が高い。知り合いの名前というのは分からなかったが、看護師から知れたその話は十分な情報だと狭山たちは思った。

 看護師たちに礼を述べて、二人は病院を出た。

「どっちかだといいですね」

 移動中の車内で、滝上が狭山に言った。狭山たちは前日の内に、百恵から聞いていた藤崎の高校時代からの二人の友人――四宮と楢原について身元を突き止めていた。そして二人には事情聴取のため、今日中に会いに行く予定なのだ。つまり先の滝上がした発言の意図は、その二人のどちらかが藤崎と揉め事のあった人物だと都合が良いということだ。

「そうだな」

 本日十本目の煙草に火を点けながら狭山が答える。煙草から煙を燻らせながら頬杖を突き、窓の外の、ビル群や申し訳程度に植えられている街路樹などの流れていく景色を眺めながら、狭山としてはそうであってもらわなくては困ると思っていた。

 今の所、狭山たちが掴んでいる藤崎の親しい交流関係は四宮と楢原の二人だけである。そして何も手掛かりのない現状では、亨が白状することはない。だからもし藤崎と諍いがあった人物がその二人のどちらでもなかった場合、途端にその真偽を確かめる事が困難になるのだ。横で運転をしている相棒がそこまで考えられていないことに、狭山は軽く溜め息を吐いた。

 楢原は前夫との離婚を契機に早蕨市に戻り、二年前からは自身の祖父が経営する常盤学園に縁故で就職し、事務員として働いている。一方、四宮は父親が日本でも有数の会社経営者で、彼女自身はその子会社という形でエステサロンを立ち上げている。

 早蕨病院からは常盤学園よりも四宮のエステサロンの方が近くにあったので、狭山たちはまずそちらに車を走らせていた。

 早蕨駅から徒歩二分でありながら、五台分の駐車スペースを設けているという好立地に、そのエステサロンは在った。清楚感を出すために外観は白色がほとんどの面積を占めており、店内は橙色の間接照明に照らされ、アロマキャンドルで焚かれたラベンダーローズの香りが充満していた。

 ソファに腰掛けて順番待ちをしていた三名の女性客が、一斉に狭山と滝上に見遣った。二人もその視線を感じ、自分達を場違いだなと自覚しながらも、受付を担当していた女性職員に、社長である四宮に取り次ぎをしてもらった。

 四宮は急な来客に最初は渋っていたが、警察という言葉を受付の女性が口にすると、観念して時間を取った。かくして狭山と滝上は無事に社長室へと通された。社長室は、壁には高級絵画が飾られ、中央の机を黒のソファが取り囲み、扉とは逆の向こうに社長である四宮の座る席があった。そこでは待合室とはまた違う種類の甘ったるい香りがしていて、狭山は少し嫌気が差していた。

 四宮が立ち上がり、狭山と滝上にソファへ掛けるように促した。彼女は百五十四と女性では平均的な背丈だったがスタイルは良く、それを強調する青のワンピースと白のジャケットを着こなしていた。その服装自体はそこまででは無いが、彼女は金色に近い茶髪とネックレスや指輪などの装飾品を必要以上に身に付けており、それが派手な格好をした女性という印象を与えていた。

 狭山たちがソファに座ったのを確認してから、四宮も腰を降ろした。お互いに自己紹介を終えた頃、女性職員が二人分のお茶を持ってきて、狭山と滝上の前に差し出しだ。そしてその職員が社長室を出て行った後で、滝上が本題へと入った。

「藤崎朋さんが死体で発見された事はご存知ですよね。今日はその事について幾つかお伺いしたいことがあります。まず、四宮さんは彼女とはどういったご関係でしたか?」

「刑事さんたちこそ、それは、既に調べていてご存じなのではないですか?」

 相手を見下したような四宮の慇懃無礼な態度を見て、狭山は腹を立てた。同時に、目の前の彼女に対しての違和感を持った。しかしそれがどのような違和感なのかは、狭山には分からなかった。先の怒りにそのもどかしさが混ざり、狭山は少しばかり喧嘩腰になって四宮に反論をした。

「もちろんこちらでも把握はしていますが、穴が無いといえば嘘になります。やはり捜査というのは、当人に直接聞くのが一番なのですよ」

「そうなのね。でも、私が嘘を吐くかもしれないわよ。その場合はどうするのかしら」

「私たちにとって、あなたはまだ白でも黒でもない。ただ、もし裏付け捜査をして嘘が判明した時は、あなたに疚しいことがあるからだと考え、黒に近くなります。私たちは白か黒かの判別ができるだけでも捜査自体は進展するので、もし嘘を吐きたいというのならお好きにどうぞ。ただ本音を言えば、できるだけ無駄な捜査はしたくないので、もし後ろめたいことが何もないなら素直に話していただけると助かります」

 出来る限り落ち着いた口調で、けれど半ば脅迫するように、狭山は四宮に言った。横で聞いていた滝上が、四宮が気分を害して怒り出すのではないかと危惧したが、その予想に反して彼女は口元に手のひらを近づけて笑って見せた。

「おもしろい刑事さんですね。それとも、皆さんそのような感じなのですか?」

「さあ、どうでしょうか」

「まあいいです。それではお話しますね。私と朋は、常盤学園という高校で知り合いました。自分で言うのも憚られますが、私がグループの中心という形で、朋ともう一人、楢原明日香という子の三人で、よく一緒にいました」

 四宮の態度は相変わらずだ。憚られるなら自慢をするな、と狭山が内心で毒づいていた。

「実は藤崎さんは知人の誰かとトラブルがあったそうなんですが、その辺りについて、あるいは殺意を持つような人物について、心当たりはないですか?」

 ニコチン不足も含めそろそろ虫の居所が悪いのが全面に出そうな先輩への助け船として、代わりに滝上が再び口を開いた。狭山は差し出されたお茶を飲みながら、気持ちを落ち着かせようとしていた。

「ごめんなさい。わからないわ」

 四宮は瞬間的に眉を顰めたが、誤魔化すためにすぐに顎に手を当てて逡巡するような仕草を見せて、滝上の質問に頭を振った。藤崎亨と同様のその反応を、狭山と、そして今回は滝上も見逃しはしなかった。亨と四宮の反応から、藤崎朋について何か隠したい事があるのは確定的だが、けれど二人はそれ以上の追及はしなかった。何も根拠もないので、四宮も口を割らないだろうと考えたからだ。

「最後に、先週の金曜の深夜は、何をされていましたか?」

「金曜日ですか? その日なら確か、夜の十時過ぎくらいにはもう寝ていたと思います。ですから、残念ですがアリバイの証明はできませんね」

「そうですか。ありがとうございました」

 四宮への聴取はそれで終わった。

 店から出てすぐに煙草を咥えた狭山が「最後まで気分の悪い女だったな」と、今度は顔にも口にも出した。

「確かに、あまり感じのいい女性ではなかったですね。ですが、収穫はありました。今日は僕も注意して観察していましたけど、四宮にもおかしな一瞬がありましたよね」

「ああ、そうだな。やはり藤崎朋には何か疚しいことがあるってことだ。四宮も口を割らないとしたら、もしかしたら彼女が藤崎といざこざがあったという人物本人、あるいはその関係者かもしれないってことだな」

 捜査が着実に進行しているという手ごたえを感じていた狭山は、最初に四宮に覚えた違和感などすっかりと忘れていた。そんな狭山に、滝上が質問をした。

「ところで先輩。四宮さんって感じが悪いとかそういうんじゃなく、ちょっと変でしたよね?」

 滝上のその言葉に、狭山は四宮への違和感を思い出した。そして、滝上に質問をした。

「どこが変だと思ったんだ?」

「あの人、自分の友だちが殺されたっていうのに、少しも悲壮感がなかったんです。普通、高校時代からの友だちが殺されたりしたら、多少なりとも悲しそうな顔をすると思うんですが。でもあの人の態度は、気丈に振る舞っているというよりも、そもそもそんなことを気にしていないみたいだったなと」

 それを聞いて、狭山も自分が違和感を持った理由に気がついた。滝上の言う通り、四宮は自分たちと顔を合わせた時から、あまりにも平然とし過ぎていたのだ。

「良くやったな」

 自分では分からなかった違和感の正体をしっかりと把握していた後輩を褒める意味も込め、狭山が滝上の肩甲骨の辺りを叩いた。

「ちょっと先輩。痛いですよ」

 滝上は急に叩かれて一瞬だけ肝を冷やしたが、褒められていると知り安心をした。しかし狭山がどうして急に称賛したのか、その理由は全く分かっていなかった。

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