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狂い人  作者: 初心者
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第七話

                   5


 殺人事件が発覚した翌日の、六月最終日の月曜。僕はいつもより三十分早く家を出た。死体が見つかったという溝渠を見るためだ。

 昨日からの土砂降りは今日も続いていた。七時を少し過ぎたこの時間には人影があまりなかった。雨が傘を打ちつける音だけが耳に響いていた。気持ち早足になりながら、常盤学園へと向かった。

 藤崎朋の事件は、両腕が切り落とされた殺害されたというその特異な内容から、僅か一日で既に全国区の話題になっていた。今朝の新聞や報道番組はこぞって事件の事を取り上げていた。

 僕はテレビで放映された死体が見つかったという溝渠の近くまでやってきた。ガードレールの近くには立入禁止の印字がされたテープが張られており、警察官が不法に侵入する者がいないかどうかを見張っていた。規制線の傍には幾つかの花束や供え物が置かれていた。

 疎らに居る野次馬に紛れ、少し遠い場所からガードレールの際に立ち、そこから濁った水が流れている溝渠を見降ろした。そこに、両腕が無い女性の死体と、それを棄てる犯人を想像した。やはりそれらを上手く思い描く事はできなかったが、それでも昨日の未明に死体が棄てられ、それを行った犯人がいるというのは現実だ。その事実が、僕を少しだけ、けれど確かに満たしていた。

 どれくらいこの場所に立っていたかは分からないが、徐々に人通りが増え始めていた。通り過ぎる人や、僕と同じように立ち止まる人と様々だったが、皆が一様に事件の事を気にしているようだった。おそらく僕もただの野次馬にしか思われていないだろうが、見張りが立っているので、あまりにも長居すると目を付けられる可能性かもしれない。事実、先ほどからその見張りの警察官が僕の事を何度か見ていた。僕はその場から離れて、登校することにした。学園に到着したのは、結局いつもより遅くなっていた。

 校門を潜った所で、後ろから声を掛けられた。振り返ってみると、小走りでこちらに向かってくる広瀬の姿が見えた。右手に大きめな紺色の傘と、画材道具でも入れているのか、これも大きめな深緑色のリュックを背負っていた。どうやら広瀬はサイズの大きい物を好んで使用しているらしい。

「おはよう。今日も天気が悪くて嫌になるね」

 広瀬の挨拶に、僕も適当な返事をした。それから、広瀬は早速と言わんばかりに殺人事件について話をしてきた。

「昨日のニュース見た? まさか自分の住んでる街で殺人なんて起こるとは思わなかったよ。いったい誰が犯人なのかな?」

 広瀬は以前の選択授業の時と同じように、僕の反応などお構い無く捲し立てた。何か僕の知らない情報の一つでもあるかもしれないと期待したが、それは高望みであった。広瀬は新聞やテレビで報道されている以上の内容は何も言う事は無かった。

 進学特待生は常盤学園本館の東棟、技能特待生は西棟にそれぞれの教室が在る。本館の前で分かれるまで、広瀬は延々と喋り続けていた。

 教室の中でも、周囲の話題は殺人事件の事で持ち切りだった。麻薬中毒者、精神疾患者、快楽殺人者、あるいは殺された女性に恨みを持つ者の犯行だと、各々が自身の想い描く犯人像ついて語っている。休憩時間が訪れる度、教室は既視感(デジャビュ)みたいに同じような光景を繰り返していた。何度も行われるそういった話の中に、懲りずに事件について知らない情報が混ざっているかもしれないと期待した僕は、会話が行われるその都度、静かに耳を傾けた。しかし、やはりこれといったものは何もなかった。

 帰りも近くなった清掃時間になると、放課後の自分たちの予定ついての会話が多くなり、事件のことは後回しにされるようになった。その頃にはもう、僕も他人の会話に注意することはなくなっていた。

 一年生の下駄箱周辺が、僕の掃除の担当場所だった。箒を手に、淡々と作業をこなしていく。集めた塵芥(ちりあくた)を捨てると、先週から使用していたゴミ袋がちょうど一杯になった。僕は袋の口を結び、ゴミ集積所までそれを持っていくことにした。雨は正午にはもう止んでいたので、傘を差す必要は無かった。

 別館の近くに、倉庫大の百葉箱のような形をしているその集積所は建っている。鍵の掛かっていない観音扉を開くと、肥溜のようなに臭いが鼻を突いた。内部には市が指定している白色のゴミ袋が散乱している。その中に、中身の見えない黒色のゴミ袋が一つだけあった。常盤学園では、毎週金曜日に業者がゴミの収集に訪れている。指定のゴミ袋はその時に回収されるが、それ以外のゴミ袋は確か担当者への注意喚起だけをして残されたままになったはずだ。おそらくこの黒色のゴミ袋の件は、業者から別館の管理をしている城之内さんに報告があるだろう。ここでそれに気付いた僕が城之内さんに教えれば丸く収まるはずだが、生憎と僕はそのような人間ではなかった。以前にも何度か同じように指定外の黒色のゴミ袋を見た事があったが、僕はいつも無視をしていた。今回も同様に何も気に留めず、持ってきたゴミ袋をそのまま投げ入れ観音扉を閉じた。

 教室に戻ると、すぐに担任の教師がホームルームを開始した。その教師は、間近に迫った期末試験について話をした。一年生のこの時期から既に大学受験は始まっている。だから期末テストも手を抜かずにしっかりと勉強して、良い成績を収めろ。僕たちの担任は、その程度の事を説明するのに十五分もの時間を掛けた。中にはずっと熱心に聞いているクラスメイトも居たが、僕は興味が無かった。

 ホームルームも終わり放課後になった午後の四時過ぎ、僕は東棟一階にある本館事務員室へと向かった。その近くまで来たところで、背の高い筋肉質の大柄の男性と、それとは対照的な背の低い柔和な顔立ちの男性の二人組が、事務室から出てくるのを見かけた。それはこの常盤学園で初めて見る二人組で、教師や事務員とは異なった空気を持っていた。僕は彼らを刑事だと思った。事務室から出てきたことから、楢原さんと殺された藤崎朋が知り合いだということを突き止め、事情聴取に訪れたのかもしれない。

 若い方の男性と一瞬だけ視線が合って、すぐに逸れた。彼らはちょうど東棟を出て行くところだったが、事務室から渡されたであろう入館許可証を首から提げたままで、ガラス引戸からそれを返却しようとはしなかった。どうやらこの常盤学園にまだ用事を残しているらしい。行くとすれば、本館西棟か別館のどちらかであるだろう。

 そんな二人組を横目に通り過ぎ、本館事務員室の扉をノックしてから入室をした。一番の新人でありそうな若い女性事務員が対応をしてきたが、僕は楢原さんを指名した。

「どうしたの?」

 先の女性事務員と入れ替わるようにやって来た楢原さんは、首に手を当てながら、心底気怠そうに対応をした。広瀬曰く、周囲は彼女のこのような態度を不快に感じているらしいが、僕はどうでも良いことだと思った。

 楢原さんへの用件はただ一つだ。

「昨日、殺されたと報道がされた藤崎朋さんについてお話を聞きたくて来ました。楢原さんは、あの女性とお知り合いですよね」

「ああ、そういえば二カ月くらい前、駅前の喫茶店で一緒に居る所を見られてるわね。憶えてたの?」

「はい」

「大人しそうな顔をしているけど、意外とミーハーなのね。でも、君に教える義理なんて無いでしょ。それに、警察でも無いのに人のプライバシーを侵害するのは、あまり感心しないわ」

 そう告げて、楢原さんは一度僕を睨みつけから、不機嫌そうに自分の席へと戻って行った。どうやら藤崎朋との関係を教えてくれる気は少しも無いようなので、僕は早々に諦めることにした。

 僕は何も言わずに事務室を出た。

 楢原さんが犯人だと仮定する。その場合、警察かどうかなど関係なく、自分が疑われるような話などを無暗にするはずはないだろう。そのため、元より藤崎朋との関係について素直に教えてもらえるなどという過剰な期待はしていない。情報を得るのに、手っ取り早い近道がなくなったというだけだ。別にそれも構わない。もし二人の間に事件に関係する何かが存在しているならば、自分で調べることが出来る範囲でも、分かる事はあるだろう。

 手始めに僕は、体育館から運動場を挟んで東側に建てられている、常盤学園の図書館へと足を運んだ。卒業アルバムを閲覧するためだ。

 広瀬は確か、楢原さんがこの常盤学園の理事長の孫娘だと言っていた。ならば、楢原さんが当時ここに通っていたというのは十分に有り得ることだ。そして、社会人になってから知り合ったという場合を除けば、喫茶店で見た三人は同じ学校に通っていた公算は高い。それが小学校か中学校か高等学校か、それとも大学かは不明なので、とりあえず手近な高校の同窓生だったという可能性から当たってみようと、僕はそう考えたのだ。

 卒業アルバムが保管されていたのは鍵付のガラス扉の棚で、情報保護の観点から好き勝手に閲覧する事はできない。本来ならば何かしらの手続きが必要なのだろうが、とりあえず駄目元で調べ物があるから見せて欲しいと受付担当者に頼んでみたところ、決して持出とコピーをしないという約束で許可をもらうことができた。

「君はよく図書館に来ていて顔も知っているから、今回は特別ですよ。調べ物が終わったら、必ず私に報告してください」

 鍵を開ける時に、受付担当の女性職員が言った台詞だ。まさか図書館に通って顔を覚えられていたことがこんなところで役に立つとは思っていなかったので、これは僥倖だった。

 藤崎朋は享年が二八歳だと報道されていたので、十年前の卒業アルバムを確認してみた。

 これまた運の良い事に、喫茶店の三人はそのアルバムに顔写真が掲載されていた。三人は、この常盤学園の同級生だったようだ。卒業アルバムから、楢原さんと藤崎朋、それから残りの一人がその当時に同じ絵画部に所属していたこと。そしてその一人の名前が四宮知花であるということがわかった。加えて、別館担当の事務員である城之内さんも、同学年でありこの常盤学園の出身者である事が分かった。もしや城之内さんも絵画部の出身かと疑ったが、それは間違いだった。各部活動での集合写真のどれにも、城之内さんの姿は見当たらなかったのだ。

 二カ月前、喫茶店で見た三人は何かを揉めている様子だった。加えて、楢原さんには『良くない噂』があると広瀬は言っていた。もしかすると、その『良くない噂』というのが事件に関係しているのだろうか。広瀬や城之内さんに尋ねれば、何か分かる事があるかもしれない。

 図書館の時計を確認すると、時刻は四時四十五分だった。城之内さんがまだ仕事の時間内かは不明だが、広瀬の方なら、もし部活動に出ていれば、この時間ならまだ校内に残っているだろう。

 卒業アルバムを棚に戻し、女性職員に調べ物が終わった事を報告した。

「どうもありがとうございました。助かりました」

 礼を述べ、図書館を後にする。絵画室がそのまま絵画部の部室として宛がわれているので、僕は別館へと向かった。

 校舎側に行くには運動場を横切ることが出来れば早いのだが、昼頃までの雨で地面が泥濘(ぬかる)んでいるにも関わらず、数多くの運動部員でそこは占領されていた。仕方なく迂回をしてから別館に向かった。

 しかしその道中で、僕は一つ、目的を失った。偶然、閉じたままの紺色の傘を持ち、大きめの深緑色のリュックを背負った広瀬が校門から出ていく姿を見たのだ。登校時と同じ荷物を持っていることから、広瀬はこれから帰宅するところなのだろう。走れば間に合う距離ではあったが、そこまでする必要は無い。明日は選択授業がある日なので、またその時にでも聞けば良いだけだ。それに、まだ城之内さんが残っている。そうしてそのまま別館へ足を運んでみたが、結局は無駄足になってしまった。

 別館事務室には、城之内さんではない別の事務員が滞在していた。四十歳に見える、中年の女性の事務員だった。その事務員に城之内さんについて質問してみると、彼女は既に仕事を終えて帰宅しているとの返答を受けた。どうやら城之内さんの勤務時間は放課後になる前までらしく、その後の別館の管理は、別の事務員と交代をするのだと言う。

「もし良ければ、伝言をもらっておきましょうか? 明日城之内さんが出勤してきた時に分かるよう、メモ書きをしておきますから」

 中年の事務員にそんな提案をされたが、僕はそれを断った。城之内さんへも、そこまでする必要はない。都合の良い時に、別館に訪ねれば済む話だ。

「いえ。急ぎではないので、大丈夫です。失礼します」

 別館を離れた僕は、一気に手持無沙汰になった。けれど常盤学園の図書館に再び戻る気にはなれなかったので、学校自体を後にして、市営である早蕨中央図書館に寄ることにした。

 早蕨中央図書館は、早蕨駅の電車で一つ下った先の総角(あげまき)駅から、徒歩五分ほどの場所に建っている。早蕨中央図書館は中々に大きな図書館なのだが、その規模と利用者の割合は合っておらず、人影は疎らだった。そこで本を物色し、僕は『凶悪』という小説を選んだ。その小説を読んでいる間ずっと、僕は例の殺人事件の事を考えていた。

 犯人は、いったい誰なのだろうか。現在、僕の中では、藤崎朋の知り合いである、常盤学園の事務員の楢原さんが被疑者として挙がっている。だがそれも、二人が知り合いであり、揉め事があったようなので殺害の動機があるのかもしれないという、とてもか細い理由だ。そもそも、人は大なり小なり誰かへの不満を持っているものである。楢原さんへの疑いなんて、それこそまるで霧のように、すぐに消えてなくなってしまうかもしれない。

 その他にも、何故犯人は被害者の両腕を切断するという方法を選んだのか。動物連続切断遺棄事件との関係はどうか。そういった様々な事柄についての可能性を頭の中に浮かべ、それを取捨選択するという作業を行った。

 気が付くと、時刻は午後八時を迎えていた。閉館時間になったので、僕は図書館から出て行った。

 電車で早蕨駅まで戻ると、構内がとても騒々しくなっていた。周囲の話声から、この騒ぎが藤崎朋の殺人事件に関係していることがわかった。どうやら藤崎朋のものと思われる両腕が、今から少し前に発見されたらしい。発見場所は、南口改札正面の壁に取り付けられている案内板の、すぐ脇に設置されているゴミ箱の中のようだ。

 発見場所がゴミ箱ということで、僕は清掃員の誰かが発見者であるとアタリをつけた。ゴミの回収作業をしている途中で、棄てられた腕を見つけたのではないか。

 発見現場の鑑賞は後回しにして、駅構内のどこかに居る筈の清掃員を捜した。十分ほど捜索して、僕は黄緑色の作業服に身を包んだ、五十代と思われる女性の清掃員を見付けることができた。その清掃員は落ち着きが無く、しきりに首を動かしては、そわそわと周囲を見渡している。

 僕は彼女に近寄り、両腕が発見された事についての詳細を尋ねてみた。始めは戒厳令が敷かれていると渋っていたその女性は、けれどずっと誰かに喋りたかったようで、結局は僕に話をしてくれた。周囲を気にしていたのは、今すぐ喋りたい衝動を発散できる誰かを探していたからなのかもしれない。

 僕の予想に反して発見者は清掃員の誰かでは無かったが、その女性に因ると、午後七時四十分頃に、中身の見えない黒色のゴミ袋に封入された両腕が発見されたらしい。酔っぱらった三十代くらいの男性が、千鳥足でゴミ箱を倒して中身の散乱させた事で、偶然にも発見できたということだ。また、三時間程前に行ったゴミの定期回収の時には、確実に両腕の入ったゴミ袋は無かったという事も分かった。

 聞ける限りの情報を聞いた後、僕は三十分ほど、その女性が自分なりに行ったという推理を聞かされる運びとなった。

「二時間サスペンスをずっと見てきた私の考えでは、犯人は劇場型犯罪者って奴ね。きっと駅の中に潜んでいて、腕が発見されて騒ぎになるのを観賞して楽しんでいたはずよ。だから、駅の防犯カメラを調べれば、不審者がわかるはず。それに……」

 僕はその話に適当な相槌を打ちながら、再び頭の中で事件についてのあらゆる可能性を考え、取捨選択をする作業を繰り返していた。

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