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狂い人  作者: 初心者
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第六話

                   弐


 午前四時五十五分。当初の取り決め通り、全ての刑事たちが事件の捜査本部へと戻ってきていた。

 まず現場検証及び被害者の検視を行った鑑識官から、その結果が発表された。

「検視によると、死因は両腕の切断による失血死。現場を調べた際に血痕がなかったことから、両腕の切断は別の場所で行ったものと思われます」

このあたりは、狭山の意見と一致していた。

「続いて、体内からは睡眠作用のある成分が検出されており、被害者は犯行直前には眠らされていたと推察されます。また、腹部にだけ索条痕が見受けられました。これは、被害者は柱か何かに縛られていたということを示しています。死亡推定時刻は土曜日の午前一時から二時の間。つまり、約一日経ってからあの場所に遺棄されたということです。腕の切断に用いた凶器は未だ調査中ですが、切断面から鑑みてナイフなどの刃物は除外しても良いと思われます」

 次いで、代表して吉沢から、刑事たちの午前の捜査結果が報告された。

「被害者の名前は藤崎朋。年齢は今年で二十八。勤務先は早蕨中央病院で、そこで神経内科の医師をしていたことが確認できました。生まれは早蕨市内で、実家は早蕨駅から二駅先の椎本(しいがもと)にあるそうです。親元は既に離れていて、現在は郊外の高級マンションで暮らしていたとのことです」

 吉沢が、この時間までに調べ上げた事を簡潔に報告する。そうして話を終えたて席に着いた所で、入れ替わるように今度は三上が立ち上がり口を開いた。

「今回の事件と関連性があるかは不明なのですが、管理官のお耳の入れておきたいことがあります」

 そう前置きをしてから、三上は本題を話した。

「実は、早蕨市では四月の初め頃から約一ヶ月間、動物を切断して遺棄するという事件が相次いで三件起こっておりました。この事件自体は四月末を最後に行われておらず、また今回の事件では両腕が斬られているのに対して、先の動物切断では胴体の真ん中の辺りから上下二つに切断されていました。そのためまったく同じというわけではなく、関連性の有無も不明なのですが、無視するには類似点が特異過ぎると思います」

「その動物切断事件の犯人が、犯行対象を人間に移した。つまり、今回の事件は怨恨ではなく通り魔での犯行ということでしょうか?」

「その可能性も否定できないかと。少なくとも、調べてみる価値はあるはずです」

「確かにそうですね。三上さんのおっしゃる通りです。では、そちらの調査は三上さんと吉沢さんにお願いします」

「はい、ありがとうございます」

 志村に捜査の許しをもらった三上が、頭を下げてから腰を下ろした。

 そしてこれまでに判明した事実を基に、志村からより細かな方針と刑事の振り分けが指示された。

 その後、志村は概要を説明するための記者会見のため別室に移動した。刑事たちは休憩もそこそこに、各自捜査に当たっていた。狭山と滝上も本部を出て、捜査のために、この数時間で判明させた藤崎の実家へと車を走らせていた。

「シンさん、さすがだったな。正直、俺は関連性を疑うとか以前に、動物遺棄事件があった事すら、すっかりと忘れていたよ」

 煙草を燻らせながら、狭山が珍しく萎れていた。雨で少ししか窓が開けられない車中に煙が漂っている。

「僕もシンさんの口から事件の事が出て、初めて思い出しましたよ。確かに悪質な事件でしたし、最初は話題にもなっていました。けど、それも二ヶ月も前で、しかもすぐに治まりましたから、忘れていても仕方ないと言えば仕方ないですよ。それにシンさんには悪いですけど、本当に関連性があるかはまだわからないんですよ」

「それは言い訳だ。小さな事件が発端で大きな事件になることもある。それに関連性があった場合、捜査方針から変わってくるんだ。そうなったら、初動捜査が無為になる可能性だってある。だから俺ら刑事は、もう終わったと思われるような事件でも常に頭の片隅には置いておかないといけないんだ。それが出来ていないなんて、刑事としてはてんで駄目だ」

 自分に対する態度がいつもの尊大で巫山戯たものではなかったので、滝上は狭山が本当に気落ちしているのが分かった。何か気の利いた事を言おうと考えたが、狭山が自身を責める時は自分の世界に入り、人の話が耳に届かなくなる。そして、その時間はあまり長くない事を滝上は知っていたので、結局口を開く事は無かった。

 それから十分ほどして、二人は目的地へと着いた。その頃には、狭山もすっかりと気分を切り替えていた。

 藤崎朋の実家は、一言で言えば大きかった。門構えのレンガ積みの三階建住宅は、もう一軒くらい家が建ちそうなほどの庭を有していた。多くの常緑樹が並んでいて、それらが庭を賑わせている。敷地内に設けられている駐車場には高級車が二台並んでいた。マセラティの青のクアトロポルテに、アストンマーティンの黒のラピードだ。

 二人はその外観に圧倒されそうになりながら、門に掛けられている藤崎という表札を確認して呼び鈴を押した。

 少しして、インターフォンから女性の声が聞こえてきた。

「どちらさまですか?」

「恐れ入ります。警察の者ですが、こちらは藤崎朋さんのご実家でお間違いないでしょうか?」

「はい……そうです。警察の方がどのような御用ですか……」

「実は、お嬢さんのことについてお伺いしたいことがあり、足を運ばせていただきました。少々お時間を頂戴できますか?」

 滝上が簡単に事情を説明し、インターフォンに付いているカメラに警察手帳をかざす。インターフォンの向こうでは動揺した声が聞こえてきたが、すぐに家から女性が出てきて門を開けてくれた。栗色の長い髪をした、聡明な印象を与える女性だった。滝上が、その女性に話しかける。

「失礼ですが、朋さんのお母様ですか?」

「そうです。あの……娘に何かあったのですか?」

「その説明も含めて、出来れば朋さんのお父様にもお話をお伺いしたいのですが、ご主人はご在宅ですか?」

「はい。日曜日ですので、家におります……」

 それから二人は家にあげてもらい、客間へと通された。海外製の机とそれを囲うように1人用のソファが横並びで二つずつの計八台が並んでいる。フローリングには手織りのメダリオン模様の絨毯が敷かれていて、部屋の隅には台の上に飾り壺が置かれている。狭山と滝上は、まるで喫茶店のようだなど思った。

「こちらで少々お待ち下さい」

 そう言って母親は客間を後にした。下座に掛けて待っていると、少しふくよかな身体で、白髪混じりの短髪をしたこの家の主人と、先の母親がお盆に人数分の珈琲を淹れてやってきた。その珈琲カップもやはり、喫茶店に用いられているような、とてもお洒落なカップだった。

 藤崎の両親が、二人の正面に腰掛けた。父親は(とおる)、母親は百恵(ももえ)と名乗った。

 普段は滝上が主に話をするのだが、今回は被害者の両親ということで、刑事としての経験が長い狭山が主導で話をすることにした。お互いに自己紹介が済んだ後で、狭山が話を切り出した。

「酷だとは思いますが、出来るだけ落ち着いて話を聞いてください」

 事件自体は既にニュースが流れている。それに今頃は志村が記者発表をしているが、けれど判明した身元はまだ報道されていないはずだ。それに先ほどからの二人の反応を見るに、まだ自分の娘の死を知らないのだろう。狭山はそう考え、そんな前置きをした。そして、ゆっくりと話をした。

「実は今朝、朋さんが亡くなっているのが発見されました。発見場所は、早蕨駅から徒歩二十分くらいの所にある、常盤学園の近くです」

 その事実を聞いて、亨も百恵も言葉を失っていた。目を大きくして、口がだらしなく半開きになっている。娘の死を告げた相手が警察であっても、それを簡単には容認出来ずにいた。二人は大声を挙げて嘘だと否定したかったが、本物の警察がそんな虚偽を語るはずが無い事だけは理解出来ていた。突如として自分たちを襲った悲しみがあまりにも許容外であるため、涙を流すことさえ忘れていた。それでも、母親である百恵が何とか気力を振り絞り、恐る恐る口を開いた。

「娘は……、娘はどうして死んだのですか? 交通事故か何かでしょうか?」

「申し上げにくいのですが、警察では朋さんは誰かに殺されたと判断しています」

 百恵は、再び言葉を失った。驚愕と不信感に塗られた両目で狭山を見つめる二人は、目の前の男が何を言っているのか、まったく分からずに居た。

 狭山もこれから自分が聞かなければならない事柄は二人をさらに刺激するとわかっていたので、相手は幾分か落ち着きを取り戻すまでは、暫し口を閉じることにした。滝上もやはり黙ったまま、狭山が話を再開させるのを待った。

 約五分間、沈黙が場を支配していた。そして亨と百恵が多少の冷静さを取り戻したと判断した所で、狭山が再び話を始めた。

「大変失礼な事を聞かせてもらいますが、金曜日から土曜日にかけての深夜、お二人は何をされていましたか?」

 狭山のその容赦ない質問に、今まで感情を停滞させていた亨と百恵が激昂した。心中のダムを決壊させ、あらゆる哀しみや喪失感などのあらゆる感情を怒りへと変換し、その全てを狭山にぶつけるかのようだった。

「なんだそれは! 君はまさか、私たちが自分の子どもを殺したと、そう言いたいのか!」

「そうです! 親が子どもを殺すわけがないでしょう!」

 二人の反応をとっくに覚悟していた狭山は、耳を裂かんばかりの大声や敵意を剥き出しにした憤怒に少しも動じることなく、努めて冷静に反論した。

「犯人がどこの誰かわからない以上、我々警察は全てを疑ってかかる必要があります。それは被害者の御両親とて例外ではありません。疚しいことが何もないならば、犯人の一刻も早い逮捕に協力していただけないでしょうか」

 狭山の全く物怖じしない態度と、火に油を注ぐような挑発染みた発言に、黙って横に座って滝上は驚いていた。今の自分では決して真似できない、警察官としての在り方と、それを貫く厳しさを垣間見た気がした。

 先ほどまで声を荒げていた亨と百恵は、狭山に怯んだかのように声を収め、下唇を噤んだ。それから亨が、苦虫を噛み潰したような顔で、問い質されたアリバイについて話した。

「正確な時間までは覚えていないが、金曜日なら零時までには床に就いていたよ。それは妻も同様だ。だが、身内同士では証明にならないらしいから、厳密に言えば私たちのアリバイは無いことになる」

「わかりました。それでは、朋さんの交友関係について教えてください。彼女には特に親しくされている方などはいましたか?」

 これには、今度は百恵が答えた。

「娘には、特別にお付き合いしていた男性は居なかったと思います。友人についても全員を把握しているわけではありませんが、高校時代に同じ部活動をしていた楢原明日香さんと四宮知花さんの二人とは、その時分にはよく一緒に行動していたみたいです」

 聞き出せた二人の人物の名前を、滝上がすかさずメモに取った。

「ちなみに、朋さんの出身高校はどちらですか?」

「……常盤学園です」

 百恵は軽く深呼吸をしてから、呟くように答えた。その事に、狭山と滝上は目を見張った。

「あの……娘は常盤学園の近くで見つかったと仰ってましたけれど、その常盤学園に通っていたことは今回の事と何か関係があるのでしょうか?」

「現段階では、まだ何とも」

 そう言ったものの、出身校の近くで死体が発見されたという事実は、軽々しく無視できないと狭山たちは思っていた。同じ事に引っ掛かっていた亨も、腕を組んで考え事をしていた。

「では次の質問です。朋さんに対して、殺意を持ちそうな人物に心当たりは?」

「娘は大人しいというか、思い詰めることがあるというか、少し奥手で引っ込み事案な所がある子でした。だから煮え切らない態度を取ったりすることも多くて、そういった点では全員から好かれるという子ではありません。けれど、誰かに殺されるような事をする子ではないと、母親としては信じております」

 少しの間を置いてから、亨も意見した。

「どんなに出来た人間だって、全員に好かれることなんてない! 生きていれば多かれ少なかれ不平を買うこともあるだろう。それでも、娘は殺されるようなことをする子ではない! もう帰ってくれ」

 目の前の刑事に対する個人的不満も含めながら、亨は狭山を怒鳴りつけ、家から出ていくように命令した。狭山もこれ以上の長居は不要だと考え、亨に従うことにした。

「わかりました。無礼な質問にもご協力いただき、ありがとうございました」

 狭山と滝上は頭を下げ、藤崎家を後にした。

 滝上の運転する車中で、二人は先の藤崎家での事情聴取について話をしていた。

「この後はとりあえず、楢原明日香と四宮知花という人物の身元調査ですね」

「その二人が、藤崎朋の事件について何か手掛かりを持っていれば助かるんだがな」

「それにしても、被害者の発見場所の近くに建っている高校がまさか母校だったなんて、驚きですね」

「そうだな。もしかしたら近くに遺棄をしたことが、事件に何か関係があるかもしれないな」

 ちゃんと返事をしていた狭山は、けれど心ここにあらずであった。何か別の事を考えているということが、コンビである滝上にはわかった。

「先輩、何か悩んでいるみたいですけど、いったい何が引っ掛かっているんですか?」

「いや、被害者の父親……藤崎亨っていったかな。あの人、何か隠していると思ってな」

 それは滝上にとっては意外だった。狭山が何故そのように感じたのが、彼には不明だったからだ。

「どうしてそう思うんですか?」

 滝上は素直に問いかけてみた。煙草に火を点けた狭山が、自分の思考も整理するために、藤崎亨に感じた不審を滝上へと語った。

「常盤学園が事件に関係あるかどうかを奥さんが聞いた時、藤崎亨は腕組をして何かを考えるような仕草をしていただろう」

「そういえばそうですね。でも、出身校の近くで遺体が発見されたんだから、関連性を考えるのは当然じゃないですか? 実際、僕たちだってさっきそういう話をしたじゃないですか?」

「そうなんだが、あの時の仕草は思考するっていうよりも、何かを思い出しているように見えた。それに、娘に殺意のある人物がいるかどうか聞いた時の反応も怪しかった」

「どこかです? 僕にはただ、不快な事を聞かれて怒っているようにしか見えませんでしたけど」

「お前の言う通り、怒ったのは俺たちに対する非難の意味もあっただろうな。だが俺が気になったのは、それよりも少し前の反応だ。あの人、怒鳴る直前に不自然な間があったんだ。だからあの怒号はきっと、感情的になって出たものじゃない。おそらく俺たち警察にあれ以上の質問をされるのを嫌い、家から出て行ってもらうために行った、いわば意図的な怒りだろう。だからきっと、母親である百恵にも隠している何かがあるんだと思う」

 滝上は何度も頷きながら、狭山の事を見直していた。少し前までは自分が無能であるかのような事を言っていたが、中々どうして刑事としての能力はやはり高い。そうして自分よりもずっと洞察力のある先輩刑事に感服したが、それを声にするのは悔しかったので、言葉には出さないでおいた。

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