第四話
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梅雨入りが発表されてから半月が過ぎ、暦も六月の終わりに近づいた頃、早蕨市は以前の落ち着きを取り戻していた。理由は一つ。この街を騒がせていた連続動物切断遺棄事件が、二ヶ月ほど前に早蕨駅近くの裏路地で起こった三件目を最後に、まったく行われなくなったからだ。
犯人が捕まったわけではないので犯行が止まった理由は不明だが、それに関心を持つ人はほとんどいなかった。新聞やニュースは事件を取り上げることが次第に少なくなり、新たな被害動物が発見されなくなって二週間もすると、その報道はまったく無くなってしまった。それに合わせるように周囲も、事件の事などすっかりと忘れ去っていた。けれど、それは仕方のない事だ。様々な情報が目まぐるしく更新される昨今に置いては、『今日』を騒がせた何かも『明日』には別の何かに取って代わられるのが常である。先の事件も、無関係者にとっては一過性を持ったある種の流行でしかないということだ。僕が幾ら興味を持っていたところで、それは世間にはまったく意味を持たない。
無数の雨粒が窓を叩いている。外はひどく土砂降りだった。もし犯人が動物を棄てるなら、こんな天気の日が一番良いのではないか。ついそんな事を考えてしまう。今まで知らなかったが、どうやら自分は未練がましい性格をしていたみたいだ。
手にしていた『現代殺人百科』を読み終えたので、本棚に置いてある別の小説を取りに席を立った。
その時、ドアをノックする音と、その向こうから話しかけてくる母の声がした。
「ご飯が出来たから、そろそろ降りてきてくださいね」
日曜日というのを良い事に、僕は起きてからずっと服も着替えずに自室に籠っていた。朝は見逃されたが、昼はさすがに食事を取れということだろう。
返事をして着替えを済ませてから、一階の食卓に向かった。両親は、お互いが向かい合うように席に座って僕を待っていた。僕も父の右隣りの定位置へと腰を掛ける。
食卓には南瓜と筍の煮つけ、三つ葉の散らされた蜆のおすまし、大豆とひじきの和え物、
そして大根おろしの添えられた鮎の塩焼きと、和風の献立が並んでいた。これは父の好みであり、それに合わせて母はほとんどこのように和風の料理を拵える。
母から白ご飯の盛られた茶碗を受け取り、全員で手を合わせてから箸をつけた。
両親が時折口を開き、僕はその時の話題について簡単に相槌を打つ。そうして、基本的に静かに食事は進んでいった。
昼食は三十分ほどで終わった。僕たちより少し早く平らげていた父は、居間で熱く淹れた緑茶を飲みながらテレビ番組を眺めていた。空いた食器をまとめ、母と分担して流しへと持っていく。そして自分の部屋に戻ろうとしたところで、父が見ていたテレビ番組の内容が気になって、僕は足を止めた。
画面には、僕が通う常盤学園の近くの溝渠が映し出されていた。その溝渠を背景に、男性キャスターが悲しみを表現するような小さめの声で、女性の死体が発見されたと話していた。それは、殺人事件の報道だった。
現状で判明している内容はこうだった。今朝四時頃、新聞配達員の男性が溝渠に何かが浮かんでいるのを見つけた。大きな形をしていたため、暗くて土砂降りという視界の悪い状態でも、目立っていたのだという。それで気になって近づいて見ると、それは女性の死体だった。そしてその発見された死体には、本来あるはずの両腕が無かったとだという。
それを聞いて、僕は真っ先に連続動物切断遺棄事件を思い出した。その犯人が、対象を人間に変えたのだろうか。それとも、全く関係の無い別の人間の犯行だろうか。
いや、腕が切断されているのも犯人が同一人物かどうかも、本当はそんなことはどうでもよかった。この街に殺人犯がいるという事実だけが、今の僕にとっては大切だった。
気付けば父の隣に座っていた母が、僕に話しかけてきた。それから父も振り向いて、僕に向かって口を開いた。二人が何を言ってきたのか、一つも頭には入ってこなかった。しかし両親は納得したような顔をしていたので、おそらく無意識の内に適当な返事をしたのだと思う。
昼の報道番組では、死体で発見された女性が何者かは不明とのことだった。身分を証明するものが何も無かったようだ
その日は報道番組に特に注目をした。夕方や夜に放送された報道番組では、両腕切断殺人事件のニュースは政治家の不祥事や世界情勢、それから芸能人のスキャンダルを抑えて一番に紹介されていた。だが、昼の番組で伝えられた内容から情報は更新されることはなかった。
今日はもう床に就こうとして居間から自分の部屋に行こうとした夜の十一時頃、政治関連のニュースを伝えていたアナウンサーが少し興奮した様子で、早蕨市で起こった殺人事件について新情報が入ったと述べた。どうやら警察の熱心な捜査の結果、女性の身元が判明したようだ。
両腕を切断されて殺された女性は、名前を藤崎朋というらしい。享年は二八歳で、県内有数の総合病院に勤める医師だったようだ。
新たに判明した内容を読み上げるアナウンサーを映していた映像が、被害者女性の生前の写真に切り替わった。画面には肩ほどまでの黒髪の、眼鏡で少しふくよかとした女性の顔が大きく映し出されていた。僕は、その顔に覚えがあった。
それは以前に早蕨駅前のアーケード街の喫茶店で見た、事務員の楢原さんと一緒にいた女性の一人だった。