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狂い人  作者: 初心者
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第三話

                   3


 僕は世間一般の価値観を持った、いわゆる『普通』とは違う人間だった

 それは物心の付く前からそうだった。幼少時から既に、僕は両親が見ていた報道番組で流れていた、殺人や放火などの暗い事件の犯人に興味があった。いや、それ以外のことが、どうでも良かったのだ。凡そ子どもが喜びそうなあらゆる事も、僕にとっては無価値に等しかった。

 幼稚園生だったある夏の日、同じ組の園児が、園庭に出来ていた蟻の巣穴を埋めて遊んでいた。つまり、蟻を苛めて楽しんでいたのだ。今にして思えば、それは子ども特有の無邪気さゆえの遊びだったのだろう。けれど僕はその時、その園児がどうしてそんなことをしたのか、とても知りたいと思った。そして同じことをすればわかるかもしれないと、別の巣穴を必死に探して、やっと発見したそれを埋めてみた。その様子を幼稚園の先生が見付け、僕とその園児を注意した。蟻も生きているからそんなことをしては可哀想だ、というような文言だった。僕の隣に立たされていた園児は、目に涙を浮かべて素直に謝っていた。その園児は怒られたのが悲しかったのか、怖かったのか、それとも蟻に対して罪悪感を覚えたのか、それは今になっても分からない。一つだけ確かなのは、巣穴を埋めた時も注意をされた時も、僕は何も感じなかったという事だ。その時に、僕はそういう風に生まれたらしいという事を悟った。

 運が良い事に、そんな僕の世間の評価は『落ち着きのある大人しい男の子』というもので、そういった性質は両親にもまだ知られてはいない。いや、あるいは知られている事を、僕自身が気付いていないだけかもしれない。僕としても『普通』で無い事を知られて厄介事になるのは極力避けたいという気持ちは一応ある。けれどそんな事も結局、僕には大して意味のない事でしかなかった。僕にとっての関心事は、世間の評価でも自分の性分でもなく、今も昔も犯罪者だけにしか向いていないのだ。

 しかし幾ら関心があるといっても、関係者でもなんでもない人間が犯罪者と面と向かって話すなど出来ることではない。だから僕は自分を慰めるようにいつも、犯罪者が書いた手記やそういった人間に取材をして出版されたノンフィクション小説などを読み、少なからず己を満たしているのだ。

 そうして今も昼休みの時間を利用して、常盤学園の図書館で新しい小説を物色していた。今回は『心にナイフを忍ばせて』という本を借りることにした。

「こういうのを良く借りていますけど、犯罪心理学とかに興味があるんですか?」

 貸出手続きをする時、受付担当の若い女性職員からそう声を掛けられた。どうやら僕の事を覚えていたらしい。こういった経験は初めてではなく、中学時代も同じような事はあった。さらに言えば、僕は市営の図書館でも顔を知られている。利用回数が多いのも一因だろうが、それ以上に、僕が好んで読んでいる本が他の利用者のものよりも印象的ということだろう。

「はい」

 僕はこれまでの時と同じように、短く簡単に返事をした。教室に戻った僕は、そのまま読書をするつもりだったが、自分の席に着く前に午後の最初の授業が選択授業であることを思い出した。

 僕は選択授業では美術を選択していた。理由は、入学式の日に配られた調査票で、最初に目に入ったのが美術だったからだ。それで第一希望として提出したら、そのまま問題無く決定したのだった。授業の行われる絵画室が設けられているのは、僕が居るこの本館校舎東棟ではなく、別館校舎五階の一番西側だ。そしてその別館は、この本館から南側の、体育館を越えたそのまた先に建てられている。つまり常盤学園は北側から縦断するように本館、体育館、別館という形になっているのだ。問題は、この学校が必要以上に広大な敷地を有しており、本館から別館までは少し急いでも十分ほどの時間が掛かるということである。

 教室の掛け時計を見ると、時刻は午後一時十五分に差し掛かろうとしていた。午後の授業は三十分からなので、今からでもまだ間に合うだろう。

 バスケットボールをつく音が響く体育館を横切り、別館へと向かう。規模の割に利用者の少ない駐輪場を越え、花弁を散らしたばかりの並木道を過ぎたその先が目的地だ。

 白を基調とした、左右対称の教会の様な外観をしている五階建ての別館は、技能教科の教室や文化部の部室として主に使用されている。そんな別館の上部に埋め込まれている大時計を確認すると、時刻は一時二十七分を指し示していた。その大時計がとても正確に時を刻んでいるのを僕は知っていた。

 女性事務員が彗と塵取りを手に、出入り口の前を掃除していた。何かの病気だろうか、彗を持っている右手が、小刻みに震えている。胸のあたりに付けているネームプレートには『城之内美紀』という名前が書かれていた。

「こんにちは」

 城之内さんが掃除の手を止めて挨拶をしてきたので、僕は軽く会釈をした。エレベーターなんてものは設置されていないので、階段で五階まで上がった。絵画室は美術の授業だけでなく絵画部の部室としても兼用されていて、中には過去に部活動に在籍していた生徒の作品が幾つか飾られている。中に入ると、他の生徒は既に席に着いて授業の開始を待っていた。どうやら僕が最後の生徒だったようだ。この授業では席順は特に定められていないので、僕は適当に空いていた席へ腰かけた。

 いつものように別館の鐘が鳴るのと同時に、スーツ姿の清水先生が笑顔を浮かべながらやってきた。清水先生は常盤学園の美術教師であり、この選択授業と絵画部の顧問を担当している。物腰が柔らかく、僕と反対で人当たりの良い教師だった。

「それじゃあ早速、近くの席で集まって円を作ってください」

 教壇に立つなり清水先生は、僕たち生徒たちにそう指示を出した。この時間に美術の授業を受けている生徒は僕を含めて十六名。それを室内の四隅にそれを四人一組に分ける。そして正方形の各頂点になるように椅子とイーゼルを設置し、その中央に机を一つ持ってくる。持ってきた机の上に、清水先生が絵画室の備品から選んだ適当な石膏像を置き、その模写を命じた。僕は教壇から見て左奥の班に分けられた。その班で、正方形でいうと右上の頂点が僕の位置だった。

 清水先生は室内を闊歩し、頻繁に生徒の描く絵を観察し、それぞれに個別の指導をしていた。

「ねえ、事務員の楢原さんってわかる? 背の高い事務員さんなんだけど」

 首から上だけの石膏像をスケッチブックへ模写していると、僕の右側で作業をしていた、後ろで髪を括っている女生徒――広瀬(ひろせ)陽子(ようこ)に脈絡の無い質問をされた。彼女は絵画の才能による技能特待生で、この選択授業でだけ一緒になる同級生だった。

「ああ」

「あの人、いつも気怠そうにしてて仕事も適当で、生徒だけじゃなくて先生たちからも評判が良くないのに、どうしてここで働けてるか知ってる?」

「さあ」

 僕は気の無い返事をした。楢原さんの噂や事務員としての評判に興味が無かったからだ。そんな僕の様子を気にすることなく、広瀬は話を続けた。

「楢原さんって、現理事長の孫娘なの。離婚して実家に戻ったのを機に、ここで働かせてるらしいよ。だからあんな人でもこの学園で仕事が出来ているんだって」

「そう」

「昔の事であまり良くない噂もあるみたいだし、先生の中には不満を持っている人も多いみたい。けど、理事長の孫ってコネがあるから誰も何も言えないんだって。楢原さんもそれがわかってるから、いつもあんな感じなんだよ。やる気が無いのが分かっているのにコネで人を雇うなんて、名門なんて言われてるけど常盤学園もその程度だよね」

 広瀬はその後も、たびたび僕に声をかけてきた。そのほとんどは楢原さんか常盤学園への文句だった。僕はその都度、適当に相槌を打っていた。おそらく誰かに愚痴を言いたいだけなのだろう。僕に話しかけているという体裁こそ取っているものの、広瀬のそれはほとんど独り言だった。

 僕は首から上しかない石膏像を眺めながら、連続動物切断遺棄の事件を思い出していた。犯人がもし人間で犯行をするとしたら、どのように切断するのだろう。野良猫の時と同じように、上半身と下半身に分けるのか。それとも、四肢を切断して胴体だけにするのか。人間の首は、切断対象である野良猫の胴体と同じくらいの太さだろう。ならば、この石膏像のように、首を切り落とすのか。

 犯人が人間を切断する瞬間を想像してみる。頭の中の犯人はいつものように顔が黒く塗り潰されていて、その表情がまったくわからなかった。歓喜か、憤怒か、悲哀か、快楽か。あるいは、そのどれでもないのか。表情が不明だから、何を考えているかも欠片すら推し量ることができない。あくまでも自分で勝手に思い描いているだけの犯人像なのだから好きにすればよいのだが、僕にはそういう能力が欠如している。きっと想像力というものが極端に低いのだろう。僕のそんな不毛な妄想と広瀬の独白は、清水先生の声により終わりを向かえた。

「広瀬さん。お喋りのやり過ぎですよ。ちゃんと授業に集中してください。それと、模写が終わったからって、自分勝手に絵を描いてはいけません。時間いっぱい使って精度を高める努力をしてください」

 広瀬と僕の間に立ち、清水先生が注意をしていた。広瀬は、すみませんと素直に頭を下げていた。清水先生はその態度に満足したのか、僕らの近くから離れ、各生徒の模写の観察と指導を再開した。

「そういえば、清水先生にも良くない噂あるの知ってる? 清水先生ってね……」

 懲りもせずすぐに再び口を開いた広瀬だったが、清水先生の視線がこちらに向いているのに気付き、今度こそ喋るのを止めた。広瀬はスケッチブックのページを一つ前に戻して、石膏像の模写を再開させていた。

 スケッチブックを捲った時、彼女が先ほどまで描いた絵が目に入った。それはルーヴル美術館に飾られている両腕の無い女神像――ミロのヴィーナスを彷彿とさせる絵だった。技能特待生ということでやはりとても高い実力を彼女は持っているのだろう。その絵まるで、今まで目の前にあったかと思うほど精巧に描かれているように僕には見えた。

 それを見て、不意に思った。

 ――ああ、例の事件の犯人が生きた人間を切断するならば、あるいはこのように両腕だけを切り落とすのかもしれないな、と――

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