第二十六話
拾弐
「犯人は逮捕できなかったですけど、先輩の考えは当たっていましたね」
街中のビルから人が落ちてきたという通報を受け、その現場に向かって走らせていた車の中で、滝上は言った。
「ああ、そうだな」
「なにはともあれ、事件は終わって良かったじゃないですか」
「本当に終わったのかな」
言って、狭山は煙草に火を点けた。滝上は狭山の言葉の意味は分からなかったが、落ち込んでいる雰囲気があったので、余計な口は出さないでおいた。
狭山は煙を吐き出しながら虚空を見つめて、事件について思いを巡らせていた。
城之内は、どうして自殺なんて真似したのか。確かに自分は城之内を犯人だと考えていたが、捜査本部全体としては、まだそこまで表立ってはいなかった。それに動機があるとはいえ、それだって決め手にはならない。また、城之内は自分が犯行方法に気が付いたことなど知る由もない。ならば城之内の思考では、全てを否認して言い逃れをすれば、起訴にまで至らないと考えていたはずだ。それに藤崎はともかく、楢原や四宮は、自分たちが殺されるかもしれないと警戒していた。にもかかわらず、城之内はどうやって二人をおびきだしたのか。また、遺書だって不自然だ。幾ら右手に麻痺があったとはいえ、城之内の部屋で見たスケッチブックから鑑みると、手書きでだって作成できた。そもそも、城之内の家にはパソコンの類は一つもなかったはずだ。それを、なぜわざわざパソコンを使ったのか。
頭の中に疑問点を並べながらも、狭山はそれが無意味であることを知っている。事件の顛末ついて個人的に納得してなくとも、形の上では、事件はもう終わっているのだ。自分が今やらなければならないのは、通報のあった落下が自殺か他殺かを確認することである。
そもそも警察の仕事とは、極端に言えば犯人を逮捕することではなく、事件を解決することにある。事件解決の方法として、犯人の逮捕という手段が用いられているに過ぎない。仮に真犯人が逮捕されずにのうのうと生活をしていても、事件が終わりを向かえたのならそれはいいのだ。警察は、決して正義とは限らない。
そんなことを享受してしまっている自分は、きっと道徳心とか良心とか、人間として大事なそういうものが狂ってしまっているのだと、狭山はそんなことを考えていた。
娘を殺された藤崎の両親や、偉そうに城之内の過去の事件を語った楢原明日香と楢原重信。そのどれもが、本来ならば同情したり怒りを感じたりするものだろう。それなのに自分は、滝上のようにそれらを感じたりすること無く、平然としていた。刑事としてなら、そんなことで取り乱してなんていられない。たが一人の人間とするならば、少しばかりでも感情的になるのが、おそらくは正常だ。
いつから自分は、そういう人間としての正常な部分が、狂い始めてしまったのだろうか。今となってはもう、思い出す事はできない。きっと最後には、自分は死体を見ても何も感じなくなるのだろう。刑事として必要な能力を手に入れる代わりに、自分の人間としての部分はどこまで狂っていくのだろうか。
そんな事を思いながら、狭山は横に居た後輩を眺めた。
「滝上、お前は、俺みたいにはなるなよ」
滝上は急に意味の分からない事を言われ戸惑ったが、すぐに笑って、冗談を言った。
「僕は自分で煙草を吸うのは嫌いですから、ヘビースモーカーにはなりませんよ」
その言葉を聞いて、狭山は久しぶりに声を出して笑った。




