第二十三話
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「あなたは、二人の女性の両腕を切り落として殺したのですよね。城之内美紀さん。それは、いったいどんな気持ちでしたか?」
目の前で放心状態になっている城之内さんに問いかけてみたが、彼女は無言のまま口を開こうとはしなかった。僕の予想が当たり、藤崎朋たちの殺しを自白した後の城之内さんは虚ろな目をして、ただこちらを見ているだけだった。あまりにも反応がなかったので、僕はもう一度、城之内さんに声を掛けた。
「城之内さん。僕の疑問に答えては頂けませんか?」
城之内さんはそこで、やっと意識を取り戻したように返事をした。
「ごめんなさい。考え事をしていて、少し呆としていたわ。確か、私が人を殺す時に、一体何を想っていたかが聞きたいのよね」
過去を思い出すような遠い目をして、城之内さんは僕の聞きたかったそれを語った。
「計画を実行しようと決めてから藤崎を殺す前までの間は、色々な事を思ったわ。やっと殺せるっていう期待感や、恨みを晴らせる喜び。一方で、上手くいくのかっていう不安や、警察に捕まらないかっていう恐れも同時に感じていた。それでも殺す事を選択したのは、前者の期待感や喜びとか、そういう感情が後者に勝っていたからだと思うの。つまり私は、罪悪感や恐怖心よりも、自分の欲を優先させたのね。そういうのを引きとめてくれていた母親が、今年の五月初めに亡くなって、もう歯止めが効かなくなっていたの」
そこで彼女は、少し沈黙をした。亡くなったという母親に想いを馳せていなのかもしれない。それは、やはり僕にはわからない感覚だった。僕の関心は、彼女が犯行をする時の想いにしか向いていなかった。
「いざ藤崎を殺す時になって、私の気持ちに変化が生じたの。ピアノ線を両腕に巻いて、身体を柱に縛り付けて準備を完了させた後、睡眠薬で眠らせていた藤崎の目を覚まさせた。自分の状況がすぐには理解出来なかった藤崎は、私を見て、自分が殺される未来を悟ったの。その時の彼女の顔は、私が今までの人生で見た事のないくらいに酷い顔をしていた。それを見た私は、大声を上げていた。その瞬間が来るまでは、私は藤崎を殺すことに歓喜で心震え、狂喜乱舞すると思っていたの。けれど実際は、私は何も感じなかった。いや、感じなくなっていたというのが正解かしら。両手の麻痺のように、私の脳も痺れてしまっていたの。だから、大声を上げていた時、私は本当に喜んでいたのか、それとも実は悲しんでいたのが、自分では分からなくなっていた。その症状は、後になって母さんが私にくれたプレゼントだと思っていたけれど、それが違うということを頭のどこかではなんとなく理解していた。きっとあれは、色んな感情がいっぺんに私を襲って処理できなくなったから、本能的にそういったものを認識しないようになっていただけだと思うの。でも、それはこの計画を遂行するのにはとても役に立った。おかげで私は無慈悲で冷徹になれた。藤崎をこの場所に置き去りにすることも殺人の後始末をすることも、私は機械のように無感情で行うことができたわ。まあ認識は出来なくても結局身体や精神に影響は出ていて、藤崎を殺した後の最初の月曜は色々と不細工だったのだけど」
自嘲の笑みを浮かべて、城之内さんは先を続けた。
「殺人装置を仕掛けた翌日の深夜、無事に両腕を切り落とせて死後硬直を起こしていた藤崎の死体を見た時は、彫刻の失敗作のようには思った。けどその時にはやはりもう、気持ちの面ではもう何も感じていなかったの。感情を認識することから逃げるのに、たった一晩で慣れてしまったのね。私の脳味噌には、両手の麻痺のような痺れる感覚が常に付き纏っていた。事後処理として人目に注意しながら隣の溝川に死体を捨てて、ピアノ線を回収してから出来る限りここの掃除をして、ゴミ袋に切断した両腕を入れてからゴミ集積所に仕舞って、そして家に帰った。それから楢原を殺すまでの六日間は、極力以前と同じような毎日を過ごすように心掛けたわ」
そういえば、と城之内さんは何かを思い出した。
「アリバイ工作にはホストクラブを利用したのだけれど、あそこがまったく楽しくなかったのは、脳の痺れの所為じゃないと思うわ」
そう言って笑った後、城之内さんは話を戻した。
「楢原を殺す時も、やっぱり何も感じなかった。そこで知れたのは、人間は殺される時は、誰もかれも同じ顔をするということかしら。アリバイ工作のために実際に死んでいく瞬間を眺める事は出来なかったし、それを残念にも思った。けれど、もしそれを見ることが出来たとしても、前の私ならやっぱり何も思わなかったかもしれない」
「前の私というのは?」
僕の質問に、城之内さんは暫しの間を置いてから答えた。
「……あなたに真相を暴かれて、そして自分の口から告白したからかしら。この瞬間になって、脳の痺れが消えてきているの。だから、今なら藤崎や楢原を殺した時に、私が何を感じていたかが理解できるわ」
「何を感じていたんですか?」
僕は城之内さんに問うた。彼女は地面を見るように俯き、再び少しの間だけ沈黙して、そして口を開いた。まるで胸の最奥に濁り溜まった沈殿物を吐き出すように、声を荒げて、城之内さんは叫んだ。
欲望、喜び、悲しみ、驚異、軽蔑、愛、憎しみ、好感、反撥、献身、嘲弄、希望、恐怖、安堵、絶望、愉悦、落胆、憐憫、好意、憤慨、買いかぶり、見くびり、同情、ねたみ、自己満足、謙遜、後悔、高慢、自卑、名誉、恥辱、思慕、対抗心、感謝、慈悲、怒り、復讐心、残忍、臆病、大胆、小心、恐怖、人情、名誉、貪食、飲酒欲、貪欲、情欲
ありとあらゆる感情を 城之内さんは声の限り咆哮した。その時の城之内さんは喜んでいるのか、怒っているのか、哀しんでいるのか、楽しんでいるのか、よく分からない表情をしていた。どれも正解なようでもあり、どれも不正解なようでもあった。
けれどそんな城之内さんの話が聞けて、僕は自分が得も言われぬ何かで満たされるのを、確かに感じていた。
一頻り叫び続けた後、城之内さんは再び抜け殻のようになっていた。
「ありがとうございました」
僕はそんな城之内さんを屋根裏部屋に残して、その場から消えた。




