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狂い人  作者: 初心者
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第二十話

                   9


 七月上旬の、週明けの月曜日。天気は連日の雨だった。天気予報でも、今年の梅雨は例年に比べて長くなりそうだと天気予報士が言っていた。

 水溜りばかりになった通学路を歩いていると、藤崎さんの死体が棄てられた溝渠が見えてきた。警察官が監視をしていたこの場所から、数百メートル先の、同じ溝渠の一角に、昨日、両腕が切断された楢原さんの死体が発見された。報道番組ではそれを、警察の不手際だと非難していた。警察がしっかりと現場の管理をしていれば、その場に新たな死体が棄てられることは無かった。もしかすると、殺人そのものも起こらなかったかもしれない。わざわざ同じ場所を選んだのは、日本警察への当て付けだ。そのような事を、番組の出演者たちが熱弁していた。

 常盤学園の近くまで行くと、そこはいつもとは違う雰囲気で包まれていた。校門では多くの記者が待ち構えており、登校する生徒に取材を突撃しては、何人もの事務員がそれを制止していた。僕もカメラを向けられ、記者からはマイクを差し出されたが、興味が無かったので無視をして校内へと入った。

 授業は中止になり、職員も生徒も関係なく学園内に居た全員が体育館へと集められた。

「この度は、楢原明日香先生のご冥福をお祈りし――」

 壇上では校長が、欠席をした理事長の代理として楢原さんへの追悼の言葉を述べていた。周囲の生徒のほとんどはそれを黙って聞きながらも、泣いたり青ざめたりしていた。楢原さんへの不満を散々口にしていた広瀬も、この時は子どものように泣いていた。

 楢原さんの殺人事件が発覚する前に見た報道番組の中に、早蕨市で連続動物切断遺棄事件が起こっていた事と、この両腕切断殺人との関連性の有無を取り上げたものがあった。しかしその番組は、僕と同じように疑いを持ったわけではなかった。対象が人間ではなく動物とはいえ、単純に同じ市内で猟奇的な事件が起こっていた事を取り上げ、事件についての話題を大きくしたかったというのが番組の目的のようだった。

「この事件は幼い頃に虐待をされていた人が、動物を虐待しているだけでは満足ができなくなって遂に人間を殺してしまった」

「いや、犯人は被害者に恨みのある人物だ。その恨みを動物で晴らしていたが、結局本人を殺すことでしか満たされなくなったに違いない」

 その報道番組内で、出演者が言った言葉だ。前者は犯罪心理学者で、後者は元警察関係者という触れ込みだった。番組でこの議論に決着がつくことは無かったが、同じ街で常軌を逸したと見做される事件が二種類も起こったことはやはり刺激的らしく、製作者側の思惑通り両方の事件が注目されるようになり、世間ではより一層の盛り上がりを見せることになった。

 そして誰が呼び始めたのか、いつしかこの事件の犯人を、近代の高名な未解決殺人事件の犯人の通称に准え『平成の切り裂きジャック』と渾名していた。

 僕は目だけで城之内さんの姿を捜した。体育館の壇上に近い出入り口の脇に教師や事務員の一団があり、その中に彼女は居た。周りと違い、城之内さんは表情を一切崩さずにその場に立っていた。無表情の城之内さんは、僕と同じで楢原さんの死に何も感じていないのかもしれない。

 常盤学園での楢原さんの追悼式が終わり、各自教室に戻るように指示された。教室に戻ると、体育館での沈黙が嘘のように、皆が声を上げていた。

――楢原さん、運がなかったね。

――いやいや、もしかしたら前の被害者と先生は犯人の共犯者で、裏切ろうとしたから始末されたのかもしれないぞ。

――どうして切断なんて方法で殺すんだ?

――そりゃあ頭が逝ってるような狂人だからに決まってるだろ。

――あの人、城之内っていう女の事務員と変な噂があるんだろう

――あ、それ詳しくは知らないけど、私も聞いたことある。

――でも、城之内さんってちゃんとアリバイがあるらしいよ。

 藤崎朋の死体が見つかった時以上に、生徒たちの憶測は大きくなっていた。僕は、黙って窓の外を眺めていた。

 昨日、楢原さんの死体が見つかったと知った僕は、すぐさま傘を持って家を出た。日曜日で常盤学園は閉まっていたので、門を飛び越えて無断侵入し、別館の近くのゴミ集積所へと足を運んだ。ゴミ集積所の観音扉を開けて中を確認すると、思った通りそこには黒色のゴミ袋があった。僕は念のため持参しておいた手袋を嵌め、指紋を残さないように注意を払いながらそれを開いた。中身を見るとそこには、本物の人間の両腕が入っていた。

 昨日の段階で切断面の血は完全に固まっていたので、切り落としてから大分時間の経過しているものだとわかった。つまり、切り落とした直後に処理することができない状況だったということだ。常盤学園に両腕があるという事実を警察に通報すれば、あるいは犯人が誰なのか特定されるのかもしれない。けれど僕の目的は警察の犯人逮捕に協力することではないので、両腕の入ったゴミ袋は口を元通りに縛り、ゴミ集積所に残したままにしておいた。

 教室では緊急のホームルームが行われ、担任から今日はもう帰宅するように指示が出された。下校のために廊下を歩いていると、道中で清水先生と出くわした。

「やあ、調子はどうだい。君は進学特待生なんだから、勉強はしっかりとしておかないとダメだよ」

 周囲には人気が無く、またその軽快な口振りからして、もしかすると僕の事を待ち伏せしていたのかもしれない。

「君は探偵ごっこをしていたようだけど、楢原先輩は亡くなってしまったね。つまり、君の懸命な捜査は徒労だったというわけだ。でも、それも仕方ない事さ。前にも言ったけど、これは天罰なんだ。天が下した罰に、犯人なんてものはそもそも存在しない」

 清水さんは、当然だと言わんばかりに嘲笑した。

「楢原先生が死んだのは自業自得なんだ。命を奪って無いとはいえ、一人の天才画家を事実上殺してしまったんだから、当然の報いさ。きっとこの次は、四宮先輩に同じ天罰が下るのだろうね」

 四宮という残りの関係者が次の被害者になるとの予想は同じだが、僕はこの殺人事件を天罰と断ずる思想には興味がなかったので、軽く会釈だけをして、何も言わずに清水さんの脇を通り過ぎた。そうして下駄箱へ向かおうとする僕を、けれど清水さんが呼び止めた。

「楢原先輩たちの悪事を教えたお返しとは言わないけど、僕にも一つ聞かせてくれないか。もしかして君も警察みたいに、城之内先輩を犯人だと思っているんじゃないだろうね?」

 清水さんの咎めるような目をしていたが、僕は気にせずに「はい」と、一言でそれを肯定をした。僕の返事を聞いて、清水さんはこれ以上ないほどに表情を歪めた。

「やっぱりそうか。けどね、君は、何もわかってない。警察は城之内先輩にはアリバイがあったと言っていたけど、本当はアリバイの有無なんてまったくもって関係ないんだ。手の麻痺で自分の満足いく作品が描けないからと画家を諦めてはいるが、それでも城之内先輩の絵は、まだまだそこらの画家なんか足元にも及ばないくらいに凄いんだ。いいかい。城之内先輩の手は、人を殺すためにあるんじゃない。あの素晴らしい両手は、絵を描くためだけに存在するんだ。あんな絵も才能もわからないような連中の血で汚していいような、そんな安い代物じゃないんだよ。どうして誰もその事に気付かない。理解しようとしない。皆が城之内先輩の才能を殺そうとする。おかげで、城之内先輩はおかしくなってしまった。せっかく描いた素晴らしい絵を駄作だなんて思ってしまうほどに、気持ちや精神が壊されている。城之内先輩をそんな状態に追い込むその事の方が、あんな奴らの殺人よりも何倍も罪深い行為なんだよ」

 清水さんの反論は論理性が皆無で、全てが感情で語られていた。僕のような人間には、それはまったくの無価値な言葉だった。それに畢竟、僕は城之内さんが犯人でなくとも構わないのだ。現状で僕が知り得ている情報の範囲で、彼女が犯人である可能性が最も高いから調べているに過ぎない。要は確率の問題である。さらに言えば犯人の特定はあくまでも手段で、目的は殺人者にその心理を問うてみることだ。だからもし僕の推理が外れて城之内さんが犯人で無かったのなら、また別の可能性を模索するだけである。

 ともあれ、そんな説明をしても清水さんに通用することはないだろう。敵意を抱いてこちらを睨む清水さんを無視して、僕はその場から離れた。

 喫茶店で見た派手な女性の両腕を切断する顔の無い犯人を頭の中に思い浮かべながら、僕は今朝来た道を引き返した。

 家に戻ると、母が心配そうに僕を出迎えた。

「大丈夫だった? 良ければ、しばらくは学校を休んでもいいのよ」

 母は自分の息子が通う学校の職員が殺されたことで、僕も同じ目に遭うかもしれないと考えているのかもしれない。だが城之内さんが犯人であれば、僕が殺される心配は無いし、常盤学園への登校も控えるつもりは無かった。母には適当に安心させるような言葉を並べた。母は幾分か安堵したような表情を浮かべていた。

 僕は部屋に戻り、そのまま中に室内に籠った。昼食も夕食も、食欲が無いと言って部屋に籠った。母はその嘘を信じ、今日は食卓を囲まない事を咎めなかった。午前中の下校ということもあり、今日一日にかなりの時間的余裕が生まれた。その浮いた時間で、僕は犯行方法に重点を置いて思考を続けた。廊下での清水さんの言葉から考えて、アリバイを崩すのが効果の高い交渉材料であると僕は判断したからだ。

 今までの報道によると、殺された藤崎朋の死亡推定時刻は、深夜一時以降であるらしい。死体発見の時刻から鑑みて、楢原さんの死亡推定時刻もおそらく大差はないだろう。その時間に、その場に居合わせずして殺す方法を思考した。とはいえ、もし城之内さんが犯人であるならばそこは最も気をつけている部分のはずだ。そのため、夜遅くになるまで一日中考えてみても、明確な答えは導き出せなかった。果たして城之内さんは、どのようにしてアリバイを確保しつつも、両腕の切断を行ったのだろうか。その答えの糸口は、けれど思わぬ形で発見できる事になる。

 翌日の火曜日。天気は久しぶりの晴れだった。梅雨が長くなるという気象予報士の予想は、あっけなく外れてしまったらしい。

 期末テストが近いということもあり、今日からは通常通りの日程で授業が進んだ。

「そろそろ期末試験が始めるのか。楢原さんが殺されたのを理由に、試験を中止してくれないかな」

 楢原先生が死んだということで、昨日は涙を流している生徒も居た。だが今朝登校してみれば、もうそんな言葉が聞こえるようになっていた。昼休みになれば来週から始まる期末試験のため、楢原さんが死んだことなどすっかりと忘れたように生徒たちは鬼気迫る勢いで勉強をしていた。結局、楢原先生が殺された事で盛り上がっていたのはせいぜい朝までだった。殺人事件とは別にして、学生にとってこの常盤学園という世界の中では、職員であった楢原先生の死という現象そのものは、期末試験に取って代わられる程度の出来事だったらしい。

 僕は試験勉強をするつもりはなかったので、懲りずに事件の事について考えていた。教室は試験に関しての同級生の雑音が多かったので、図書室へと足を運んだ。しかしそこでも勉強をする生徒で溢れ、普段とは比べ物にならないくらいに込んでいて席が空いていなかった。室内は煩くは無かったので席さえ空いていれば良かったのだが、簡単に見回したところで空席は発見できなかった。僕は仕方なく、また別の場所へ行く事にした。そこで目をつけたのが別館だった。基本的に別館は授業が部活動でしか利用されないので、昼休みのこの時間でも静かで尚且つ空いているだろうと考えたのだ。

 ガラス引戸から別館事務室を覗くと、今日は、城之内さんは事務室の中に留まっていた。彼女は普通の顔で、普通に食事をしている。表情から、はその感情を推し量ることが出来なさそうだった。

 僕の予想通り、別館はとても静かだった。鍵の空いていた教室に入り、適当な場所に座って、アリバイを作った状態で殺人をする方法についての考察を再開した。

 インターネットを通じ、金銭などで殺人を代理で行ってくれる誰かを探す。自身と同様に、殺したいほど憎い相手が居る人物との交換殺人。殺害温度を上げる、あるいは下げることによる死亡推定時刻の操作。氷など、時間が経てば形状が変化する何かを用いての時間差での殺人。

 そうやって犯行の想像に夢中になっていると、突如鳴った別館の鐘で現実世界に引き戻された。昼休みの終りが近づいたことを知らせる予鈴の音だった。予鈴は午後の授業開始の十分前になるので、今の時間は一時二十分であるはずだ。僕の入った教室には時計が設置されていなかった。そこで外に出て、別館の上部に埋め込まれている大時計で確認をした。大時計の長身は、ローマ数字の『Ⅳ』の少し手前を差していた。つまり、一分ほど針が遅れていたのだ。時計の針がずれるなんてことはよくあることだが、僕はその大時計は正確に時間を刻んでいたのを知っていたので、それを疑問に感じた。

 そこで僕は、つい最近知ることが出来た、大時計の真裏に当たるあの屋根裏部屋へ足を運んでみた。薄暗いのでかなり注意深く見なければほとんど分からないような状態だったが、隅々まで調べてみると床に不自然な染みのできた部分があることや、小窓の淵とそこから見える大時計の針に疵があることなど、様々なことが分かった。そして、僕はある可能性に辿り着いた。

 午後の授業は既に開始していたが、僕は気にせずに、この真下の事務室に居る城之内さんの元へ向かった。ノックして別館の事務室に入ると、城之内さんがこちらを振り向いた。

「もう昼休みは終わっていますよ」

 それが、城之内さんの僕に対する第一声だった。僕はずっとこの人の犯人だと疑っていたのに、会話をするのはこれが初めてであることに気付いた。

 城之内さんの言葉を無視して、僕は話しかけた。

「城之内さんにお聞きしたいことがあります」

「では、授業にしっかりと出席した後でまた来てください。事務手続きの相談があるなら、休憩時間の時に来てもらえればお聞きします」

「いえ、事務手続きは関係ありません。出来ればゆっくりと話をしたいので、今日の日付が変わる頃、この上の、大時計の真後ろに当たる屋根裏部屋まで来てください」

 淡々と事務員としての台詞を述べていた城之内さんは、その時に初めて、敵を見るような目を僕に向けた。その反応から、城之内さんはやはりあの屋根裏部屋の存在を知っていたことが読み取れた。

 そうして僕は、今度こそ別館を後にした。

 遅刻をした僕は、授業後にその時間を担当していた英語の教師から呼び出しを受けた。廊下に出ると、その英語教師はテスト前なのに弛んでいるとか、中間テストの成績が良かったからといって一年生の時からそんなことでは大学受験に失敗するとか、そういった事を僕に怒鳴った。そして、放課後に期末試験のために自分が開く特別講義があるから、それに必ず出席をするようにと強制した。

 僕は言われた通り、放課後は特別講義に出た。放課後も遅くになってから調べたいことがあったので、それは好都合であった。一時間三十分程の英語の勉強という作業を終わらせて、僕は下校を許可された。教室を出るときにその英語教師が踏ん反り返って試験の厳しさを語っていたので、僕は適当に返事をしておいた。

午後六時頃、僕は再び別館へと向かった。そして五階まで行き、絵画室を覗きこんだ。清水先生が、広瀬たち絵画部員に熱心な指導を行っていた。部活動を邪魔する気は無かったので、僕はいったんその場から離れた。それから別館の出入り口が確認できる場所で、部活動が終わるのを待った。しばらくすると、昨日広瀬を慰めていた数名の女生徒が別館から出てきた。彼女たちの顔は先ほど絵画室でも見かけていたので、広瀬と同じ絵画部員であることが分かっていた。一足早く部活動を終えてきたその数名の女生徒を捕まえて、僕は幾つかの質問をした。運よくその美術部員たちは僕の知りたい情報を知っていたので、わざわざ広瀬に聞く必要が無くなった。僕の頭の中で、事件についての全体像が形成された。

 常盤学園に残っている理由は無くなったので下校しようとすると、以前に本館事務室の近くで見かけた二人組の男に呼び止められた。その二人組は、懐から警察手帳を取り出して僕に翳した。やはり二人とも刑事だったようだ。運良く、僕は自分の考えにさらに自信を持つことができた。

 まず柔和な雰囲気の刑事が、殺された楢原さんのことについて尋ねてきた。僕は広瀬が言っていた彼女の評価をそのまま伝えた。次に背の高い刑事が、城之内さんの事について聞いてみた。警察も彼女を犯人だと考えているだと思ったが、立派な動機があるのでそれも当然であることをすぐに悟った。僕が現時点で城之内さんについてわかっていることを素直に話すと、彼女も僕も任意同行を求められるかもしれない危険があった。それは僕の望むところではなかったので、背の高い刑事には当たり障りのない言葉を選んで答えた。二人の刑事の反応を見るにどちらも満足いく答えとは違ったようだが、僕にはどうでもいいことだった。

「君は、今回の連続殺人事件の犯人に心当たりはあるかい?」

 最後に、背の高い刑事がそんな質問をしてきた。

「わかりません」

 僕は嘘を吐いた。

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