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狂い人  作者: 初心者
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第二話

                   2


 僕が通っているこの常盤学園は、いわゆるやんごとなき身分の子息子女が通う、地元では有名な私立の進学校であるらしい。『らしい』というのは、僕がそういった事にまったく関心が無く、その話が本当なのかどうかが、まったくをもって不明だからである。

 ちなみに僕の家は、裕福ではないが貧乏でもない。客観的に見れば少しは贅沢な生活ができるという程度で、おそらくは中流家庭という部門に分類される。常盤学園の評判が本物であるならば、本来そんな可もなく不可もない家庭の子どもである僕には、一切縁のない高校ということになるのだろう。

 ではどうして僕がこの常盤学園を進学先に選んだのかというと、その理由は単純だ。中学三年生の時に、僕の担任だった教師に『お前なら合格できるはずだから受けてみろ』と言ったからである。どうやら僕は、その中学校では成績が最優秀の生徒だったみたいなのだ。それで僕ならば、常盤学園での学費が免除になる進学特待生の試験に合格する事ができるはずと、その担任は考えたらしい。かくして高校にこだわりの無かった僕は、抵抗することなくその教師の言う通りに常盤学園の進学特待生の入学試験を受け、無事に合格をしたというわけだ。

 そうやって自主性もなく適当に入学した高校での一日を終えると、辺りは途端に騒がしくなった。部活動に精を出す者や教室に残り友人たちとの雑談を楽しむ者など、その様子は様々だ。帰宅部である僕はそれらの喧騒を無視して、いつも通り一人で学校を去った。

 動物が遺棄されていたという裏路地へ向かうため、帰路とは別の道を選んだ。常盤学園から早蕨駅は、徒歩で二十分ほどの距離がある。空を見上げた。太陽はまだ高く、白く光ったままだ。四月のこの季節ならば、陽が沈むまでしばらく時間が掛かるだろう。暗くなるまでには、十分に現場を観察することができるはずだ。

 しばらく歩いて、早蕨駅前のアーケード街までやって来た。アーケードは人通りが多く、道沿いに数多く立ち並ぶ各店の店員が、プラカードを持って客引きをしている。凝ったデザインの天井からは、一定間隔で特大の宣伝ポスターが垂らされていた。それはどれも同じもので、八月末まで市内の美術館で開催しているらしい『世界名画展』なる美術展のポスターだった。そんなアーケードを歩いていると、色々な世間話が聞こえてきた。バイト代が安い。あの店の服は良かった。彼氏が浮気しているかもしれない。そういった話題の中に、昨日に早蕨駅に集まっていた警察が、このアーケードの中にまで聞き込みして回ってという話が耳に入った。この先の裏路地で事件の被害動物が発見されたのはやはり本当らしい。

 そのまま歩を進め、件の裏路地のまでやってきた。そこはビル群の灰色の壁に囲まれた一角で、無機質で淡泊な空間だった。本来ならば人通りはほとんど無い筈なのだが、今は勝手が違い、多くの人集りができていた。集まっている人々は、皆が一様にある一ヶ所を携帯電話のカメラ機能で撮影している。彼、彼女らは満足の行く写真を撮り終えると、すぐにそれをネットに上げている様子が見て取れた。おそらく、連続動物切断遺棄事件を話の種として楽しんでいるのだ。技術発展した現代社会では誰しもが、世間が興味を持つ話題を自らも発信して、さも己が世の中から注目されているという錯覚を味わいたいのだろう。

 少しすれば人も引いていくと考えていたが、入れ替わり立ち替わりで、少なくなっていくどころか逆にどんどんと増えていった。制服姿の人がほとんどであることから、僕と同じように、学校帰りに興味本位で見に来る人が多いようだった。この状態ではゆっくりと観察する事は叶わないので、いったん引き返すことにした。日中に鑑賞を終えるという目論見は外れてしまったが、新聞や報道番組だけでは分からなかった、動物の死骸が発見されたであろう正確な位置を知ることが出来たのは収穫だった。

 早蕨駅前のアーケードまで戻り、適当な喫茶店に入った。落ち着いた雰囲気を出すために照明は弱めに設定してあるのか、茶系で統一感を出している店内は僅かに暗い。男性店員に席まで案内され、メニューが差し出された。僕は一番初めに目に付いたブレンド珈琲を注文した。五分程で、白い湯気に独特の香りを乗せたブレンド珈琲が僕の着いたテーブルに置かれた。

「ごゆっくりどうぞ」

 笑顔で頭を下げ、男性店員は立ち去った。僕は読みかけの小説を鞄から取り出し、珈琲を口に含みながらページを捲った。

 そうして読書で暇を潰していると、新たに数名の女性客が入店してきた。派手な格好をした女性と、眼鏡を掛けた女性と、そして長身の女性の三人組だ。その内の一人の、長身の女性が僕を見ているのに気付いた。その人には、僕も見覚えがあった。僕が通う常盤学園の事務員である。ネームプレートで見たことのある彼女の名前は、確か楢原といったか。

 単純に見知った顔が居たから目を向けただけだろう。楢原さんは連れの女性たちと、何事もないように僕の横を通り過ぎて行った。同様に、僕もその集団を無視して小説へと目を向けた。

 陽が落ちきった頃、僕は喫茶店を出た。楢原さんはまだ店内に居り、連れの女性を含めた三人は何かを揉めていた。それは僕には関係の無い事だ。結局、最後までこの喫茶店で楢原さんと関わる事は無かった。

 店を出る前に確認した時刻は、八時二十分。この時間であれば、もう学生の野次馬はほとんど居なくなっているだろう。当初の予定とは違い夜になってしまったので、アーケードの中にあった百円均一で懐中電灯と乾電池を買ってから目的地へと向かった。夜の帳はすっかりと降りているにも関わらず、闇を拒絶し払うように、アーケード街は人工的な光で溢れている。そして羽虫みたいに、その光に人々が寄せつけられるようにして集まったアーケードは、昼間と同じかそれ以上の賑わいを見せていた。

 一転、喧騒を抜けて足を運んだ裏路地は僕の予想通り人集りが消えており、世界本来の姿を保っていた。人の手に因って創り出された光が存在しないこの場所は、ただ漆黒が支配していた。

 僕は懐中電灯を点けて、その空間に光を与えた。懐中電灯の偽物の光はここには似つかわしくなく、僕の目にはあまりにも不自然に映った。まるで完成された絵画に、余計な絵具を付けたしたようだ。僕は蛇足という故事成語を思い出していた。この暗闇の中で灯された人口の光こそが、紛れもなく蛇の足なのだ。そんな感覚を覚えながら、僕は蛇の体内たる暗闇へと入っていった。

 人の姿が影も形も無くなった現場の周囲を照らし、犯人に繋がるような何かをゆっくりと調べた。けれど警察が調べているだけの事はあり、猫の毛の一本すら落ちてはいなかった。仕方がない。それに、動物の切断などはすぐに完了する作業ではないはずだ。幾ら人目に付き辛いとはいえ、そんな目立つ行為を屋外で行ったりはしないだろう。きっと犯人はここには動物の死骸を棄てに来ただけで、切断自体は別の場所で行っているはずだ。仮に警察が介入していなかったとしても、どのみち何かを発見することは無かっただろう。そんな結果は、過去の二件の経験が無くとも、少し考えればすぐに思い至ることである。それでもやはり僕は、事件現場に足を運ばずにはいられなかったのだ。

 膝を突き、懐中電灯を消してから僕は地面を指でなぞった。アスファルトは冷たく、ざらざらとしている。そんなこの地面の上に、昨日には紛れもなく、上下に切断された野良猫の死骸があったのだ。

 どこかで野良猫を切断し、その二等分した物体をここに棄てた時、犯人は何を想っていたのだろう。当然の事だが、いくら考えてもその答えがわかることはなかった。僕の頭の中には、表情が黒く塗り潰された、顔の無い犯人が巣食っていた。

 無為な妄想に耽っていると、遠くで電車が線路を駆ける音が微かに響いて、そして消えた。どうやら一本の電車が早蕨駅に止まり、再び発車したようだ。あの同級生の女生徒のように、駅から家まで帰るのにここが近道の人も居るだろう。人通りが少ない場所とはいえ、そうするとそろそろ誰かが現れる可能性がある。もしその誰かが僕を見つけたら、不審者と思い警察に連絡をするかもしれない。別に疚しいことは何もないが、余計な面倒は出来るだけ避けるべきだろう。

 僕は踵を返して、大通りへと出た。暗闇に慣れていた所為だろう。アーケード街を彩るネオンサインが、やけに目に痛んだ。

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