第十九話
幕間Ⅰ
私は、どうしてこんなにも平気で、人を殺すような人間になってしまったのだろう。目の前にある両腕を失った楢原の死体を眺めながら、私は自身の過去を思い出していた。
私の家は母子家庭で、物心が付いた時から父親は居なかった。母さんは私を養うために昼夜問わず働き詰めだった。母さんが家に居ない分、ある程度の家事も幼い頃からやらなければならなかった私は、同級生からの遊びの誘いも断ることがほとんどだった。だから幼稚園や学校が終わっても家で留守番をすることが多く、一人で居る時間は同級生たちよりも格段に多かったと思う。もしかすると私のコミュニケーション能力にも些かの問題があったのかもしれないが、当然のように親しい友人を作る事は出来なかった。
裕福で無かった私の家には、同年代の子供の家にあるようなゲームやらおもちゃはおろかテレビさえもなかったので、一人で過ごす時間はいつも退屈だった。少しでも母さんの助けになるようにと覚えた炊事や洗濯などを終わらせた後は、チラシ裏の余白に鉛筆で落書きをする毎日だった。そんな生活が一変したのは、小学一年生の誕生日からだった。私はその年、生まれて初めて誕生日プレゼントを貰う事ができた。それは二十四色の色鉛筆と、A3サイズのスケッチブックだった。
「こんなものしか買ってあげられなくてごめんね」
母さんは申し訳なさそうにそう言っていたけれど、私の心はかつてないほどに踊っていた。黒色の鉛筆しか持たなかった私の目には、そのカラフルな二十四色がまるで宝石のように映った。寝ても覚めても、私は飽きることなくスケッチブックへと絵を描き続けた。お世辞にも上手とは言えない絵だったけれど、仕事から戻った母さんにそれを見せると、疲れているに関わらずいつも笑顔で私の不細工な絵を褒めてくれた。それは私の満足感をより満たし、さらに絵を描く事にのめり込ませる要因となっていた。一ヶ月と持たずにスケッチブックは私の絵で一杯に埋め尽くされ、二十四色の色鉛筆はすっかりと磨り減っていた。
もしかすると、母さんは幼いながらに一人で留守番をさせている私に罪悪感の様なものがあったのかもしれない。だからなのか、家計がどれだけ苦しくても、スケッチブックと色鉛筆だけは無くなる度に新しいものを買ってくれた。それは私にとってゲームやおもちゃよりも価値の高い物であった。優しい母さんは、決して途切れることなくそれらを私に与えてくれた。気が付けば絵を描く事と母さんだけが、私の小さな世界の全てとなっていた。
絵を描くことならば永遠に続けられるといっても過言では無くなっていた私は、日々のかなりの時間を絵に費やした。小学校の高学年になると、長期休みの宿題で描いた私の絵は、校内で毎回のように表彰されるようになった。その頃には絵を通じて友だちも増え、ある程度のコミュニティーも形成できるようになっていた。
その日も休み時間に絵を描いて過ごしていると、担任の先生が傍にやって来て、私に二十歳以下を対象にした絵画コンクールに応募してみてはどうかと勧めてきた。才能があると褒めてくれたその先生の言葉を鵜呑みにして調子に乗った私は、言われるがまま絵画コンクールに応募することを決めた。普段よりも特段の気合を入れ、一ヶ月ほどの時間を要してようやく応募用の絵を完成させた。その絵は大賞こそ叶わなかったが、大学生や高校生に混じって優秀賞を受賞する事が出来た。それは大賞とは別に五名が選出される賞で、つまり私は小学生ながらそのコンクールで上位六名の中に選ばれたということを意味していた。その功績は地方紙で大きく取り上げられた。それだけでなく、その地方紙に比べるととても小さくではあったが、全国紙でも私の事を書いた記事が掲載された。以来、私は少しではあるが世間から注目をされるようになった。将来は絵を描いていける職業に就きたいという漠然とした考えはあったが、本格的にプロの画家を志したのは、おそらくはこの時であったと思う。
中学校に進学して、私は美術部に入部した。一度だけ、本格的に絵を教えてくれる絵画教室を調べてみた事がある。だがあまりにも月謝が高かったので、我が家の経済状況ではそこに通うのは諦めざるを得なかった。それでも、絵具や鉛筆や紙などの美術道具は基本的に消耗品ばかりなので、相応にお金が必要だった。それを承知で母さんは私の夢を応援してくれていた。だから美術部では、顧問の先生に積極的に教えを請うて、必死に絵の勉強に励んでいた。ほとんど独学だった私は、美術部で絵の基礎を徹底的に学んだ。自惚れかもしれないが、私には自分の絵がさらに成長しているという確かな手ごたえがあった。それは結果としても現れていたと思う。私は中学生ながら、多くのコンクールで賞を獲得していた。最も優秀な絵であると、審査員からそう評価された証明である大賞だって何度も取った。私の名前は、もはやそういった絵画コンクールでは常連になっていた。次第に私は、自分の描く絵に多大なる自信を持つようになっていた。
「いつかプロの画家になって、母さんに楽をさせてあげるね」
気が付けば、私は口癖のようにそんな事を言うようになっていた。その言葉をどこまで真に受けていたのかは分からないが、母はいつも微笑んでくれていた。もし画家になることが叶わなかったとしても、私はこんな幸せがいつまでも続くものだと思っていた。
高校生になり、私は全国でも有数の名門校である常盤学園に入学した。実を言えば、私は常盤学園に進学するつもりは無かった。私立の学校には成績優秀者に対する入学金や学費が免除される特待制度があり、私は少しでも家計を助けるためにそれを狙って勉強も平時からしっかりとやっていた。しかし名門である常盤学園でその特待枠に入るのは、さすがに確実とは言えなかった。そのため絶対に特待生枠に合格できる自信のあった、別の私立高校を受験するつもりだったのだ。だが、常盤学園には勉学以外での特待制度があることを知った。それは絵画、彫刻、音楽などの芸術方面による、技能特待生というものだ。運良くその試験日が、私が進学するつもりだった私立高校の受験日と重ならなかった。絵を描く事にならば自信のあった私は、常盤学園の技能特待生も並行で志願した。
結果として私は才能が認められ、常盤学園に技能特待生として合格する事ができた。私は大いに喜んだ。学金や学費が免除され母さんの助けとなるのは勿論、社会的に成功を収めている家と多くの繋がりがある常盤学園で、絵画部員として優れた成績を残せれば、プロの画家としてやっていける可能性が高くなるからだ。母さんも、常盤学園に通うことを快く許してくれた。
入学して三学期を迎える頃には、私の絵は部内で最も高く評価をされるようになった。周囲では貧乏な家の子である私の絵が評価されているのに対して好ましくない感情を持つ生徒も少なくなかったが、それに気を留めることなく、私は絵を描き続けた。自分の絵に多少の自惚れはあったかもしれないが、それでも決して奢ることなく、私は勤勉に絵を描く事に取り組んでいた。今にして思えば、それが失敗の始まりだったのかもしれない。
常盤学園絵画部には、四宮知花という私と同級生の女生徒が在籍していた。彼女が私に対して好意を抱いていないのは気付いていた。二年生に昇級するのと同時に、四宮は取り巻きであった楢原と藤崎に命じて、私に嫌がらせをするようになった。絵具が紛失したり筆が破損させられたり、時には私がコンクール用に下書きをしていた絵が塗り潰されるという事もあった。先生を含めた皆は、四宮家に恐れを為して見て見ぬふりを貫いていた。他人の力の当てに出来ない私は、嫌がらせに屈することの無いよう努力した。ちゃんとした絵を描き続ければ、いつかきっと皆に認めてもらえるはずだと、その時の私は、そんなことを本気で信じていたのだ。それが世間知らずの子どもの甘い考えだったと私が悟るのは、全てが手遅れになった時だった。
忘れもしない、二年生の六月二十二日。私は楢原と藤崎の二人に、階段から突き落とされたのだ。これは後から知ったことだが、コンクールが近かったので、怪我で絵を描けなくしてコンクールを辞退させるのが目的だったらしい。そして、それを命じたのが四宮だった。
その事故を境に、私の人生は変わり始めた。突き落とされた私は頭を強く打ち、意識を失った。気が付けば、病院のベッドの上に寝かされていた。検査の結果、命に別条はまったくなかった。二週間ほどで退院も出来た。本来ならば、それらは運が良いと喜ぶべき事なのだろう。しかし、私はそのように思う事がまったく出来なかった。なぜなら頭に強い衝撃を受けた影響で、右手に麻痺の後遺症が出たからだ。
その麻痺は重度ではなかったので、慣れてくれば日常生活を送る上では大して支障は無かった。リハビリをすれば、絵だってある程度は描けるようにさえなった。けれど『ある程度』のそれは、私にとって『完全』には程遠かった。つまりそれは『私の絵』ではなく、まったくの別ものなのだ。そんなものはコンクール応募する価値なんてなかった。四宮の思惑通り、私はコンクールを辞退した。
だが、私は絵を描くこと自体を諦めることは出来なかった。退院してからも、私は毎日リハビリに通い、一日に何十枚と絵を描き続けた。それでも私の絵の完成度は、やはり以前と同じに戻ることは無かった。
リハビリ中、絵画部の後輩である清水が、何度も見舞いにやって来ていた。彼は私の描く絵におそろしく執着していて、まだ健常だった頃には恐怖の対象でしかなかったが、その時にはもうそんな異常性に気を割く余裕などなくなっており、どうでもいい存在になっていた。彼はたまたま近くに放置していたスケッチブックの私の絵を見て、十分なクオリティだから絵を諦めるのはもったいないというような事を言って、毎回のように私を説得していた。私は、清水の説得に耳を傾ける事は無かった。麻痺をしてから描いた絵は決して『私の絵』ではなく、まったくの別ものなのだ。そんなもの、描く価値がない。次第に、私は絵を描くのが苦痛になっていき、結局は心が折れて、プロの画家になることを諦めてしまった。
「プロの画家になっていつか楽させてあげるって言ってたのに、約束を守れなくてゴメンね」
画家を諦めた夜、私が母さんに言ったセリフだ。それを聞いた母さんは、涙を堪えながら私を抱きしめてくれた。小刻みに震えていた母さんの手に抱かれながら、私は疲れて眠るまでその胸に蹲って号泣した。
病院を退院して少し経った頃、四宮の父親と、常盤学園の理事長である楢原の祖父が私の家に訪れた。私は、せめてもの謝罪をしに来たのだと思った。だが、それは間違いであった。彼らは、自分達の企業や学園を守るため、お金をちらつかせて事件の口止め交渉にやって来たのだ。私はとても悔しかったが、それ以上に感情を爆発させたのは母だった。第一に私に頭を下げる事。そしてお金なんかでは買収されない事を、彼らに向かって声を荒げた。私はそんな母を誇りに思ったが、現実問題として、四宮家や楢原家に楯突くのは得策ではないと頭の中では理解していた。特に四宮家。娘の四宮知花は、気に入らないという理由だけで取り巻きに私を突き落とさせるような人間だ。ならばこの申し出を断ったら、あらゆる方面からの嫌がらせが行われるのは自明だ。私はせめて、私のためにいつも頑張って、そして応援してくれていた母には、約束通りに楽をさせてあげたかった。だから、私たち家族が生活するのに十分な金額を、毎月で一生払い続けるという条件で、あの出来事を事故で終わらせることを了承した。母は涙ながらに、そう何度も私に謝った。
すぐに絵画部は退部した。藤崎、楢原、四宮の顔を見ていると、自分がどうにかなってしまいそうだったからだ。
約束は破られること無く、毎月二人では十分すぎる程の金額が支払われた。少しでも抵抗したかったのだろう母は、けれどそのお金に手をつけることなかった。自分で仕事をして稼いだお金で、私を養おうとしたのだ。
そんな心労と肉体的な無理が祟ったのか、私が十九歳の時、母は脳梗塞で倒れ、植物状態になってしまった。絵画なんて始めなければ、こんなことにはならず、貧しくても平穏無事な家庭が続いていたのではないかと、後悔をする日々が続いた。それでも、私は気がつくと紙とペンを取り、時には無意識に絵を描いていた。悔いている癖に描く事を諦めきれないのは、きっと私の弱さだったのだろう。
植物状態になってしまった姿を人目に晒すようなことはしたくなかったので、母さんは個室に入院させた。それを機に住んでいたアパートは引き払い、見舞いに都合が良くなるように病院が近く交通の便が良いマンションに引っ越した。入院費や治療費や新居の家賃には、母さんが決して手を出さないと決めていた、四宮の父親たちから支払われたお金を使った。未成年の私では、それに必要な多額のお金を用意するなんて不可能だったからだ。まったくもって皮肉である。人生を滅茶苦茶にした原因である四宮たちの親族から得たお金で、私と母さんは生かされていた。
大学を卒業してすぐ、楢原の祖父から連絡があった。常盤学園の事務員になれという命令だった。きっと、私の監視のためだったのだろう。四宮たちへの恨みは今なお私の奥底で渦巻いているが、後悔することに疲れた私は考えるということを半ば放棄していたので、特に抵抗も無くそれを受け入れた。時折絵を描いてしまう事を除けば、朝起きて、仕事をして、母の見舞いに行き、帰って、寝るという、そんなルーティンのようになった生活を二年間続けた。そんなある日、母の入院していた早蕨病院に藤崎が就職をした。
よりにもよって藤崎は、母さんの病床がある脳神経内科の医師になっていた。私は母さんの入院先は疎か、脳梗塞で倒れて寝たきりになっているということさえ誰にも話してはいなかったので、藤崎が働き始めたのは嫌がらせでも何でもなく、本当に性質の悪い巡り合わせだった。
おかげで私は、見たくもない彼女とほとんど毎回のように顔を合わせることになってしまった。病院内で初めて私の姿を見た時、藤崎はとても怯えていた。一方で私も初めて彼女を見た時、沈澱していた怒りが再び心の真ん中に浮いてくるのを感じた。とはいえ、私に出来る事なんて何もなかった。病院で擦れ違うたびに、私には憤りが、そしてきっと藤崎には恐怖がこみ上げていた。
それから少し経った頃、清水が美術教師として常盤学園にやってきた。それは藤崎とは違い偶然でなく、意図的に私を追いかけてきたのだと分かった。その証拠に清水は私が働いているという事実に驚いてはいなかった。初めから私の存在を知っていたのだ。清水は、学生時代の露骨さこそ隠すようになっていたけれど、人目につかない隙を見つけては私に絵を描く事を説得してきた。
「城之内先輩は絵を描くために生まれてきたような人なんです。手の麻痺があったとしても、十分にプロとして通用します」
彼は口癖のようにそんなことを言ってきた。高校の時と同じで恐怖という感覚は湧かなくなっていたが、私の気も知らないで好き勝手な事を宣う清水に、私はいつも辟易としていた。
そしてさらに私の神経を逆撫でしたのは、翌年に常盤学園の新たな事務員として、楢原がやってきたことだ。過去の事情を知っている楢原の祖父がどうして私が居る常盤学園で彼女を働かせようと思ったのか、彼の真意を問いただした事がある。その返答はこうだった。
「明日香は一昨年に恋愛結婚をしたんじゃが、すぐに婚姻生活を破綻させて戻ってきおったのだ。儂の息子夫婦はあの子しか授かることが出来なんだので、息子の次の代でこの常盤学園を継いでもらう男が必要なんじゃ。その為に、あの子には出来るだけ早く再婚をして男児を産んでくれなければ困る。年を取れば取るほど、子を為すにも苦労するしの。そして明日香にとって、君と同じというのは決して働きたくない職場じゃろうて。そうやってわざと働き難い場所に置けば、そこから解放されるためにさっさと再婚するだろうと考えた次第じゃ。勿論、君にも特別手当としてこの分の金を上乗せしてやる。それでいいじゃろう」
何ら悪びれる様子もなく、楢原の祖父は言った。実際、楢原は勤務態度にも露骨に出るほどに、私の居る常盤学園での勤務を不快に感じていた。それについては楢原の祖父の思惑通りなのだろうが、私の腹の中がどれほどのものかについては、少しも気を回してはいなかった。
そういった経緯で私は不本意にも藤崎だけでなく、楢原とも頻繁に会わなければならなくなってしまった。病院で藤崎の顔を見るだけでも、私の憎悪は再び熱を帯びていた。そこに先の出来事が加わった事で、私の悪意はさらに高まっていった。
しかし、そんな私にも収穫はあった。どうやら地位を持っている人間というのは、自分の血縁を後継ぎにするのに強いこだわりがあると知れたことである。つまり、楢原を殺せばそのまま楢原の祖父……いや、楢原家全体への復讐に繋がるということだ。これは、四宮や藤崎が一人っ子だった場合にも当て嵌まると私は考えた。この頃、私の中にそういった黒い感情が芽生え始めた。以来、私はいつかそれを実行してしまいそうな恐怖や欲望と葛藤を続けた。
そんな私の不安定な心を支えてくれていたのは、やはり母さんの存在だった。意識が無く寝たきり状態とはいえ、母さんを殺人犯の母親にするわけにはいかない。そんなある種の使命感のようなものが、私が犯罪に手を染めるのを阻止してくれていた。
そうして一年が過ぎた。復讐への誘惑のある中、私はその一線をなんとか踏み越えずに日常生活を送っていた。そんな今年の四月の終り頃。母の見舞いから帰ろうとした私に、唐突に藤崎が声を掛けてきた。藤崎は私の事を避け続けていたので、それはあまりにも予想外だった。私と話をしたいと藤崎は言った。不審に感じながらも私はそれを受け入れ、彼女の仕事が終わるのを待った。一緒に病院から出ていき、最寄りの喫茶店に向かった。赤茶色の外観はレンガ造りで、内装は程良く色落ちしたアンティーク調の木造家具をあしらっている喫茶店だった。そこで私たちは、一番隅のテーブル席に向かい合って座った。店員への注文時に口を開いて以降、藤崎はずっと無言だった。私も自分から藤崎に話すことなんて何もなかったので、口は開かなかった。お互いに注文をした品が届いても、しばらくは沈黙が続いた。そのまま十分近くが経ち、そろそろ帰ろうかを思い始めた頃、藤崎が意を決したように喋りかけてきた。
「……実は……その。高校の時の事、謝りたいと思って……」
藤崎のその言葉に、私は動揺した。今更という反発心が強く起こった。しかし同時に、上手く言い表すことの出来ない高揚感も少なからず生まれていた。そんな私の矛盾した気持ちなどお構いなしに、藤崎は先を続けた。
「病院で城之内さんの姿を見るたびに、自分がしたことを思い出してしまうの。それで自分はなんて酷いことをしてしまったんだろうって、自己嫌悪に陥って。今更何を言ってるんだろうってことは承知してるわ。自分が取り返しのつかないことをしてしまったって事や、謝って済む問題でもないって事も。それでも、このまま逃げ続けるわけには行かないって思ったの。それで実はこの間、四宮さんや城之内さんに集まってもらって、二人にも相談したの。三人で、ちゃんと城之内さんに謝らないかって」
私は服の裾を掴んで、強く握りしめた。今すぐ藤崎の頬を引っ叩いて、罵倒してやりたい衝動に駆られた。だが、私はそれをぐっと堪えた。ここでそれを行ったところで、母の意識が戻るわけでも、私の両腕の麻痺が治るわけではない。それよりも、もし本当に謝ってもらえるのなら、私のこんな後悔や未練ばかりの人生も、少しは変わるかもしれない。直ぐにではないけれど、気持ちを切り替えて、前を向くことができるかもしれない。『ごめんなさい』なんてただの言葉の羅列でしかないけど、それでも私たちの人生を狂わせた彼女たちに、ただの一度でもそう言って頭を下げてもらえば、立ち止ったままの自分の人生からまた一歩を踏み出せるかもしれない。
私の中に芽生えたそんな期待は、けれど呆気なく裏切られることになる。
「でも……四宮さんはそんな必要はないって。お金で解決している問題なんだから、わざわざぶり返さなくてもいいって言うの。勿論、さっき言ったように私は悪いって、謝りたいって思ってるの。でも、やっぱり四宮さんは怖くて。もし無理強いしようとしたら、四宮家の力を使って何か仕返しをされるんじゃないかって、そう考えると逆らえないの。ただ、城之内さんには私の気持ちも知っておいて欲しくて、それで今日はこんな話を――」
藤崎はまだ口を動かし続けていたが、私の耳にはもう届いてなどいなかった。目の前の女が言ったことを、まったく理解出来なかったからだ。本心から悪いと思っているのなら、四宮の事など関係がないはずだ。素直に一言、たった一言の謝罪をすれば、それで良いのだから。けれど藤崎は、私ではなく四宮の事を一番に気にしている。それは絵画部に所属して頃と何も変わらず、ただ自分の保身に一生懸命なだけである。四宮には逆らえないが、このまま自己嫌悪をして過ごしたくはない。結局この女は、自分が楽になりたいから私に許されたという免罪符が欲しいだけなのだ。私は、そんな藤崎への嫌悪感をこれまで以上に強めた。そしてまた四宮へ対する敵意も、私の中でどんどんと肥大化していくのを感じた。
四宮は、どうして平気でそんなことが言えたのだろう。彼女は藤崎と違って、欠片ほども自分の非を認めていないのか。それが知りたくなった私は、藤崎から四宮の居場所を聞き出した。
「藤崎さんの気持ちは分かったわ。もう気にしないで。その代わりというわけじゃないけれど、絶対に藤崎さんの名前は出さないと約束するから、四宮さんの住所を知っていたら教えてもらえないかしら。私も逃げるように絵画部を辞めてしまったから、四宮さんとしっかりと話をしたことが無かったの。もしかしたら、四宮さんも今の藤崎さんのように、すごく悩んでいるかもしれないでしょ。だからあの『事故』の事について四宮さんと直接話をして、ちゃんと和解がしたくて」
虫唾が走っていたが、それを表に出さないように注意しながら、私は出来る限り優しい口調で言った。おかげで、藤崎は何ら疑うことなく、四宮の所在を喋ってくれた。
藤崎によると、四宮は親元を離れて一人暮らしをしているということらしい。その住まいを藤崎は知らないようだが、四宮の職場は把握していたので、私はその住所をメモした。
私が過去の事は水に流したと勘違いしている藤崎は、何を思ったのかその後まるで友だちかのような態度で接してきた。不愉快極まりなかったが、ここで藤崎の機嫌を取っておけばいずれ利用できる時が来るかもしれないと考え、私はそれを我慢した。
翌日の夜の九時過ぎ。私は藤崎に教えられた四宮の職場へと向かっていた。四宮は会社を経営しているらしく、職場は自分が社長をしているエステサロンということだ。早蕨駅から徒歩二分でありながら五台分の駐車スペースを設けているという好立地に、そのエステサロンは在った。清楚感を出すためか、外壁のほとんどの面積が白色で占められていた。
ここまで来たのは良いが、店は既に営業時間を終えていた。このまま待つか諦めて帰るかを出入り口の近くで暫し思案していると、ドアが開いて一人の女性が店から出てきた。
栗色に染められ、毛先にだけ軽くパーマの当てられたセミロングの髪の毛。中央で分けられたその髪から覗く大きな両の瞳と、ふっくらとした唇。背丈は百五十代半ばくらいと普通だったが、豊満な胸とそれと対照的なくびれをした肉感的なスタイルの良さを持っていた。それは、忘れもしない四宮知花の姿だった。
私が声を掛けるよりも早く、四宮がこちらに気が付いて口を開いた。
「お客様。大変申し訳ございませんが、本日は既に閉店しております。お手数ではございますが、後日お越しいただきますようお願い致します」
四宮は両手を前で組み、ゆっくりと丁寧に頭を下げてから、颯爽と私の横を通り過ぎて早蕨駅の方へと歩いて行った。
私は、目の前が真っ暗になったような錯覚を起こした。信じられないことに、四宮は私の顔をまったく覚えていなかった。藤崎たちに命令して怪我をさせた事も、その後遺症で両手に麻痺が出たことも、それで私たち家族の人生が変わってしまった事も、四宮にとっては些末な出来事であり、気に留める程でも無かったということだ。
私には、人生をやり直す切っ掛けすらも与えてはくれないのか。そもそも、どうして私を差し置いて四宮たちは普通の生活を送っているのだろう。四宮は社長。藤崎は医者。楢原は結果として離婚をしてしまったらしいが、それは裏を返せば恋愛をして一時は幸せな結婚生活を送っていたということだ。今の私のように、ただお金さえあれば幸せか。断じて違う。少なくとも私は、お金では幸せなんて感じられなかった。満足のいく絵を描く事も、優しかった母さんの笑顔も奪われた。それだけが、私の世界の全てだったのに。私のささやかな幸せは、あの三人に呆気なく壊された。何故。どうして。私たちの人生を狂わせておいて、その原因となった三人が苦しまずに人並み以上に生きていくなんて、到底許容できるはずがない。そうだ。私と同じように、アイツらの人生も取り返しがつかない程に滅茶苦茶になってしまえばいい。
私の心の中で靄のように漂って渦を巻いていた殺意が、明確に形作られた瞬間だった。もしこの手に刃物を持っていたら、私は間違いなく四宮を追いかけて襲っていただろう。
その日は一睡も出来なかった。夜が明けて、私は体調不良と嘘を吐いて仕事を休んだ。その足で早蕨病院へ向かい、母さんの病室に籠った。自由に動けず、目を覚ますことすらできない母さんの手を、私の震える両手で握り締めた。そうやって母さんの存在を身近に感じなければ、私はどうにかなってしまいそうだった。いつかのように、私は母の傍で大声を上げて泣いていた。
何をしても、私の殺意が弱まることは無かった。寝ても覚めても私は、藤崎、楢原、そして四宮を殺すことばかりを考えるようになっていった。頭の中では、幾度彼女たちを殺害したかわからない。絞殺、斬殺、刺殺、溺死、火炙り、生き埋めなど、様々な殺し方を想像した。それでも、一つだけ変わらないことがあった。妄想の中の私はいつも必ず、彼女たちの両腕を切断していた。彼女たちが私にしたように、私も彼女たちから両手を奪いたかったのだ。
今までは母さんのおかげで踏み止まれていたが、私が殺人者になるのも、もう時間の問題だった。そんな状況で何日かが過ぎた頃、病院から連絡があった。昨夜、母さんの容態が急変して息を引き取ったと、電話の向こうで女性の看護師が言った。仕事をしていた私は事情を報告し、早蕨病院へと急いだ。
医師からは、おそらくは合併症による心不全が死因だという説明をされた。個室に向かうと、手際の良い事に母さんの病床からは生命維持装置が全て外されていた。不純物の付けていない、ありのままの母さんがベッドに横たわっていた。意識を取り戻す僅かな可能性も完全に消え失せ、もう二度と目を開くことなく眠った母さんの顔は、けれど私の目には死人とは思えないほど安らかに映った。
そんな姿を見て私は、これは母さんからの最後のプレゼントなのだと思った。自分という柵は消えるから、後は思いきってあの三人を殺せばいい。私には、まるで母さんがそう言っているかのように感じた。
もし死後の世界というものがあるのなら、これから人殺しをする私は地獄に落ちるけれど、誠実だった母さんが召されるのは天国だ。だから母さんがちゃんと天国に行けるように、葬儀は手厚く行った。二人だけの、最後の別れが終わり、思い残すことは何も無くなった。私の心の中で、殺意を堰き止めていた砦が崩壊していく音が聞こえた気がした。
葬儀後、まずは四宮と藤崎の身辺調査に手を付けた。運の良いことにあの二人も楢原と同じで一人娘であった。これであの三人を殺せば、そのまま各家族への復讐にも繋がることが判明した。その後も今回の復讐に利用する凶器や小道具の調達や用意など入念に行った。そうして一ヶ月ほどかけて下準備をした私は、予てより甘い誘惑のあった、藤崎朋、楢原明日香、四宮知花の殺害計画を実行に移すことを決意した。
睡眠薬での眠りから目覚めた藤崎は、置かれた状況を理解できていなかった。それでも直ぐに、自分の身に迫っている最悪な未来だけが予感できたらしい。その恐怖によって醜悪に顔を歪めながらこちらを見上げる藤崎のその顔を、私は一生忘れないだろう。
「ごめんなさい。後悔している。悪いのは私です。許してください」
藤崎は嗚咽を漏らし、私への贖罪の言葉を何度も述べていた。
私は、手の麻痺で満足のいく絵を描けなくなった。母さんは、きっと自分を責め続け、哀しみの中で倒れてそのまま亡くなってしまった。もし彼女たちが私を階段から突き落としたりしなければ、昔に無条件で信じていた平凡でささやかな幸せは、今も続いていたかもしれないのだ。それを奪っておきながら、なぜ目の前のこの女は、例え僅かでも赦されることを期待していたのだろう。私は、藤崎に問いかけてみた。
「ねえ。私があなた達の事を許すなんて、本当にそんなことを思ったの?」
「ごめんなさい。後悔している。悪いのは私です。許してください」
藤崎は私の問いかけには答えず、まるで壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返した。
私は藤崎のその姿があまりにも滑稽で、思わず大声を上げて笑ってしまった。いや、本当は哭いていたのかもしれない。両手の麻痺がまるで頭に感染してしまったかのように、脳の一部の機能が正常に働かなくなっていた。その影響で、私は自分の感情が分からなくなってしまっていたのだ。
そうして私は言葉に出来ない不思議な感覚を覚えたまま、喚き叫ぶ藤崎を残してその場から立ち去った。
後日、切断に用いたピアノ線と彼女を縛り付けるのに使ったロープを回収した。死体を除く証拠の処分は簡単だった。これらは予め抜き取っておいた身分証明書と共に細かく切断して、月曜日の燃えるゴミの日に家庭ゴミとして捨てて焼却処分をしたのだ。本来は燃えるゴミで無くとも、細分化して一緒に出せば何も言われずに回収されることは事前に確認済みだった。
楢原も、その死に際は藤崎と変わりなかった。
私は藤崎を殺した場所に、今度は楢原を連れ込んだ。眠りから覚めて私の存在に気付いた楢原が、噛みついてきそうな勢いで私に喋り掛けてきた。
「美紀! アンタ、一体どういうつもり! これは何なのよ!」
私が犯人だと思い、自分も藤崎と同様に殺されるかもしれないと恐怖していた割には、あまりにも状況判断が鈍すぎる。この期に及んでも愚かな奴と私は思った。
「一体どういうつもりって、そんな事は少し考えれば分かるでしょ。これからあなたを殺すつもりなのよ」
暗くて見え難くはあったが、その事実を突きつけてやると楢原の顔が一気に青ざめていくのが分かった。
「やっぱりあんたが朋を殺した犯人だったのね。この殺人鬼め! 地獄に落ちろ!」
楢原は藤崎と違い屈する事を拒んだのか、次々と私に罵声を浴びせてきた。これから殺される人間の言葉などただの負け犬の遠吠えにしか聞こえず、私は何も感じなかった。無言のまま、楢原の罵倒を聞き続けた。楢原はしばらくの間ずっと叫び続けていていたが、一向に反応が無いまま変わらない私の無表情な顔を見て、やっとそれが無駄であることを悟った。次第に楢原も間近に迫った死を自覚するようになり、私の殺意が本物である理解した。藤崎と同様に嗚咽を上げながら助けを懇願してきた。
「悪かったわ。ごめんなさい。私だって本当はあんなことしたくなかったの。でも知花がどうしてもやれって。そうしないとどうなるかわかるでしょって言われて。だから仕方なかったの。お願い。許して」
どいつもこいつも殺される間際は一緒なんだなと、私は冷え切った頭でそう思った。
「なるほど。仕方なかったんだ」
私が応答したことに、楢原は少しだけ喜んだ表情をした。もしかすると楢原は、上手くすればこの状況から抜け出せるかもしれないという、とんでもない勘違いをしていたのかもしれない。
「そう。仕方なかったの。あの時、常盤学園で四宮家に逆らえる人間が居なかったのは、同級生だった美紀なら理解できるでしょ。悪いのは全部知花なの。知花さえ居なければ、あんなことにはならなかった。仕方なかったのよ。後悔している。ごめんなさい。お願いだから許して」
ここから助かりたい一心だろう。楢原は、生殺与奪の権利を握っている私に対して必死に許しを求めてきた。
「分かった。仕方なかったのなら許してあげる」
その言葉で、今まで昏く濁っていた楢原の瞳に、希望が満ちた。私は、それを見越して、楢原に次の言葉を掛けてやった。
「だから、楢原さんも許してね。だって、私があなたを殺すのは、仕方のないことなんだから。ねぇ。仕方のないことなら、何をしても許されるって考えなんでしょ?」
笑顔になりかけていた楢原の表情が、一気に絶望へと塗り替わった。それから、先ほどよりもさらに高い声と勢いで、私に向かって絶叫した。
「殺してやる! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!」
何度も何度も、呪いのように同じ言葉を繰り返していた。
藤崎の時にも思ったが、死ぬ瞬間を眺めることが出来ないのは残念だった。だがアリバイ工作をしなければならないので、それも仕方がない。私が殺す動機のある人物が、立て続けに死ぬのだ。それも病死や事故死ではなく、他殺で。だから、アリバイだけはしっかりと作らなければならない。
これで残りは四宮だけだ。アイツも、必ず殺してやる。




