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狂い人  作者: 初心者
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第十六話

                   捌


 両腕切断殺人事件が、それ以前に発生していた連続動物切断遺棄事件の犯人による通り魔的犯行の可能性が生じて以降、三上が生活安全課から提供してもらった捜査資料を基に、捜査本部では本格的に事件の洗い直しがなされた。志村の指示で、そちらの捜査には三上と吉沢を含めた六名の刑事が当てられた。一方、狭山と滝上は引き続き怨恨の線で捜査を命じられていた。

 そうして捜査本部を二分し、両方向からの捜査が行われた。

 連続動物切断遺棄事件と両腕切断殺人事件との関連性はマスコミには非公表であったが、その甲斐もむなしく、目聡く両事件の関連性を取り上げた報道番組が放送された。これにより捜査本部には、今までにはまったく無かった、連続動物切断遺棄事件についての様々な情報提供の電話が鳴り響いた。だが、そのほとんど全てが虚言であったため、管理官である志村が危惧していた、捜査の混乱を生じてしまった。

 怨恨の線については、城之内はアリバイが成立したため、彼女を犯人と信じている狭山の本意に反して、捜査は四宮、楢原、清水の三人に重点が置かれた。死体発見現場付近で顔写真を見せては、事件日にその姿を見ていないかの聞き込みを行ったが、有力な情報は何一つとして掴めなかった。

 藤崎朋の死体が発見されてから五日が経過しても状況が進展しなかったため、捜査の幅を広げることになった。既存の三名から四宮と楢原の親族も被疑者に加えたのだ。しかし四宮と楢原の両親は、現在は両夫婦とも県外に出ている事が分かり、すぐに除外された。楢原の祖母は既に他界していたので、楢原の祖父であり常盤学園の理事長でもある楢原重信(しげのぶ)だけが残された。

 新たな被害者となる、楢原明日香の両腕が切断された死体が見つかったのは、そんな矢先の日曜未明の事だった。しかも発見場所は、まるで警察を嘲笑うかのように、藤崎と同じ溝川だった。距離としては、数百メートルしか離れてはいない。死亡推定時刻さえも藤崎と同様に、前日の朝一時から二時の間だった。

 これで、新たな被疑者になっていた楢原明日香の祖父である重信も、再び捜査線上から外れることとなった。

 新たな被害者が出たその日の内に、狭山と滝上は今までに事情聴取をした被疑者たちの元へ車を走らせていた。二人はまず四宮のエステサロンへと向かった。エステサロンの受付には、相変わらず高校生に見える若い女性ややキャリアウーマンの三十前後の女性などがソファにズラリと並んでいて、場違いな居心地の悪さが在った。社長室で業務を行っている四宮は、一瞬間前と比べて、頬が少しやつれている様子だった。

「昨夜は、エステサロンのお客を誘って、私の家で三時になるまでお酒を飲んでいました。確認して頂ければ、アリバイは成立するはずです」

 四宮は藤崎が殺されたと知って以降、次は自分が殺されるかもしれないという恐怖から、夜は常に誰かと一緒に居るようにして、自分の身を守っているようだ。滝上たちが名前を聞き出して確認したところ、そのお客は彼女の言う通り、死亡推定時刻には四宮の家で一緒にいたと証言した。そして近所に確認をしたところ、二人で家に入っていくのが目撃されてもおり、それにより四宮のアリバイは証明された。自分の殺害を阻止するために城之内のことを潔く話した楢原が先に殺されたことを、狭山は皮肉だと思った。

 次に、二人は城之内のマンションを訪ねた。

「私はその日もホストクラブで遊んで、そのまま指名したホストとバーに行きました」

「今回もホストクラブに行っていたんですか?」

 城之内のアリバイに、狭山が聞き返した。

「ええ。藤崎さん件で貴方達に容疑者扱いされて、最近とてもストレスが溜まっていたんです。それで、週末だったので羽目を外してそのストレス発散のために」

 狭山は俄かには信じられなかったが、これも件のホストクラブや教えられたバーのマスターや確認したところ、四宮と同様に簡単に裏付けが取れた。

 まったく納得していない狭山を助手席に滝上は、今度は、水の自宅へと向けてハンドルを切った。

「前にも言ったと思いますが、僕は夜更かしをしないので寝ていました。残念ですが、それを証明することはできません」

 清水の家はプレハブタイプの戸建てで、必要なものを極力排除してアトリエを兼用できるようにしていた。ちょうど絵画教室を終えたばかりで、室内には生徒たちが描いた玉石混淆の絵が散乱していた。

「僕からも質問があるんですが、まだ城之内先輩の事を疑っているんですか?」

 清水は以前二人に見せた事のある、感情の死んだ目をしていた。

「いえ、彼女には二件ともにアリバイがあるので、現状では被疑者からは遠ざかっています。もちろん、完全に白であるとはまだ断定できませんが」

 嘘を交えながらも、本来ならば外部に漏らしてはならない捜査状況を、狭山はあっさりと告白した。横では、滝上が面を食らっていた。

「すみませんが、今のは口外しないようお願いします」

「ええ、大丈夫です。ちゃんと気をつけますよ」

 現状の捜査線では城之内が被疑者からは外れていることに溜飲を下げた清水は、いつも装っている笑顔に戻っていた。

 清水の家から出て、二人は最後に、今回の被害者家族である楢原重信の家へと向かった。

 道中、滝上が狭山に聞いた。

「先輩、内部情報を漏らしたの、あれは守秘義務違反ですよ。あと、先輩は城之内のこと、どうしてあんな事を言ったんですか?」

 因縁のある藤崎朋、楢原明日香という二人の人物が殺害されたことにより、通り魔の線はほとんど消去されていた。捜査本部の見解では、少しでも捜査を攪乱させるために、犯行方法を模倣した。凶器の一致だけは見逃せないものの、あるいは両事件の犯人は知り合いだという可能性もあるとしており、この辺りついては、犯人を逮捕すれば自ずと答えが分かるだろうと考えていた。アリバイのある城之内は、狭山の考えである実行犯ではないにしろ、首謀者あるいは関係者の疑いが濃くなり、現在では重要被疑者として浮上している。つまり、城之内が被疑者から遠ざかっているとは、真っ赤な嘘だったのだ。

「だってお前、あいつは城之内に異常に執着してるんだぞ。変に疑っているとか言ってみろ。もし城之内が犯人だった場合、あいつがなにかしらの工作をして手助けをするかもしれない。ああいう輩には、できるだけ満足してもらって大人しくさせておくのが一番だ」

「なるほど」

 確かに、ああいった人種は行動の予測が難しいので、事前に予防しておけるならそれが良策だと、滝上も納得した。

 楢原重信の家は純和風の武家屋敷の様な造りをしていて、松の木が敷き詰められた庭園には池や鹿威しまであった。この家には若干不似合いのインターフォンを滝上が押すと、屋内から使用人が出てきて二人の対応をした。四十代で白髪混じりの、背の低い女性だった。

 滝上は警察という身分を明かし、重信への取り次ぎを依頼したが、使用人はそれを拒んだ。

「申し訳ありませんが、今は誰ともお会いしたくないとのことですので、お引き取り願えませんでしょうか?」

 使用人にそう言われたのを、はいそうですかと易々と承認して踵を返すなんて出来るはずもなく、強面をした狭山が使用人の前に出た。

 狭山はアメとムチを主に九対一の割合で完璧に使いこなし、ほぼ強制的にその使用人に重信が座する部屋に通してもらった。

 滝上は少しやり過ぎのようにも感じたが、それについて狭山に意見する事は無かった。

 使用人に通されたのは和室だった。障子戸を開けると、そこには重信が何もせずにただ胡坐をかいており、首を傾けて呆と畳を眺めていた。二人に気がつく様子がなかったので、狭山が重信に声を掛けた。

「楢原重信さんですね。今朝の事件の事で、お聞きしたい事があります」

 重信はやっと二人の存在を認識した。

「ああ、警察か。使用人には伝えて置いたのだが、分かって頂けなかったかな。申し訳ないが、今は一人で居たいんだ。帰ってくれ」

 重信は目を虚ろにして言った。その姿を見た滝上に、同情の念が芽生えた。そして、こんな状態ではまともな聴取が出来ないと思い、小声で狭山に出直しを提言した。しかし、狭山は後輩のそんな案をあっさりと一蹴する。

「それは出来ん。出直すってのは、それだけ相手に時間を与えるってことだ。それは、もしこいつが犯人だったら、重要な証拠を隠滅する猶予を与えてしまうってことに繋がるんだ。だから、聞ける話は全部この場で聞いて帰る」

 人として容赦のない狭山のその姿勢は、けれど警察官としては当然だった。滝上もその事は理解しているので、それ以上は何も言わなかった。

 但し、これには今まで憔悴していた重信が反論をした。

「貴様は、私が自分の孫を殺したとでも言いたいのか!」

 実際のところ、両腕を切断するという猟奇的な方法で、しかも立て続けに凶器としてピアノ線を用いるということから、今回の事件には計画性も感じられ、捜査本部は事実上、被害者の肉親である亨、百恵、重信についてはもう被疑者から除外している。しかし狭山は、この激昂は都合が良いと判断し、亨や百恵の時と同じように重信を焚きつけた。

「殺していないというのなら、疚しい事はないでしょう。であるなら、一日でも早い犯人逮捕に協力をお願いします」

 狭山の一歩の引かない態度に、重信は感情的になりながら事情聴取を受けることを認めた。

「いいだろう。そこまでいうなら貴様の話を聞いてやる」

 重信への聴取は、直々に指名を受けた狭山が行うことにした。

「まずはアリバイからお聞きします。金曜日の深夜零時以降は何をされていましたか?」

「その時間ならもう寝ていたよ」

 吐き捨てるように重信は言った。狭山はそんな重信の怒りに気を留めることは無く先を続けた。

「それでは常盤学園の人事について教えてください。何故、城之内さんをご自身の経営する学園で働かせていたのですか?」

「何故とはどういう意味だ? まさか、警察は『事故』の事を掴んでいるのか?」

 城之内という名前に、重信は過敏な反応を示した。重信は自身の孫である楢原明日香が警察に情報を漏洩していることを知らなかったので、警察が城之内の事件について把握していることに少なからず驚愕したのだ。とはいえ、その驚きも当然であった。四宮家や常盤学園の力を動員し、当時の新聞などのあらゆる媒体にも、そういった情報はどこにも報道されてはいないからだ。実際、警察で裏付けを行ってみたが、口頭での証言を除き、形として証拠になるものは何も発見できなかった。

「どこでそれを知った。まさか、あの娘が暴露したのか?」

「いえ、違います。本来は守秘義務に違反するのですが、教えてくれたのはお孫さんです」

 狭山は重信に言い放った。滝上は再び内部情報を漏らした狭山には、先ほどと同じで何か考えがあるのだろうと思った。しかし、その意図を理解する事は出来なかった。

「そうか。明日香が教えていたのか。まあいい。これだけの騒ぎが起きれば、いずれ噂も表面化する。これ以上隠し通すのも無理だろう」

 常盤学園を思いながら、重信は溜め息を吐いた。

「それで、どうして城之内美紀を雇っていたんですか。彼女が学内にいることによって、そもそも事件の噂が拡大する危険性を孕んでいたでしょう」

「全てを知っているのなら話すが、あの事件の事は城之内の母子には金で手打ちにしてもらった。母親は最後まで反対をしていたが、あの家は貧しかったのでな、最終的に娘の方が、親子二人が生活をするのに十分な金を毎月で、一生払い続けるという条件を提示して、事故として済ませる了承した。私たちは快くその条件を受け入れた。私たちにとっては、一つの家庭の一生分の生活費など、イメージダウンでのブランド価値の減少と、それに因る企業の利益損失を考えれば安いものだったからだ。後は、四宮さんがその権力を使って周囲を抱き込めば揉み消しは完了だった。そこまでは実に容易かったよ。しかし問題はそれを継続させる事だ。仮に城之内の娘が勝手に県外に出ていくだけでも、動向が掴めなくなり、どうなるかはわかったものではない。それにまったく働いていない母子家庭の親子が裕福な生活をしていれば、嗅ぎまわる輩も出てこないとは限らない。そこで、監視のために事務員としてウチで働かせていたのだ」

 それが、常盤学園で城之内を雇う経緯だった。滝上は、楢原明日香に聞いた時と同様の不快感を覚えていた。そんな後輩の様子に気が付きつつも、狭山は構わずに次の質問をした。

「では、お孫さんを働かせていたのはどうしてですか? 城之内美紀がいる常盤学園は、彼女にとっては決して働きたくない職場だったでしょう」

「だからだよ。明日香は私が見込んだ男と結婚をさせたのだが、すぐに婚姻生活を破綻させて戻ってきた。だが、私の息子夫婦はあの子しか授かることが出来なんだので、息子の次の代で常盤学園を継いでもらう男が必要だ。その為にはあの子には出来るだけ早く再婚をして、男児を為してもらわんと困る。わざと働き難い場所に置けば、そこに居るのが嫌になって、出ていくためにさっさと再婚するだろうと考えたのだ」

 合点がいった狭山は、人事について最後に、清水佑介の事を尋ねた。けれど、残念ながら重信は清水の噂の件は知らなかった。狭山の口から城之内のストーカーかもしれないと聞いて、目を見開いていたほどだ。清水は自らの絵画の実力で、正式に常盤学園の教師の座を掴みとっていたことがわかった。狭山と滝上は、城之内と一緒の場所に居たいという清水の怨念染みた執着を感じた気がした。

「これで最後です。明日香さんを殺害するような人物に心当たりはありますか?」

「あれも随分と周囲から不満を買っていたから、色々と恨まれてはいるだろう。だが、殺すなんて事に至るような人物なら、私の知る限りでは城之内の娘くらいだな」

「そうですか。ご協力ありがとうございました」

 そう言って、狭山たちは楢原邸を後にして、捜査本部へと引き返した。使用人には、二人は改めて謝罪をしておいた。

「先輩。楢原重信にはどうして、楢原明日香から情報提供してもらったことをばらしたんですか? 何か考えがあったんですよね」

「そりゃあ、なんでもかんでも教えてくれじゃあ反発されるだろ。お前は今までやってきた聴取で何も学ばなかったのか。時にはこっちからも教えてやると、向こうもそれに応じて喋ってくれることもあるだろう」

「そうだったんですね。それにしても先輩って顔に似合わずに、意外と色々考えているんですね」

 口に出してから、滝上は余計な一言だったと後悔した。もちろん狭山が聞き逃すことなどなく、滝上は捜査本部に戻るまでずっといびられる事となった。

 後悔が先に立てば良かったのにと、滝上は心の中で嘆いた。

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