第十二話
漆
城之内から渡された名刺から、狭山たちはアリバイ確認のためマンションから即座にホストクラブを訪れた。早蕨駅から少し離れた場所にあるネオン街の一角に、そのホストクラブは在った。
黒を基調としたシックな外観とは裏腹に、大きなシャンデリアや沢山の間接照明に照らされた店内は、まるで別世界のように煌びやかだった。まだ開店直後という事もあり客数は多くなかったが、それでも午後六時過ぎのこの時間でも、既に何人かのホストが客の接待をしていた。
これが夜も更ければ、シャンパンコールのような沢山のホストによる掛け声や女性客の歓声によって周囲はとても賑やかになり、様々な世代の女性客がそれぞれの懇意にしているホストとの、嘘に満ちた仮初の夜を楽しそうに過ごすのだろう。
そんな事を考えながら、フロアの脇で滝上がこのホストクラブの責任者に、金曜の深夜に城之内が来店したかどうかの確認をしていた。その責任者は彼女の顔を覚えているらしく、すぐにそれを肯定した。そして奥の部屋から、一人のホストを連れてきた。趣味の悪いシルバーアクセサリーを身に着け、黒スーツに金髪の男が、その姿を現した。
「先週の金曜日、こいつが彼女の相手をしてたんです」
スポーツマンを彷彿とさせる、色黒で筋肉質なその責任者が言った。
「ということは、貴方が聖夜さん……ですか?」
自分が想像していた通りの、あからさまなホスト然とした恰好の男に少し気を引きながら、滝上が尋ねた。
「はい、そうです」
「では、城之内美紀という女性をご存知ですよね」
「知ってます。城之内さんには週一くらいで指名を頂いて、とてもよくしてもらってますよ」
そう言って笑顔を浮かべた聖夜という源氏名のホストは、それからあっさりと城之内のアリバイを証言した。
「先週の金曜でしたら、城之内さんには十一時半頃に店に来て頂いて、閉店時間の翌日一時まで楽しんでもらいました。その後はアフターに誘われたので、カラオケに行って、そこに朝の六時頃まで居ました」
意外にもちゃんとした受け答えをする目の前のホストを見直しながら、滝上は手帳へとメモを取っていた。
「では、ずっと彼女と一緒だったという事で間違いはないですか?」
「当然お手洗いとかで数分間目を離したりはしましたけど、基本的にはずっと一緒にいましたよ」
「そのカラオケ店というのは、この店で間違いないですか?」
城之内から受け取ったレシートを見せ、滝上が確認をした。それを眺めながら、ホストは大きく首を縦に振った。
「そうです、ここで間違いないです。もしかして、城之内さんがあの両腕が切断されてたっていう事件の犯人なんですか?」
「いえ、それはまだわかりません。現在調査中という所ですね。ご協力ありがとうございました」
責任者の男とホストに頭を下げて二人はホストクラブを出て行き、次は件のカラオケ店へと向かった。カラオケ店はここからそう遠くなかったので、狭山たちは歩いてその場所を目指した。歩き煙草は県の条例違反であり、警察官の自分が真っ先にそれを破るわけには行かなかったので、狭山は口元の寂しさを紛らわせるために咥え煙草をするだけで、火を点けるのは控えておいた。
十分程で、目的地であった六階建てのビル型のカラオケ店に入った。店内は自動ドアから正面に進んだ所に受付があり、その脇の通路の奥にエレベータが、受付の右側には従業員用の階段が設けられている。
滝上は受付をしていた店員に警察手帳を翳し、責任者を呼ぶように伝えた。少しの困惑を浮かべながら、その店員はインカムを使って店長を呼び出した。三分程で、向かって右側に階段から、三十代の男性で、黒縁眼鏡を掛けた中肉中背の店長が降りてきた。
「お手数ですが、先の殺人事件に関連して、少し確認をしたいことがありますので、防犯カメラを確認させて頂けませんか?」
店長に対して再度警察手帳を翳しながら、滝上が言った。店長の男は俄かに事態が呑み込めなかったものの、警察に反抗することは無く、あっさりと受付の裏の事務室に狭山と滝上を招き入れた。滝上が店長に、証拠品であるレシートを見せ、そこに記載されていた利用時間の間を早送りで進めるように依頼した。
防犯カメラの機械の、ステレオのボリューム調節のようなつまみを回しながら、店長は日付を二日前の午前一時に戻し、そこから早送りで映像の再生を始めた。
高速で流れていく映像を、狭山と滝上が視神経に意識を集中させて眺める。
「本当だったかぁ」
約五時間分の映像を十分足らずで見終えた滝上が、残念そうに呟いた。防犯カメラを確認した結果、城之内や彼女が懇意にしているホストの証言通り、二人は一時十分頃にこのカラオケ店に入店し、その後はずっと店内に留まっていた。勿論、途中でどちらかが外に出たような形跡は無い。
つまり、鑑識による被害者の死亡推定時刻は午前一時から二時の間には、城之内には完璧なアリバイがあるということだ。このカラオケ店から常盤学園は、深夜の空いた道を車で飛ばしたとしても、往復で最低でも十五分から二十分は掛かる。さらに、両腕を切断するという犯行時間を加味すれば、もっと時間を要するだろう。となれば、城之内にはどう頑張っても藤崎朋の殺害は不可能である。
滝上はそのように考え、自分の頭の中から、城之内美紀という被疑者を完全に除外した。けれど、狭山には、その事実が信じられなかった。しかし映像としてしっかりと録画されている以上、その時間にこの場所に居たということは疑う余地がない。
仕方なく狭山は、滝上を連れていったん署へ戻ることにした。捜査本部の道すがら、滝上が未だ納得がいっていない狭山を宥めていた
「まあまあ先輩。とりあえず被疑者が一人減ったことを喜びましょうよ」
「そりゃあそうだが。それにしたって、あんな深夜のピンポイントでアリバイがあるなんて、あまりにも出来過ぎていないか。四宮や楢原や清水といった他の被疑者にはアリバイが無いのに、唯一完全なアリバイが成立しているなんて、どこか怪しくないか?」
「でも、実際に防犯カメラに映像が残っているんだから、仕方ないですよ。入店時と退店時には顔もばっちり映っていましたから本人であることは間違いがなかったですし、素直に認めるしかないですって」
確かに滝上の言う通り、事実を否定するばかりでは前には進まない。事実は事実として受け止め、その上で思考を発展させて事件を解決に向かわせる方がより建設的だ。そう気持ちを切り替ええようとした狭山は、頭を冷やすために軽く深呼吸をした。
「そうだな。それに予想と違ったからといって、捜査がまったくの振り出しに戻ったって訳じゃない」
そうやって強がってはみたものの、結局気持ちの切り替えをすることは叶わず、狭山は城之内への疑惑を拭うことが出来なかった。あまりにも都合が良く、そして出来過ぎたあのアリバイが、どうしても納得いかないのだ。動機の有無を除いても、狭山は直感的に城之内を犯人だと思った。そしてそんな自分の勘を、狭山は信じた。
城之内のアリバイに関して、狭山がもやもやとした気分を抱えながら滝上と共に早蕨警察署へと引き返した頃、捜査本部は慌ただしい様相を呈していた。状況が掴めていない二人は、三上と吉沢を見つけて説明を求めた。
「なんだか騒々しいみたいですけど、一体どうしたんですか?」
「おお、狭山に滝上か。実はな、不明だった藤崎の両腕が見つかったんだ」
狭山たちはその情報を聞いて驚き、そしてすぐに事態を理解した。そして三上から、二人に現状の解説がなされた。
「藤崎の両腕が見つかったのは七時頃。つまり、今からだいたい一時間ほど前ということになるな。発見場所は早蕨駅に設置されているゴミ箱で、中身が見えないようご丁寧に黒色のゴミ袋に入れて捨てられていたらしい。発見者はアパレルショップで働いている三十代の男性。今日は仕事が休みだったらしく、その男は既に結構な量の酒を飲んでいて、酔っぱらった勢いで駅のゴミ箱を倒しちまったらしい。ただ悪い奴じゃなかったみたいで、ゴミが巻き散ったからそれを集めてゴミ箱に戻していたらしいんだ。そしたら件の黒いゴミ袋を見つけて、持った時に不審を感じたから中身を調べてみたところ、そこには人間の両腕が入っていたそうだ。ちなみに駅員に確認したところ、ゴミ収集は朝の十一時、夕方の五時、夜の十時の三回らしく、夕方の五時にはそのような袋は見ていないとのことだ。そして両腕は回収後に鑑識に回され、それが藤崎ものであるということは判明した。今の所はそんな感じだな。それで、何か質問はあるかな?」
三上が緊張感の走った雰囲気を和ませようと、少し巫山戯て教師のような口振りをした。狭山たちは三上のそんな気遣いを意識する余裕もなく、一切気に留めなかった。
「犯人に繋がるような手がかりは何かありましたか?」
「良いか悪いかは置いといて、幾つかわかった事あるぞ。まず、発見された腕の両手首に、縛られた痕があった。その痕から、藤崎は後ろ手で縛られた状態の腕を切り落とされていると推測された。それから、これは結論から言うが、例の連続動物切断遺棄事件の犯人と今回の犯人はおそらく同一人物だ」
「どうして分かったんですか?」
「生安に事件の捜査資料を提供してもらったんだ。その中には切断された動物の写真もあってな。鑑識に藤崎の死体の切断面を、その写真のものと比べてもらったんだ。そしたら、ほぼ同じ形状の切断面をしていたことがわかった。つまり、切断手口が一緒だと言う事だな」
「本当に関連があったんですね。シンさんの読み通りだ。さすがです」
三上の刑事としての能力の高さに滝上が感心しており、狭山は先の出来事も含め自分の未熟さを痛感していた。
「まあまあ、そう褒めるな」
自信満々といった様子で、三上が口だけの謙遜をした。
「ちなみに凶器も絞れたらしいんだが……。信じられんかもしれんが、ピアノ線だった」
言葉通り、狭山と滝上は信じられずに唖然とした。
「ピアノ線……ですか? 必殺仕事人じゃないんだから、そんなもので人の両腕が切断できるなんて思えませんけど」
「そうか? 昔の戦場では、馬の脚やそれに乗った人間の首を刎ねるのに用いられたこともあるらしいぞ」
滝上の疑問に、吉沢は平然とした顔で答えた。吉沢はどうしてそんなことを知っていて、そしてそれを平気に言えるのだろうと新たに芽生えた疑問を、滝上はそっと胸に仕舞った。
「まあ吉沢さんの言うように仮にそれで切断が可能だったとしても、相当な力が必要だろうな。だが、問題なのはそんなことじゃない」
「ああ、その通りだ」
狭山と吉沢は神妙な顔をして言い、三上が黙って頷いていた。今この場で、その事を理解できていないのは新米の滝上だけであった。
「え、どういう意味ですか?」
滝上が、その疎外感に耐えられずに質問をした。叱りつけるのとは違う鋭い目付きをして、相棒である狭山がそれに答えた。
「俺たちは今まで、藤崎の殺人を怨恨の線で捜査していた。しかし動物切断遺棄事件の犯人と同じとわかった以上、通り魔的な偶然で殺された可能性も、同時に高くなってしまったというわけだ」
狭山に説明されて、やっとその事実に気がついた滝上は、三上が『良いか悪いかは置いといて』なんて前置きをした理由にも思い至った。一方、狭山は滝上にそう説いたものの、やはり心の底では城之内が犯人だと考えていた。
「とりあえず管理官の指示で、捜査での無駄な混乱を避けるために、これらのことはマスコミには伏せ、今後は連続動物切断遺棄事件の犯人に因る通り魔と、怨恨の線を並行して調べていく事になるみたいだ。まあ、取り敢えず捜査は着実に進展しているんだから、気を落とす必要は何も無い」
最後に三上が手を叩いて話を閉め、情報の共有は終わった。
「けど、これで本当に通り魔だったら、捜査はまったくの振り出しになっちゃうかもしれませんね」
頭を掻きながら、滝上が恨めしそうに呟いた。