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狂い人  作者: 初心者
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第十一話

                   陸


「あの清水って美術教師、目が完全におかしかったですよね」

 楢原に教えてもらった城之内の住所まで車を走らせている車中で、滝上が怯えたように言った。

「今回の殺人事件、あの人が犯人なんじゃないですか?」

 滝上がそう思うのも無理は無いが、狭山はその考えを否定した。

「もし清水が犯人なら、狙いは四宮、楢原、藤崎の三人になるはずだ。なら、まだ一人しか殺していないこの段階では、さすがに自分が犯人だなんて思われるような事は言わないだろう。ああいう狂信的なタイプは、どちらかと言えば犯人を庇うほうだな」

「そういうもんですかね」

 滝上は納得していなかったが、狭山は先の清水の態度から、城之内が犯人であるかもしれないと考えていた。十分な動機もあり、またもし清水のああいった部分を把握しているのなら、利用して身代りにすることも容易いだろうと思ったからだ。

 常盤学園から十分ほどで、メモ用紙に記載されていた住所に到着した。城之内が住んでいるのはコートハウス型の十階建てのマンションだった。AからCまでの三棟があり、中庭を囲むように片仮名の『コ』のを左に九十度回転させた形で建てられている。中庭はタイルで舗装されており、等間隔でベンチや花壇が設置されたりフェイジョアが植えられたりしている。居住スペースは二階から上になっており、一階部分は全て駐車場として活用されていた。

 楢原に教えられたB棟は『コ』でいうと縦線の部分にあたる。乗ってきた車は来客用の駐車スペースに停めた。

 エントランスにあるオートロックシステムのインターフォンで、滝上が城之内の部屋番号を押した。少しして、スピーカーを通して若い女性の声が聞こえた。城之内美紀である。

「すみません。早蕨南警察署の者なんですけど、ちょっとお話を伺わせてもらっていいですか?」

 返事は無かったが、代わりにオートロックのドアが開いた。狭山たちは了承と解釈して、マンションの中へと入って行った。

 エレベータで八階まで上がり、城之内の部屋へと向かった。周囲には高層の建物が少なく、この場所の八階からの眺めは遠くまで見えて爽快だった。

 八○八号室のドアをノックすると、チェーンを付けた玄関越しに城之内が顔を覗かせた。栗色のセミロングで、毛先にだけ軽くウェーブがかかっている。大きめな瞳と百五十センチという小柄な体格はいつも、彼女を実年齢よりも幼く見させていた。しかし今は顔が少し窶れており、またその大きい両目の下にはうっすらと隈ができていてので、本来よりも幾分か老けて見えた。その様子を見て滝上は、体調が悪そうだなと、そんなことを呆と考えていた。

 滝上たちが警察手帳を見せて改めて名乗ると、城之内はチェーンを外して二人を居間へと招き入れた。九十平米以上ある2LDKの城之内の部屋は、一見して二十八歳の学校事務員が住めるようなマンションでないとわかる。それだけで、城之内が普通では考えられない額の収入があるという話が事実だと物語っていた。

 部屋の壁の至る所にはルーベンス、ダリ、ダヴィンチといった様々な芸術家の作品の複製画やポスターが飾られていた。居間には生活必需品は多くなく、代わりに筆や絵具、それから色鉛筆などの美術用具が散乱している。今時パソコンすらないのは珍しいなと、狭山は思った。冷蔵庫の横には開いたままのスケッチブックがあった。乱雑に上から何度もバツが書かれ、完成途中で止めてしまった風景画が見えていた。素人の狭山や滝上からは、とても上手な絵に見えた。けれど、少なくとも城之内にとってそれは、とても不完全な出来だった。

 狭山はその絵を見て、彼女はまだ絵を描くことに未練があるのだと悟った。

 広い居間にはサイズの合っていない小さな楕円型の折れ脚テーブルに、城之内は人数分のお茶を用意した。容器を差し出すときに、彼女の右手が小刻みに震えていたのを狭山は確認した。

 話は城之内から切り出された。

「聞きたいことというのは、藤崎さんのことでしょうか?」

「ええ、彼女が殺された事はご存知ですよね。そのことで幾つか……」

 滝上の言葉を、城之内が遮る。

「いずれは来るんじゃないかとは思ってたんですが、早かったですね。私が昔の事故で、右手に後遺症があるのを聞いてきたんですか?」

「事故……ですか? 僕たちが聞いた内容とは少し違いますね」

「誰から教えてもらったのかはわかりませんが、あれは『事故』ですよ。私の不注意で階段を踏み外してしまっただけです。何を聞かれても、私にはそうとしか言えません」

 人生を金で買ったという後輩の台詞を、狭山は思い出していた。

「なるほど。ではその『事故』のことで、藤崎さんに恨みを持ったりはしていないですか?」

 滝上は自分のその質問に城之内が気分を害して感情的になるのではと覚悟したが、その予想に反して彼女は、悪戯をした幼稚園児を許す時の保育士のような、柔らかい笑みを浮かべた。

「本音を言えば、恨んでないなんて事はないですよ。それこそ、殺してやるって考えたことだってあります。でも、さすがに実行には移しませんよ。だってもし藤崎さんが殺されたら、『事故』の事がばれた時に私が真っ先に疑われるでしょう。それに母のこともあったので、いくら恨んでいたとしても殺人を自制することくらいはできます」

「確かに、その通りかもしれませんね。そういえば、城之内さんは母子家庭とお聞きしましたが、お母様とは今は別々に暮らしているんですか?」

「母は私が十九の時に脳梗塞で急に倒れてしまって、以来ずっと入院していました。けれど、五月の始めに体調が急変してしまって、そのまま」

「そうですか……。大変失礼ですが、お母様はどちらの病院に入……」

「早蕨中央病院に入院していました」

 城之内が再び滝上の話を中断させた。滝上はその関連性に驚いていたが、一方で狭山は、彼女には人の話を最後まで聞かずに乗っ取る悪癖があるなと、冷静にそんな分析をしていた。

「既に知っているかもしれませんが、藤崎さんが働いていた病院です。でも、藤崎さんがその病院に就職したのはまったくの偶然なんですよ。近親者が誰も居ないので母の入院先の病院は私以外誰も知りませんでしたから。葬儀でさえ密葬でしたからね。だから母のお見舞いで病院に行って藤崎さんを見たとき、本当に驚いたんですよ」

 藤崎は、城之内の母親の死を知っていた。そして五月の始めというのは、彼女が四宮と楢原を呼び出したのとほぼ同じ時期だ。自分が人生を台無しにしてしまった城之内の母の、死に近づいていたその姿を見た事が、きっと藤崎朋に罪悪感を目覚めさせる切っ掛けになったのだろうと、狭山と滝上はそのような思いを抱いた。

「では最後に、先週の金曜日の深夜、いったい何をされていたか教えてください?」

「金曜の深夜なら、行きつけのホストクラブでお酒を飲んで、その後はアフターというシステムで贔屓にしているホストと朝方までカラオケをしていました」

「ホストクラブ……ですか?」

 予期していなかった返答に、滝上が思わず聞き返した。

「ええ、ホストクラブです。お恥ずかしながら、週末にはよく足を運んで、そのホストに貢いでしまっている有様でして。あ、ちょっとまってくださいね」

 立ち上がった城之内が鞄から財布を取り出し、無駄に凝ったデザインをしたホストの名刺と、アリバイの証拠となるカラオケのレシートを滝上に渡した。狭山が訝しんで覗き込むと、そのレシートには土曜の日付と、入退室の時間が記載されていた。そのレシートによると、二人で、深夜の一時過ぎから明朝六時までそのカラオケ店に居たらしい事がわかる。しかしそれを見てもまだ、狭山の城之内への疑惑が弱まることはなかった。

「どうせゴミになるので、それは差し上げます。これで私のアリバイは証明できたでしょうか?」

「これから裏付けをするのでまだ何とも言えませんが、これはありがたく頂いておきます」

 滝上が名刺とレシートをスーツの内ポケットに仕舞った。聞くべきことは一通り聴取したので、狭山たちは城之内の家を後にすることにした。

「そちらの背が高い方の刑事さんはまだ私のことを疑っているみたいなので釘を刺しておきますけど、私は藤崎さんを殺してはいませんよ」

 玄関から出ていく前に、城之内が狭山に向かって、最初と同じ笑顔で言った。城之内は恨みを話したときも親の死を語った時も、結局その微笑みの表情を崩さなかった。狭山は、それを不気味だと思った。

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