003
教室の窓際で、レースのカーテンがそよ風に揺れるその傍ら。背筋をピンと伸ばした正に読書のお手本とも呼べる美しい姿勢で、文庫本を手にしていた。目を奪うとは面白い慣用句だなと、俺はそう思った。
今まさに、俺の目はこの光景に目を奪われていたからだ。
さらりと流れる様な黒髪に、すらりとした華奢な容姿。知的で品行方正な雰囲気を醸しだす彼女は、触れれば消えてしまいそうな程にどこか儚く、まるで幻のようだった。
この光景を切り取り、豪華な装飾のされた額に入れて、どこかの大広間にでも飾りたいとさえ思った――彼女の手にしている文庫本の表紙が、萌えキャラクターの描かれたライトノベルでさえなければ。
「そんな所でいつまでも何をしているの」
彼女は、こちらを一瞥もせず無機質にそう言った。
まるで、俺に興味など微塵も無いかのように。
「え……いや、その……はい」
突然話し掛けられた俺はと言うと、勝手に一人であたふたしていた。我ながらなんて女々しく、惨めなのだろうか。取り敢えず、近くの空いている椅子に腰を掛けることにした。
取り敢えず、両腕を組みながら現在の状況について確認するとしよう。
俺は明成優に呼び出され、部活動申請用紙を桐陣に渡して欲しいと頼まれ、文化棟の同人堂と書かれたプレートの掛けられた部室までやって来て、扉を開くと美少女が本を読んでおり、何故か密室で二人きり。
あれ、確認してみれば大した状況じゃないじゃないか。
普通の人にとっては、だが。
ぼっちにとって、密室で二人きりだなんてただの生き地獄でしかない。しかも、こんな美少女との二人きりだなんて最早、いじめと何ら変わりない。相手に気まずいと思われていないだろうかとか、俺の事をどう思っているのだろうかとか、自分の事以前に相手からどう思われているのかを先に考えてしまうからだ。
ああ、なんか変な汗掻いてきた。
桐陣は切りの良いところまで読み終えたのか、栞を挟み込み、文庫本をパタンと閉じた。ゆっくりと椅子から立ち上がると、引出しから一枚の紙を手にして、こちらへとやって来た。
「では、ここへ学年、クラス、名前、特記事項への記入をお願いします」
「入部届……?」
その紙は、この部活動への入部届だった。どうやら、入部希望者と間違われているらしい。上から下まで一通り目を通してみると、後半の特記事項欄で目を止めた。□にチェックをする欄があるのだが、イラスト、漫画、シナリオ、プログラム、サウンド、その他――と書かれている。
ここは、一体何部なんだ。
俺は、辺りをきょろきょろと、ここが何部なのかと言うヒントが隠されていないかと、名探偵さながらに目だけをキリっとさせて見渡す。ぼっちの洞察力というものを舐めてはいけない。
常に机の上で突っ伏して寝ているフリをしながら、クラス内でどんな会話をしているのかその全ての会話に聞き耳を立て、周囲がどんな話題で盛り上がり、どんなことがあったのか、最近誰と付き合い始めたのかなど――俺が口を一度として、開くことなくそれらすべての情報を把握している。
もちろん、いつ誰に話し掛けられてもすんなりと会話に入れるようにしているとかそういうものでは無い。ただの暇潰しだ。誰とも関わらないようにするためには、外界をシャットアウトしなければならない。そうするのに都合の良いのが、寝たふりと言うだけのことだ。
さて、日々の鍛練で鍛え上げられた俺ん洞察力を活かしてやろうじゃないか。
本棚に収納されているのは、大量の漫画やライトノベル。反対側には、ガラス張りのコレクションラックがあり、その中にはアニメや漫画のキャラクターであろうフィギュアが所狭しと並んでいる。
この部室に入った時は、不覚にも桐陣に目を奪われてまるで気が付かなかったが、なんなんだこのやたらとオタク臭い部室は。
この部室の異様な光景と入部届の特記事項欄を合わせて考えてみても、漫画研究部くらいしか思いつかないが――確か、部活動一覧のパンフレットにも部活動紹介でも漫画研究部なんて無かったはずだ。
だとしたら、趣味丸出しの痛々しいこの部屋は一体何なんだ。何部だろうと気にせず、部活動申請用紙をさっさ渡して帰るつもりだったのに――その時、俺はハッとして気付く。恐らく、俺の背景には電流が走っていたに違いない。
既に俺の手の内に答えは在ったのだ。
決定的になったのは、明成先生に渡されたこの部活動申請用紙だ。これは、新たな部活動として設立さされる部活動へと宛てられたものだ。つまり、この部活動はまだ正式な部活動として申請されていないと言うことだ。それなら、部活動紹介で紹介などされていなくとも仕方が無いということだ。
明成優の部活動申請用紙、同人堂と書かれたプレート、オタク臭い部室――なるほど、謎はすべて解けた。解けてしまえば造作も無いことだったな。その謎が自分の中で解決し、俺は不敵に笑みを浮かべた。