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恋慕する魔王(1)

 暗い箱に身を潜め、魔王は過去にいけ好かない臣下が、やけに胸を張って自分に対して言った言葉を思い出していた。


 ──魔王様には、消せぬ存在感がありますな。それはあまりに神々しく、誰にも消すことなどできないでしょう。


 上手い賞賛だとでも思ったのか、それとも内心では正反対のことを考えていたのか、にやにやと笑う顔に、余程全力で殴りつけてやろうかと思ったのをよく憶えている。理性が効いて良かった。

 ただ物理的攻撃は我慢できたのだが、そちらに集中するあまり魔法がコントロールできずに、つい玉座の後ろに飾ってある、先代魔王が過去の勇者から奪った剣に雷を落としてしまった。

 それはそれでお茶目なものだろう。剣は傷ひとつ付いてはいなかった。故に実害はゼロだ。

 と、言ったのに、魔王の宰相は「屁理屈を言わないでください! 全っ然、我慢できてないじゃないですか!」ときゃんきゃん騒いでいた。良いじゃないか、このくらいのトラブル。それにあの時は、お前の方が目が据わって怖かったぞ。

 宰相は人格者で真面目でよく働く男だが、どうも頭が固いところがある。あれでは将来ハゲるだろう。あと胃を痛める。「健康には気を付けろよ」と頭を……正確には、その上の髪の毛を見ながら言ったら、本気で射殺すような目で見られた。冗談だと言うのに。


 そこまで考えたところで、魔王は「そろそろか」と呟く。


 箱の蓋を、よいしょ、と持ち上げた。光が射し込む。魔界は常に曇り空なので、この光には未だに慣れない。気分が明るくなって良いな、とは思う。日光、と呼ばれるコレは、地上界特有のものだ。

 立ち上がる。目的地は、決めていた。今回も上手く辿り着いたようだ。安堵感を覚えながら、森林浴をしたらさぞ気持ち良いであろう森の中に姿を現した。


 魔王がここに初めて来たのは、彼が魔王職に就いて、先代魔王が残してくださった課題の後始末をして、少しした頃のことだ。たしか、……そう、五年程前。

 当時から宰相だった彼が煩くて逃げたくて、魔王城の中を逃げ回っても必ず見つけてくることが鬱陶しくて、「そうだ、地上界に行こう」と思い立ったのが最初だ。界層を渡ることは、普通の者ではできない。宰相も無理だ。せいぜいが薔薇の魔女と呼ばれる彼女くらいだろう。


 そういえば、彼女は息災だろうか。


 魔王の友人としてかなり頻繁に魔王城に出入りしていた彼女は、宰相と本気の喧嘩をして、出て行ってしまった。

 彼女の金切り声は、今でも記憶に残っている。

『あったまきたー! 何よ何よ、あんの馬鹿! 分からず屋! 唐変木(とうへんぼく)! 良いわ、あたし、魔界なんて出ていってやる! 喧嘩ばっかのこんな界層、元々(しょう)に合わないのよ!』

 またいつもの癇癪か。その内帰ってくるだろう。そう呆れ顔で見ていたが、あちらでの生活が本当に気に入ったのか、それともただの意地が──まあ後者だろうが、とにかく彼女はそれ以来魔王城にはぱったりと来なくなった。

 噂で地上界に城を建てたと聞いた。それが町外れで誰も足を踏み入れないような土地だというのだから、やはりあいつはなんだかんだで小心者のお人好しだなと思う。別に彼女の実力があれば、人の多いところだって、魔法にモノを言わせればなんとでもなるだろうに。


 ……閑話休題。

 すぐに話が逸れるのは、自分の悪い癖だ。どうにか直したいものだが、これがまたなかなか難しい。以前も確か──止めよう、キリが無い。


 それで、何の話であったか。……ああ、そうそう、この森に最初に訪れた日のことを話そうとしていたのだ。それから、その後ここに通い詰めるようになった経緯を。



 この森に訪れたのは、ほんの偶然だった。ここに来ようと思った訳ではない。

 ただ、静かな場所に行きたい、と。

 そう願った。

 魔王だって、生き物である。多忙なのである。多忙であれば当然、疲れるのである。息抜きを欲することがあっても、良いではないか。

 「悪いとは言いませんが、せめて一言断りを入れてからにしてくださいよ!」という宰相の泣きが入った気がしたが、魔王は無視した。


 界層を渡る“場所”となっている箱に自分の身を潜らせ、移動。

 見たことの無い光景に、胸を詰まらせる。感動した。このような綺麗な場所があるのか、と。それから、勇者って馬鹿だなと思った。こんな綺麗な世界に留まらずに、わざわざ魔界に来るとは、と。

 ひとしきり心の中ではしゃいでから(なにぶん、顔に感情が出難いタイプなのである)、魔王は森から出ることを決めた。ここがこんなに綺麗なのだから、他にも綺麗な場所があるに違いない。そんな短絡的な考えだった。人間に見つかった場合どうするかなど、然程気にしていなかった。どうにかなるだろう、と楽観的思考で済ませていた。事実、魔王の力を持ってすれば、彼自身が命を落とすことはまずない。代わりの被害を度外視すればの話であるが。


 しかし、方向を何も決めずに歩くのもあまりよろしくない。しばらく考え、川のせせらぎを追って歩くことにした。

「心が洗われるとは、こういうことを言うのか……」

 あのお転婆な魔女の心も、地上界で洗われたのだろうか。しかし静かな彼女など、とても想像できないのだが。あれはぎゃあぎゃあと騒いでいる方が、余程彼女らしく、健全だ。


 なんとはなしにそんなことを考えながら、水の音に迫る。

 草木を掻き分け進むと、そこは森の緑に劣らぬ程、これまた綺麗な場所であった。おおよそ五メートルはある崖の上から、水の束が落ちてきている。魔王は目を見張った。これが滝というやつか。

 水の落ちた先は、川幅よりも少し大きな丸の形を描いている。透き通った水の中を、尾が長い魚が優雅に泳いでいた。ほう、と魔王は感嘆の声を出す。

「綺麗なもんだ」

 素直にそう口にする。これを見せれば少しは宰相の眉間のシワも薄くなるだろうかと、川に手を伸ばす。指先が冷たい水に触れる。ほわん、と広がった水の輪っかに見惚れていたら、奥の方でバシャンと大きな音を立て、影が水から飛び出した。

 思わずビクリと身体を震わせた自分を恥じながら、今度は何だ、とついとそちらに目を向けた。


 ──確実に、今日一番の驚きだった。


 水面から飛び出したのは、全裸の少女だった。女にしては短めの髪の周りを水の玉が泳いでいる。薄い銀の髪は、穏やかな森林によく映えた。

 彼女は、ぷはっ、と口を開き、大きく息を吸う。女性としては控えめな胸が膨らむのに、思わず釘付けになる。

 手には活きの良さそうな魚──先程の尾が長い魚が、ぴちぱちと慌てている。

「よし、夕食確保」

 少女はそんなことを呟きながら、そっと目を開く。その瞳の色は、まるで森林を映したかのように、綺麗な翠だった。

 彼女は、そこに人がいるなど、まるきり考えていなかったようで、その大きな瞳を見開いた。薄く開いた唇に、髪から垂れた水滴が吸い込まれていくのを追いながら、魔王は何も言えずにいた。


 ばしゃり、と魚が水面を打つ音がして、魔王は我に返った。

 女性の身体をガン見するとは不埒な! 自分で自分を叱咤する。それから、何パターンかの言い訳を頭の中に浮かべたが、結局口から出たのは「あ……」というなんとも情けない声だけだった。


 彼女の顔には、既に驚きは無い。

 むっつりとした表情で、悲鳴を上げるわけでも、身体を隠すわけでもなく、魔王の傍まで来ると、ずいっと仰向けにした手を突き出した。

 どういう意図が、と眉を寄せる魔王に、目の前の少女は一切臆することなく言い切った。

「お前、オレの許可も無く裸を見たな。オレは恥ずかしい想いをした。だから慰謝料を寄越せ」


 その態度は実に堂々としていて、背筋は真っ直ぐで、凛としていて、躊躇いの無い眼差しは格好良くて、──魔王の胸は高鳴った。

 自分は、この少女に恋をしたのだ。




魔王様のトキメキポイントが謎。

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