希う堕天使と幻獣(1)
後に堕天使となる少女は、極めて恵まれた環境で、“歌姫”と呼ばれる天使として育てられた。
歌姫──それは特別な天使だ。
声に魔力を乗せ、幸福のために歌うことを生業とする、天界でたったひとつの存在だ。
活動範囲は天界に限らず、場合によっては魔界や地上界へも向かう。
普通の天使は、基本的に天界から出ることを許されていない。許可されずに界層を渡れば、堕ちたと判断される。そもそも、一般の天使は界層を渡ることだってできっこないのだが。堕ちたくても、堕ちることすらできない。
少女が先代から歌姫の座を継承したのは、まだ少女が十の頃の話だ。その前の五年間は歌姫としての特訓をしていたので、実質的に親と暮らしていたのは五歳まで。
その親も、おそらく意識的にだろう、五歳になってからは会う機会もほとんどなかった。
少女をただの天使として可愛がってくれたのは、少女の兄だけで、他の場所ではどこにいっても、彼女は“大事な歌姫”でしかなかった。
これだけ大事にされて、なんの不満があるというのか。
自分は親不孝者──いや、天界不孝者だと悩んだ。
それでも。
両手を父母に引かれて朗らかに笑いながら歩く子供を見るたびに、
楽しげに輪になってお喋りをする、同年代の少女たちを見るたびに、
心のどこかが、渇いた。
そんな自分に近寄ってきてくれる人もいた。
彼は、界層を渡り流れてきた人であるらしかった。天使では禁忌とされる界層渡りは、彼にとっては禁忌ではないらしい。
文化の違いに驚きながら、彼が聞かせてくれる地上界や魔界の話に、心躍らせた。
彼は、少女が天使だと知っていた。けれど、少女が歌姫だとは知らなかった。
──知ったら、敬われるのだろうか。
それが怖くて、少女はとても本当のことは話せずにいた。
多分、だから、罰が下ったのだ。
公の場で、歌姫と知らずに少女に話し掛けた彼は、不届き者として斬られた。
大丈夫ですか、と彼を斬った天使の男は、歌姫に対して、心配そうに口にした。
大丈夫、とは言えなくて。
青褪める歌姫のために、警備は強固され、一人の時間はなくなった。
護られているのだ。
大事にされているのだ。
とてもとても大切な存在だから。
一人の時間はなくなったのに、孤独と感じることが増えた。
その孤独を感じる心すらも忘れかけた頃、“ソレ”は目の前に現れた。
よくできた偶然か、あるいは必然か。
警備が消えた一瞬の隙に、その小さな光は、自分の前に現れた。小さな光の中には、ころころした獣がいる。
くるんとした瞳に、少女は自分と同じものを感じ取った。
──さみしい。
その獣の想いは、直接少女の脳に届いた。まるで共鳴したかのように。
かの獣は、大変貴重な存在だったそうだ。“幻獣”。滅多に人前には姿を現さず、自然と共に生き、自然と共に死ぬもの。
本当は大きな獣なんだよ、と言われたけれども、今のちんまりした姿を見る限りではとても信じられなかった。本獣が言うなら、確かなのだろう。
幻獣は、騙され囚われたのだと言っていた。悲しそうに。信じていた人間に裏切られ、一振りの剣にされてしまったらしい。
剣になってからは、誰とも話せず、何もできず、ただただ孤独に生きていた。──その状態を、“生きている”と呼べるならば、確かに生きていた。
自分の姿や声を聞ける者に出会ったのは初めてだと、ひどく嬉しそうだった。
もう剣から出たいのだ、と幻獣は語った。自然と共に生き、自然と共に死にたい、と。
その気持ちが痛い程よく分かった少女は、幻獣の手助けをすることにした。何より、彼が助かれば、自分も救われるような気がした。
幻獣を助けるには、界層を渡る必要があった。界層を渡るとなると、自分は堕天使の落胤が押される。それを聞き、幻獣は、やはり自力でなんとかする、と渋ったが、交換条件を出すことで納得してもらった。本当にそんなことでいいのか、と彼は最後まで苦い顔をしていたが。
──そして少女は堕天使となった。
地上界も、魔界も、聞いた話の通り、とても素敵なところだった。素敵なものが溢れていた。
過去に斬られた彼のことを想い、少しだけ泣いた。
やるべきことは決まっていた。
幻獣が封じられた剣は、現在魔王城にあるという。けれど、石から引き抜くには“勇者”がいなければならないと聞いた。ちょうど、魔王討伐のために勇者が召喚されたらしい。それなら問題なかろうと思っていたが、どうやら勇者は乗り気ではないようだ。
彼には魔王城に行って、どうにか剣を引き抜いてもらわなければならない。
何かいい材料はないかと探したところ、なんの因果か、魔王城には堕天使の兄がいた。勇者は自分の世界に帰りたいのだと言っている。帰るためには、天使の力が必要だ。
勇者に天使が魔王城にいることを知らせた。彼は堕天使の誘導により、魔王城に向かってくれるようだ。勇者の実力は確かなので、あとは放っておいても無事に辿り着くだろう。
次に、封印解除の魔法である。
残念ながら、天使はその魔法を知らなかった。幻獣もそのものは知らなかったが、とある賢者の魔道書にその魔法が載っていることを知っていた。そもそも、幻獣を封じる際に加担したのが賢者の先祖であったようだ。
魔道書を無事に魔王城まで届けてもらう必要がある。自力で奪い取ってもいいのだが、堕天使にそのような攻撃力は無い。それに件の賢者はあまりに有名人で、魔道書を盗んだとあっては、大事になる。堕天使自身も目立つわけにはいかなかったので、確実に魔王城に魔道書が届くよう、魔女に働きかけた。
魔女か賢者、どちらかが魔王城に魔道書を持ってきてくれれば良い。
現魔王と多少交流があった堕天使は、魔女のことも魔王から聞いて知っていた。幻獣と話し合い、魔女が興味を持ちそうな魔法を選び、その情報をリークした。
こちらも、なんとか上手くいった。
最後に、眷属の血。
幻獣曰く、封印解除魔法で、必須となるもの、らしい。少量でもいいが、本物である必要があった。
幻獣の眷属。魔界を探したがいない。幻獣の鼻を頼りに探し続けると、非常に幸運なことに、勇者一行に興味を持っている、獣の血を継ぐ娘に出会った。魔界の血や人間の血が混ざり合い、幻獣の血はかなり薄くなってしまっているが、十分だろう。
ちょっと──本当は、“かなり”──初めての恋バナで熱く語ってしまったが、結果的に目的は達成できた。
堕天使と幻獣の企みは、順調に進んでいた。
裏でせこせこ働いていた堕天使さんの事情編。
若干の認識ズレは……。




