そして一堂に会する(4)
「だが俺は魔王を辞めるぞ」
まだほざいている魔王を無視して、よしとりあえず纏まった、と達成感に胸を張った魔女を嘲笑うように、“それ”は起こった。
異変に一番に気付いたのは、宰相だった。
「魔王様!」
彼の背後から、巨大な黒い手が出現した。目を見開く勇者の前で、魔王が「ようやくか」と小さく呟く。
「悪いが借りる」
「え? あ……!?」
魔王は勇者の持つ剣を奪い、代わりに村娘を押し付けた。振り向きざまに一閃。ギャア! と悲鳴が上がった。
黒い血が床を濡らし、あぁ魔族の血は赤とは限らないのか、と謎の納得。
「覗き魔! 剣を使えるのか! すごいな!」
愛する村娘の歓声を受け、魔王は満更でも無さそうである。相変わらず、呼称から残念臭、あるいは犯罪臭がするのだが、もはや誰も気にしない。
「幼少より、魔法は我が幼馴染、剣は魔王様の得意分野ですから」
それを何をトチ狂ったのか、魔王に就任したら剣を封印するとか言って……。と目元を押さえたのは、宰相だ。
斬ったはずの黒い影は、シュンと縮むと地面に潜った。
「光よ」
唱えたのは、賢者だ。魔道書はその辺りの床に転がっているが、元来魔道書はあくまで“知識の結晶”。無いから魔法が使えない、というものではない。
部屋全体を、中央に向けて光が照らす。影を追い込むように。
「グギ……」
不快な呻き声と共に、勇者と宰相の中程から、黒い影が飛び出した。
両側から挟み撃ちするように、魔王と剣士の剣が迫る。魔女は薔薇を這わせ、いつ妙な仕掛けが発動してもいいように見張っている。
キン、と高い音がした。剣と剣がぶつかり、剣士の剣から炎が噴き出す。間にあったはずの黒い影は、剣と炎をスルリと避け、嘲笑うようにクルリと一回転すると、勇者を──村娘を目指して迫る。
腕の中に誰かを抱えながら動いた経験は無い。立ち回る自信が無い。
咄嗟に手が伸びたのは、胸に忍ばせていた羽根だった。五枚全てを投擲する。
(あ、でもちょい待ち。こいつ絶対天使とは正反対!)
天使用の羽根は──
「グギイイイイイイイッ!!!」
ばっちり、効いたようだった。
黒い影は膨張と収縮を繰り返し、やがて人型へと変わった。苦しそうに歯を食いしばっている。
「おー……良かった、効いて」
ふいー、と嫌な汗を拭う。焦った。
床に平伏す男に、魔王は「久し振りだな、叔父上」と声を掛けた。
「この、糞餓鬼がぁあ!」
血走った目で自分を睨み付けてくる親族を、魔王は普段通りの無表情で見た。
「貴方にとっては、俺は確かに子供であろうな。何しろ、貴方の甥だ」
だが、と魔王は続け、その首筋に剣を突きつける。剣からは、赤い血と黒い血が零れ落ちた。
「俺は元・魔王だ。──“元”である事情を知る一部の者を除けば、魔王と名乗っても差し支えない」
「いや、今も魔王ですよ!?」
悲痛な叫びはサラリと流された。
「“魔王”に手を出すとは、反逆を疑われても仕方あるまいな」
「元々は、私の物だ! 私が兄上から受け継ぐはずだったものだ! 私の、私の、ものだぁあ……!」
譫言のように繰り返される言葉に、もはや会話をする余地は無いと判断したのだろう。表情に浮かぶのは、諦観。
せめて他の仕掛けの位置くらいは吐いて欲しかったのだが。しかし、小心者のこの男が直接来たということは、仕掛けはもう無い可能性が高い。少なくとも、押すだけで発動するようなものは無いのだろう。
すぐに気を取り直したように、彼は部屋の上方を見た。
「天使殿、終わったぞ」
「え、天使殿?」
「……天使?」
「やっぱ絡んでやがった」
宰相は驚いたように目を見開き、勇者は不思議そうに首を傾げ、剣士は嫌そうな顔をした。
三者三様の反応を余所に、どこかからふわりと舞い降りた二人の天使は──
「見習い、こいつを連れ帰るぞ。縄持ってこい」
「え、ちょ、待ってください。宰相さんじゃないですよねこの反逆者……?」
「もしそう見えたならお前の目は節穴だと笑ってやろう」
「や、だってターゲットは……」
「最初からこいつだ。当然だろう、あの宰相が魔王を裏切ると思うか?」
「思いませんけど、でも、僕それ聞いてないんですけどお!?」
「言ってないからな」
「はあああああ!?」
仲良く喧嘩を始めた。
呆然とする面々の前で、「敵を騙すにはまず味方からだろう?」とシレッと言ってのける大天使に、「だとしても待機中に教えてくれれば良かったじゃないですかああああ!」と見習い天使が詰め寄っている。身長差により叶わないが、もし同じくらいの身長だったなら、胸倉を掴むくらいはしていただろう。
一切心を痛めていない様子の上司に、ぐぐっと悔しそうな顔をする。
「もう知るかぁ!」
どこかから縄を取り出して、反逆者を縛ろうと手を伸ばした。
その手を、大天使が慌てて掴む。
「お前は学校で何を習った。堕天の黒羽根に触れると穢れて身が焼けるぞ」
辛辣な言葉に、見習い天使は身を竦める。
「大天使様は素手で掴んでたじゃ」
「私とお前では神力が違う」
食い気味に否定するやいなや、貸せ、と見習い天使の持っている縄を奪って、魔王の叔父をぐるぐる巻きにする。これで身動きできないだろう。
「それにしても、勇者殿。堕天の黒羽根なんて代物、なんで貴方が持っていたのです。しかも、六枚も」
賢者が訝しげに、ビリビリと黒い稲妻を放っている羽根と、勇者の顔を見比べる。いやいや貴方が渡したのではないか、と勇者はぽかんとし、しかしすぐに、それよりもおかしいことに気付く。
「……え、六枚?」
自分が投げたのは、あくまで五枚だ。
もう一枚は、いったいどこから。
ふわり、と足元に黒い羽根が落ちた。
「すみません、そちらは私がお渡ししたのです」
そしてようやく、一堂に会する。




