空回る魔女(2)
「賢者の魔道書? それがなんだっていうの?」
少女はにこにこしている。この気配、普通の“人間”では無い。魔女の城の警備を掻い潜って、自分の前に現れることなど、普通はできない。
「そこに魔女さんが気になるものがあるかもしれません」
「アタクシが気になるもの?」
魔女の関心は、今も昔も魔王の宰相くらいだ。そしてそれを知るのはせいぜい魔王くらいだろう。
この少女が知るはずがない。
しかし。
「はい、人の“気持ち”を、少しだけ、本当にほんの少しだけ……操作する魔法があるそうです」
すこーしだけ、と手で形を作る。
(少しだけ、気持ちを……?)
それは例えば、“少しだけ”魔女のことを女性だと意識してくれる、とか。そういったことも?
「い、いやいやいやいや! それはズルというもので! あたしはそんなこと、しな……」
しない、だろうか。
勢いで言い放った後に、考える。
……本当に?
一回くらいなら良いんじゃない? なんていう悪魔の声が聞こえる。だって、自分でいうのもなんだが、分かりやすかったと思うのだ。前面に押し出していたつもりだ。それをなんだ、“魔王が好きなんだろう?”だって? フザケンナという話だ。
だから。ちょっとくらい。
振り回してやりたいと、思うじゃないか。
好意を持たせるような決定的なものじゃない。ただ、ほんの少し自分を見てもらえるようなもの。
「……するかしら」
遠い目で、ぼそぼそと言えば、きゃあっと歓声が上がった。
「貴方はどうしてあたしにそんなことを教えるのよ」
「わたしの目的のために、必要だからです。……あの、大事な恋心を利用するような真似して、ごめんなさい」
急に罪悪感に駆られたのか、しゅんと顔を伏せる彼女を、「許されるための謝罪なんて要らないわ」とばっさり切り捨てる。
「それに、あたしも利用するの。お互い様よ」
吐き捨てると、きょとんとした少女は、次の瞬間に柔らかく笑った。魔女に対して、「優しい方ですね」なんて言いながら。
優しい? この魔女が?
「馬鹿言わないでよ」
鳥肌が立ったわ、と自分の両腕をさするが、少女は嬉しそうな顔を崩さない。それどころか、せめて祈らせてください、とまで言い始めた。
「貴方様の恋が、どうか幸せに繋がりますように」
鈴の音のような声は、まるでなにかの旋律のようだ。
魔力がこもっているので、魔法、と言い換えてもいいかもしれない。強制力は持たない、ただの祈り。けれど、……そう、それは例えば、先程挙げられた“ほんの少し気持ちに作用する魔法”に似ている。
「貴方いったい……」
その言葉を遮るように、少女はやけに静かな紅玉のような瞳を魔女に向けた。とん、と人差し指を唇に当てる。
時が来るまでは内緒ですよ、と。
そう言うかのように。
「それでは、またお会いしましょう」
少女の身体がふわりと浮き上がる。光の粒が宙に生まれたかと思うと、彼女の身体を包んでいく。それらが再び空気と混じり合い“還った”時には、少女の姿は無かった。
「高位転移魔法……!?」
そんな上級中の上級である魔法を扱える者など、限られている。界層渡り並みの難易度を誇るそれを扱えるのは、魔界でも魔王かこの薔薇の魔女くらいだろう。地上界の者が、はたまた天界の者なのか。
魔女は動揺しながらも、自分がやることを整理した。
“賢者”。彼女は今、魔王を倒すために結成されたパーティの一員だと、先程の少女が言っていた。ならば、探索はそう難しくは無いだろう。魔王の敵も倒せて、一石二鳥だ。
「やってやるわよ」
闘志をみなぎらせた魔女は、その決意のままに賢者に戦いを挑んだ。何度も、何度も諦めず。
けれど、結果は芳しくなかった。
先日など、何故か勇者や剣士までもがしゃしゃり出てきた。この二つ名まで貰った魔女が苦戦するとは! 噂されていた最強の勇者、最強のパーティというのは、伊達では無いらしい。
仕方なく、魔女はひとつの決断を下す。
──彼らを倒すために、力を出し切ることができる魔界に行く。
どの道、魔法を掛けたい相手は魔王城にいるのだ。
それに、勇者一行が魔界に入る手助けくらい、苦ではない。後で、魔女が彼らをこてんぱんにするために必要だからやっているのだ。決して彼らに都合良く使われているわけではない、はずだ。
賢者から指示を受けて準備した素材を両手に抱え、魔女は勇者たち──ん? よくよく見ると、一人増えている。あの小さい少女は誰だろうか──に言い放った。
「集めてきてやったわ! これでいいんでしょう!?」
大量の素材をドンと机に置くと。そのあまりの量に勇者が、うわぁ……、と声を上げた。机の上に収まりきらず、コロコロと床に転げ落ちているものすらある。
「魔女さん、よくこんなに集めたなぁ」
「そうですわ、大変だったんですのよ、特にこの鉱せ……って、話したいことはそれじゃないわ!」
クワッと牙を剥いて怒れば、途端に勇者があわあわし始める。他の面々が一切なんの感情も向けてくれないことも、少々引っ掛かる。やり甲斐がない。
思わず怒鳴ってしまったことを誤魔化すように、髪の先っぽを触りながら、「とにかくこれで素材は集まったはずよ。さっさと魔界に向かいなさいよ」と告げた。
「それでは魔女殿も、ご一緒に」
なんで自分も! と怒鳴ろうとして、そういえば、魔界にいる間に同行を申し出たのは自分だった、と思い出す。
それに対して容易く承知し、今もなんの気負いもなく受け入れようとしている賢者の姿に、ぐっと唇を噛み締めた。
魔女は強い。負けない。そう、彼らなんかには、絶対に。
でも。
(あたしが、誰にも負けないでいられるのは……)
無意識に腕を組んだのは、自己防衛の表れかもしれなかった。
「利用されている気がする」
と、認識はしている模様……。




